波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

 コンドルは飛んだ   第33回

2013-01-04 10:55:04 | Weblog
新しい着任地の岡山本社は県北の村はずれの峡谷にあった。製造中に出される煙(亜硫酸ガス)であったり、使用される水(無害)が真っ赤に染まって川に排出されることがあり、住宅生活圏から離される原因となったらしい。(後年この事が公害問題として大きな障害となるのだが、その時点では法的規制はなかった。)
辰夫は着任すると住まいを親会社が管理していた社宅に入ることにした。とは言っても
そこは嘗ては立派な来客用の施設であったが、歴史を経て古びたままと言うこともあり、
座敷には夏になると蚊帳のうえにムカデが落ちてくると言う古さであった。まかないは近所の人によって用意されたが、今までのような内容の食事はとれず、都会の生活から考えればとても想像できないお粗末さであったが、辰夫は何の不満も言わなかった。
本社工場までは距離で20キロほどあり、少し時間がかかるが、始業の一時間前には出社して社員の出てくるのを待っていることになり、以前と違う空気に社員の間にも今までと違う空気を感じていた。本社工場は7時からの体操から始まり工場長の挨拶で仕事に就く。
会議は役員会議、管理職会議が定期的に行われていて、それが踏襲された。
役員は自分とともに出向してきた財務の藤江氏との二人で後はプロパーの全役員がそのまま留任している。(社外役員でT社の株主が名簿上登記されている。)
専務は前オーナーの孫に当たる木内氏であり、その他主に生産部門の責任者であった工場長、また藤枝氏の前に財務を担当していた大村氏、その他東京、大阪の営業所の所長などがいた。辰夫はそれらの人物をつぶさに観察し、その評価と力を見極める事から始めていた。やはり大会社と違いその人物構成も大きく違うのは仕方がないとしても、これらの人物を如何に生かし、これからの成績をのばすかということの長所と欠点をみきわめなければならない。辰夫は当面の地元のあいさつ回りが終わるとすぐ、社内の内情を内外含めて把握することに専念した。
そしてその結果、この会社の欠点、また今後の将来そして利益追求への道筋をどのようにすべきかに計画立案することに着手することであった。
しかし彼は表向きには田舎の老人風に振舞い、決して目立つことなく権力を振るうこともなく、目立つことはしなかった。
それは日常の行動にあらわれていた。昼休みなるとほほかぶりに麦藁帽子、長靴での事務所脇にある畑の農作業、その成果は社員も目を見張るほどにプロのできばえで立派だった
が訪れる来客がその姿を見ては「社長さんはどちらでしょうか」と間違えていたのも
むべなるかなと言ったところである。、

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