波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

  オショロコマのように生きた男  第46回

2011-11-14 10:04:07 | Weblog
すべてを任されて動くのは始めてのことである。今まではずっとどこに居ても言われた事をきちんとすること、そして報告し
それが言われたとおり出来たか、どうかと言うことで仕事をしていた。それは仕方が無いこととはいえ、何となく縛られているような、そして命令されて動かされているような気持ちで、自分の心と違うものを感じていた。人は自分で考え思ったとおりする
、出来る、それが本能的にあって、それが束縛されると何となく窮屈さを感じるものである。
そしてそれは自分の意思でないと、そこに抵抗を感じてストレスになることもある。それが、長く続くと身体に偏重が出てくる場合がある。宏も自分では気づかないで仕事をしてきたが、長続きしなかったのはそんな自分が居て、どこかでそれを感じていたから長続きをしなかったのかと思ったりしていた。
今回のことはそんな意味から言うと、すごい開放感があった。「自分の考えてきたことを、自分の思ったようにできる」そのことだけが全てであった。年齢的にも肉体的にも一番力が発揮できる状態であった。何でも出来る気がしていたし、寝る間さえもったいないと思うほどであった。
計画は順調に進んだ。集まった人材の中から工場を任せられる人間を一人選んで、その男に指示を出し自分がどこに居ても、その
進捗を確認することが出来た。そして計画を変更することも自由であった。専務も社長も一度顔を出したが、「しっかり頼む」と
言うだけで、何も言うことはなかった。工場は完成し、同時に製品が出来るようになり、それは試作品としてユーザーに送られた。何もかもが順調であった。環境は良く、食事は美味しかった。特に地元の「蕎麦」は有名であり、今まで食べていたものと
違う美味しさを感じていた。食通の宏は出かけるたびに仕事のついでに、特徴のあるものを見つけていた。
長野は本来山に囲まれていることもあり、肉を始め、魚も豊富ではなく特に蛋白原が乏しかった。そんなことから他ではあまり見られない「ミツバチの子」であるとか、川で取れる「ざざむし」だとかがあった。見た目はちょっと悪いがたべて見ると、それほどでもない。「馬肉」を食べるようになったのも、ここへ来てからの事であった。
工場が動き製品が作れるようになり、少しづつ市場へ出るようになり、投資した資金を少しづつ回収できる計算がたつようになって来た。宏が一番輝き始めたときかもしれない。しかし、その陰に何かが動き始めていたのである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿