波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに

2012-02-09 10:28:27 | Weblog
人間はつくづく不思議な生き物だと思うことがある。自分では気がつかないで居るが、日々いろいろな意味で変わっていることに気づくことが少ないからだ。
新聞のコラムにこんな記事が出ていた。「就職試験での質問では家庭環境のこととか親の職業には触れてはいけないことになっている。自分の美点を述べて面接の練習どおり済ませれば個性はなくなっている。無難であることが一番大切であることを覚えてしまうと勇気のない人間が何時の間にか出来てしまう。その結果は全ての結果は他者のせいにする、おとなしいと思っていた人が後で困った存在になっている。‥‥}
私はこの記事を読みながらこれは他人事ではないぞと思わされた。自分の思い通りに生きていると何時の間にかこの世の生活は自分の思い通りになるかのような錯覚に落ちることもあるし良くも悪くも習慣になってしまうことがある。
良い習慣もあればまだ良いが悪い習慣を身に着けてしまっていることもあるはずである。それを改めることに気づかないで居ると、そのチャンスを失ったままになる。結果は問題がおきたときに、突然現実の言動になって現れる。いざと言うときに、自分の思いを正しくきちんと表現できるか、また表現する内容を持ち合わせていなかったら、すぐには出てこないしそれが人間関係を意思疎通にしてしまうことさえあるのだ。
また自分のしたいことも見つからないことさえあると言うことになっていく。そうすると世間に流されて精神的な欠陥人間に何時の間にかなっていることになる。せめて自分が何をしたいのか、何を目指して生きているのか、そしてその為に何をしなければいけないかを常に考える習慣をつけたいものだと思うし、考えたいと思う。
このコラムも最後にこう書いている。「自分にない<いい人>になるな」と警告している。
その為には自らを省みながら本を読み、自分にないものを補っていくことも大切だと思うし他にもいろいろな方法があると思う。いずれにしても大いに反省させられた時間であった。
外を見ると何時の間にか庭の片隅から、水仙やチューリップの芽が顔を出し始めている。鉢植えの梅ノ木の枝についた花芽が
赤く膨らんでいることに気がつく。何時の間にか春がそこまで来ていたのだ。
今年は少し寒さが厳しかったがそれでも春は来る。心の中から本当の春を迎える準備をしたいものだと思う。