昨年の6月から始まって、100回で一応区切りをつけました。最初はある人物を
モラリストとしてイメージして、その人物がこの世にどんな生き方をしていくかを
考えながら、ある意味一人の理想像として考えていた時もありました。しかし書き続けているうちに、それは自分の分身のような思いになり、自分の思いや考えが入るようになりました。結果的には思い描いていた人物になりえず、又その内容も未消化の所も多かったのですが、何とか書き終えたという思いです。
これでブログを書き始めて4年が過ぎました。
一年目は「弁柄からフエライトへ」として、自分の歩いてきた道を整理して見ました。
二年目は「交わりをもった人びと」として主に、成人して社会人としてお付き合いをした
人を中心に書いてみました。
三年目は「波紋ーひとりの男の死」として、嘗て同じ釜の飯を食べた同僚の不遇の死について その背景に何があったのか、そして何故、昼間、突然のような死を迎えなければ
ならなかったのかを書いて見ました。
そして、一年を100回に区切って、まとめることを前提に続ける事が出来ました。
一回に約100人の人がアクセスしてくださっていることが分り、次第に責任を感じるようになりました。といっても特別な事が書けるわけではありません。もともと書くことが好きなだけで始めたことなので、これからも老後の楽しみとして続けていきたいと思っています
。
次回から「白百合を愛した男」と言う題で、ある一人の人物の生い立ちから死ぬまでの一生を書いていきます。平凡で、目立たず、普通の一人の人物でありながら、一人の人間の生き方として何故か心に残る人物であったと、日を追うごとに思えてなりません。
何が、彼をそのような生き方にさせたのか、彼は何を考えて生きたのか、彼の一生は彼にとって何だったのか。
モラリストとしてイメージして、その人物がこの世にどんな生き方をしていくかを
考えながら、ある意味一人の理想像として考えていた時もありました。しかし書き続けているうちに、それは自分の分身のような思いになり、自分の思いや考えが入るようになりました。結果的には思い描いていた人物になりえず、又その内容も未消化の所も多かったのですが、何とか書き終えたという思いです。
これでブログを書き始めて4年が過ぎました。
一年目は「弁柄からフエライトへ」として、自分の歩いてきた道を整理して見ました。
二年目は「交わりをもった人びと」として主に、成人して社会人としてお付き合いをした
人を中心に書いてみました。
三年目は「波紋ーひとりの男の死」として、嘗て同じ釜の飯を食べた同僚の不遇の死について その背景に何があったのか、そして何故、昼間、突然のような死を迎えなければ
ならなかったのかを書いて見ました。
そして、一年を100回に区切って、まとめることを前提に続ける事が出来ました。
一回に約100人の人がアクセスしてくださっていることが分り、次第に責任を感じるようになりました。といっても特別な事が書けるわけではありません。もともと書くことが好きなだけで始めたことなので、これからも老後の楽しみとして続けていきたいと思っています
。
次回から「白百合を愛した男」と言う題で、ある一人の人物の生い立ちから死ぬまでの一生を書いていきます。平凡で、目立たず、普通の一人の人物でありながら、一人の人間の生き方として何故か心に残る人物であったと、日を追うごとに思えてなりません。
何が、彼をそのような生き方にさせたのか、彼は何を考えて生きたのか、彼の一生は彼にとって何だったのか。