波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに

2012-02-02 10:56:33 | Weblog
人には生活の中で一人一人に課せられた務めがある。そしてそれらは何時の間にか男女の分担があるかのように別れているかのように覚えていく。そしてこれは「男の仕事」それは「女の仕事」というような区別が出来てくる。しかしそれらは何の根拠もなく規則もなく単なる習慣として行っているだけの事で何も決まっているわけではない。しかし、高齢者を含めて中にはこのことに拘り、人によっては、男、女と分けてすることにこだわりを持つていてあえて手を出さない人もいるようだ。(職業としている人は別として)しかし生活の中で大切なことは、誰もが「どんな事にも楽しめる幸せ」を見つけることにあるような気がしている。
つまりどんな事でもその事に自分がどのように関わることが出来るかということである。
例えば、妻が「今晩の料理はクリームシチューよ」と支度に取り掛かったとしよう。その時「ああ、そう」と聞き流すのではなくて手を出さないまでも、その傍で相槌を打ちながら眺めているだけであっても、そこには新しい雰囲気が生まれてくるのだ。
つまりどんな状況下でもどんな内容の事であっても関わり方次第ということを人生において知ることが出来るようになることが
大きな宝物になることではないだろうか。
自分の思うようになることなどは生活の中ではほんの僅かなことに過ぎないと思う。だから今ある状況を自分流に深め広げていくことがどれだけ出来るか、それを決めるのは他の誰でもない自分なのであり、各々の選択にあることを知っておきたい。
そしてその仕事は誰かが良くも悪くも見ているのだと言うことも知っておいたほうが良いと思う。それは大きく言えば人生そのものを誰かに見られていることでもあるからだ。そう思って油断することなくその極点を目指しながら、人性の旅を続けたいと思うのだ。
世の中には「プロ」と呼ばれる人がいる。その人たちは私たちとどう違うのだろうか。例えていってみれば、何かが起こったとき、またはとっさの非常事態に立ち至った時、いつでもその事態がはっきり分かりその事態を捕らえて安定した力が出せる人たちのことを言うのだろうかと思ったりする。(業種によるが)
出来ればそんな事も見習わなければならないし、そのための訓練も必要になってくることもある。
また「素敵な人との出会い」を望むこともある。この場合、素敵な人とはどんな人のことかなと考える。
自分がそうありたいと願っても難しいが、多分人間としての可愛さ(具体的にはどうだろうか、)それと適度な賢さ、言い換えれば鼻につかない程度の教養とでも言うか、そんなものが感じさせる人でもあろうかと思う。
そんな人になれたらいいなあと思ってみたりする。
人間は足りないと悔いが残るような気がするが、過ぎるのも虚しく恥ずかしいような気もする。程よくと言うことは努力が要るということだろうか。