波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに

2013-01-01 10:23:06 | Weblog
「元旦や冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし」正月を迎えるたびにこの句を思い出し、妙に納得していた。しかし今年の気分は少し違う。
前半はこれで良いのだが、後半は「目出度くもあり、目出度くもあり」としたい。年をとるごとに迎える正月を健康であることを感謝する気持ちが年々強くなることとこの尊い命を
無駄にすることなく、成長させたいと考えるからである。
今朝の新聞に「人間の個性と言うものはその人の持って生まれた貴重なDNAと長い年月の間に培われた止むを得ない生活の重荷からできた性癖との相乗作用で生まれたもの」とあった。そして所詮人間はすべて善と悪、賢と愚を併せ持った存在でもある。そしてまたそれぞれが個性を持って生きるべきものだ。
ここ数年、衰える肉体と精神を自ら叱咤激励しながら生活してきた気がしている。
(もちろん無理はできないので、適当に心も体も休ませながらであるが)
そんな中で少しづつ芽生えてきたのは今までに考え得なかった、新たな思いである。
それは自分本位な生活ではなく、自分を犠牲にする控えめな(少し大げさだが)生活態度の構成であると思っている。それは自慢でも大げさでもなく自分自身が平安の中にいることができる喜びでもある。
人は生きている限り(生かされている限り)その意味があるのだ。それは存在が何らかの形で意味を持たなければならないであろう。
老いてすべてに役に立たない存在におかれながら、迷惑をかけないでいる存在であることは自分自身の「成長」でしかない。
その為にはわがままも忍耐も困難もあるかもしれない。しかしそれらを克服しつつ努力を重ねることがその存在感を生かすことになると思うからだ。
昨年も振り返ると僅かながらそんな時間を持ちえたと一人で微笑むことができる事もできた。(まだこんなことができるのかと自分でも信じられない時間でもあった。)
今年はどんな一年を過ごすことになるのだろうか。まったく予想も想像もつかない。
こうしたい。ああしたいと思っても思うようにならないのが人生でもある。
その中で生かされている尊い時間を如何に苦悩しながら成長を目指すのが大人の魂であり、勇気と言うものの証でもあると思う。
良いことばかりあると言う期待ではなく、どんな状態に置かれても「GО FOR
BREAK」の精神でいきたいものだと考えている。

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