波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「ボリビアに生きた男」  ⑤

2019-06-17 10:22:19 | Weblog

彼がボリビアへの辞令を受けたときに二人の子供がいた。上の娘は小学生、そして下の男の子は入学前の可愛い盛りであった。仕事が忙しく普段でも子供との接触はあまりできないのにこうして海外ヘ離れ離れになり、一年に一度の短期の帰国休暇ではスキンシップもままならない状況の中では無理もない事だったかもしれない「小父さん」と呼ばれ、そのままに育っていく子供の姿に親としてやり切れない思いがあったと思うがその感覚はそのまま帰国後も変わらなかった。彼との関係は仕事の上では今まで以上に親しくなり、理解も深まり時、当に経済成長期と相まって一気に成長していた。日本の企業は海外への進出を図り、取引先のユーのザーは軒並み海外へと進出していった。私は会議ごとにこの変化を見て我々もまた海外へ進出すべきだと主張した。元来海外志向の強い彼の考えとも一致し社内の反対もあったが、彼は東京の本社へ稟議を起こし数十億の予算を獲得させ、早速調査に乗り出した。そして数か国の調査の結果出来たのが、シンガポール工場であった。私もその恩恵を受けて台湾を中心に、中国、マレーシア、ほかの国々との取引ができたことは彼のおかげであったと大会社を親として持った恩恵を思わざるを得なかった。(地方の会社のままでは絶対あり得ない)そんな動きの中で彼のボリビア物語は続いていた。ある日。例によって仕事帰りに夕食をご馳走になっているとき、居間のピアノの上に飾ってある写真を私に見せながら「この人は私の恩人だ」と説明した。見るとスペイン系の鼻筋の通った美形の婦人である。ボリビアでの生活で何度か風土病や現地人の襲撃など危険な状況のたびに身をもって助け、協力して命を長らえることができたことを忘れられないと帰国後も定期的に文通をしながら金銭的にも協力していると語ってくれた。


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