波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

オショロコマのように生きた男  第70回

2012-02-07 09:58:29 | Weblog
お酒を飲まない宏に久子は熱いコーヒーを入れた。香ばしい香りが部屋に漂いいつもと違う雰囲気をかもし出している。
久子は勝手に自分のワイングラスを持ち出し、寝酒用のワインを入れて部屋に入ってきた。
二人がこうしてテーブルを挟んで座るのはどれくらい前のことになるのだろう。新婚時代はともかく子供が大きくなり、
宏が外で仕事をするようになってからは全くなく、何時のことか二人はすっかり忘れていた。
「不思議ね。あなたが私とゆっくり話をしたいなんて何時ごろあったかと思い出せないわ。結婚して子供が大きくなり
あなたは何時の間にか仕事で何処にいるか分からなくなって、話をするときは全くなかったから」ワインを片手に飲みながら
宏を横目で見ている。宏は何を考えているのか、久子の話を聞いているのか耳に入っていないのか、コーヒーを飲みながら
「このコーヒー美味いなあ。何だっけ」「あなたが昔飲んでいたモカよ。誰も飲まないからそのまま残っていたのよ」
「そうか。久しぶりに美味しいコーヒーを飲む気がするよ」それはコーヒーの味だけではなかった。
コーヒーは毎日飲んでいたし、結構高いコーヒーも飲んでいたからだ。やはり同じコーヒーを飲んでいても気持ちが落ち着かず、何かを考えていたり、悩みながら飲む味は違ったものだった。
今夜のコーヒーは格別だ。気持ちが違うと味もこんなに違うものかとしみじみ感じていた。
「所で話って何なの。何か話があるんでしょ。」久子がじれたように切り出した。そうだ大事な話を忘れていたと我に返ったようにタバコの火を消した。「お前に少し金の融通をしてもらいたいと思ってるんだけど、少し金を貸してくれないか。」
突然現実に戻ったような話に久子は驚いた様子だった。「あなたが助けてくれないから自分たちの生活は私たちでするしかなかったから、当面の生活費ぐらいは用意しているわ。」「それでどれくらい用意できる」宏はぶっきらぼうに聞く。
「百万か二百万くらいならあるわ」「そうか。その金暫く貸してくれないか。ちゃんと返すから」「何に使うかも説明しないで返事も出来ないでしょう。こっちは生活がかかっているんだから」
それはそうだ。大事なことを話してなかったと宏はここで本当の話をきちんと説明しなければと覚悟を決めた。
それは金のことだけでなく、これからの将来への計画につながることである。
それから二人は時間を忘れて話し合っていた。

オショロコマのように生きた男  第69回

2012-02-04 09:31:46 | Weblog
暫く会わないうちにすっかり変わってしまっていた多田の姿はやせこけて見る影もなく哀れだった。夫人の話では喉頭がんで
殆ど声も出せない状態で話は無理だとのことだった。宏は人間の死というものを今まで想像したり、考えたりすることはなかった。しかしこの時いやが應もなく直面し考えざるを得なかった。人間はいつか死ぬ、それは頭で分かっていたことではあったが、現実の問題として考えたくなかった。しかしこの場において逃げることは出来ない。そしてそれがそんなに遠くない将来に自分の身に降りかかるとは、この時露ほどにも思わなかったことだった。
病院からの帰り道、宏は不図多田の工場へ立ち寄ることにした。暫く見ていなかったし、どんな様子なのか気がかりだった。
場所は以前のままであり、勝手知ったる所で戸惑うことはなかった。機械や設備はそのままになっており、多田のやりかけた仕事がそのまま残っていた。たぶん人も使える状態ではなく一人でこつこつとやっていたのだろうことが分かった。
工場の周りは雑草が生い茂り、その一部は中にまで伸びていたがそのままになっている。ビニール屋根の破れから漏れて差し込む太陽の日差しが、そのまま工場の荒れ果てた姿を象徴していた。
宏はそんな中を機械や設備そして事務所の中と丹念に見て回った。覆いのかけられてないものはすっかりほこりにまみれ、錆も見られる。そして頭では自分が始めるときにはどうすればよいか、準備が出来次第何から始めるかを無意識に計画していた。
それは長年の感覚であり、経験であった。何が不足で何が必要であるかはすぐに浮かんでいた。
そしてある程度納得したところで工場を出ると、会社へは戻らずまっすぐ千葉の家へ向かった。その日の夜、二人きりの食事を済ませると宏は珍しく久子に声をかけた。「おい、今日はちょっとお前と話があるんだけどいいかな。」ぶっきらぼうなその物言いに久子はきょとんとした顔でまざまざと宏を見た。
「どうしたの。珍しいわね。私に話なんていつもなら自分の部屋へ行ったきり声もかけないくせに」
娘が年頃になって嫁に行ってもう居なかったし、息子も北海道の大学へ行って帰ってくることもない。
「まさか、子供も大きくなって居なくなったから別れようとでも思っているの。それならそれでも結構だけど、その時は
私も考えさせてもらうわ。」少しけんか腰の久子の言い方に宏は驚いていた。
「そんなこと考えてないよ。」いつもより深刻な宏の様子に久子は気づいて少し心配になっていた。

思いつくままに

2012-02-02 10:56:33 | Weblog
人には生活の中で一人一人に課せられた務めがある。そしてそれらは何時の間にか男女の分担があるかのように別れているかのように覚えていく。そしてこれは「男の仕事」それは「女の仕事」というような区別が出来てくる。しかしそれらは何の根拠もなく規則もなく単なる習慣として行っているだけの事で何も決まっているわけではない。しかし、高齢者を含めて中にはこのことに拘り、人によっては、男、女と分けてすることにこだわりを持つていてあえて手を出さない人もいるようだ。(職業としている人は別として)しかし生活の中で大切なことは、誰もが「どんな事にも楽しめる幸せ」を見つけることにあるような気がしている。
つまりどんな事でもその事に自分がどのように関わることが出来るかということである。
例えば、妻が「今晩の料理はクリームシチューよ」と支度に取り掛かったとしよう。その時「ああ、そう」と聞き流すのではなくて手を出さないまでも、その傍で相槌を打ちながら眺めているだけであっても、そこには新しい雰囲気が生まれてくるのだ。
つまりどんな状況下でもどんな内容の事であっても関わり方次第ということを人生において知ることが出来るようになることが
大きな宝物になることではないだろうか。
自分の思うようになることなどは生活の中ではほんの僅かなことに過ぎないと思う。だから今ある状況を自分流に深め広げていくことがどれだけ出来るか、それを決めるのは他の誰でもない自分なのであり、各々の選択にあることを知っておきたい。
そしてその仕事は誰かが良くも悪くも見ているのだと言うことも知っておいたほうが良いと思う。それは大きく言えば人生そのものを誰かに見られていることでもあるからだ。そう思って油断することなくその極点を目指しながら、人性の旅を続けたいと思うのだ。
世の中には「プロ」と呼ばれる人がいる。その人たちは私たちとどう違うのだろうか。例えていってみれば、何かが起こったとき、またはとっさの非常事態に立ち至った時、いつでもその事態がはっきり分かりその事態を捕らえて安定した力が出せる人たちのことを言うのだろうかと思ったりする。(業種によるが)
出来ればそんな事も見習わなければならないし、そのための訓練も必要になってくることもある。
また「素敵な人との出会い」を望むこともある。この場合、素敵な人とはどんな人のことかなと考える。
自分がそうありたいと願っても難しいが、多分人間としての可愛さ(具体的にはどうだろうか、)それと適度な賢さ、言い換えれば鼻につかない程度の教養とでも言うか、そんなものが感じさせる人でもあろうかと思う。
そんな人になれたらいいなあと思ってみたりする。
人間は足りないと悔いが残るような気がするが、過ぎるのも虚しく恥ずかしいような気もする。程よくと言うことは努力が要るということだろうか。