波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

       思いつくままに

2012-05-09 10:12:55 | Weblog
今、考えてみると若いときは何処へ行くにも、何としても歩かないで行くことを無意識に考えていた気がする。あそこへ行くには
バスか電車、ついそこまで行くには自転車、そして最後には電車を待ったり切符を買うのが面倒くさいから、何処へ行くにも自家用車で行く、そんな行動パターンの人が良く見られていたし、自分もその一人だったと思う。
しかし年齢を重ねるごとに考え方が変わり、まるっきり逆になりつつある。何処へ行くにもまず「歩いてゆくこと」を考えるようになったのだ。(最も歳を取っても変わらない人も大勢いるが)答えは簡単である。考え方が変わっただけである。
自転車もバスも利用できないことはないが、出来るだけ歩いてゆけるところは歩くようにしよう。(距離を大体2キロメートルとしている)それは身体のためであり、健康のためである。それは雨でも同じである。ふだん歩かない生活になってから、機会を捉えて出来るだけ歩くことにするようになった。
物事はこのようにその時点時点で考え方を変える事で嘘のように不可能なことが可能になることがあることを知ったのだ。
それは生活習慣全体にいえることで、食べること、遊ぶこと、寝ること全ての時間の使い方を変える事が出来るし、人との接し方も変える事が出来るのだ。その中でも特に大切なことは人との「会話」ではないだろうか。
聖書には「全て口に入るものは腹を通って外へ出されることが分からないのか。しかし口から出てくるものは心から出るくるので
これこそ人を汚す」と諭している。「口は災いの元」とあるのもこのことを指しているのだろう。
そこで今更ながら言葉について考えてみる。会話で大事なことはどんな人と話すにも、その相手の人との尊敬と誠実さの上に
立っていなければならないだろうと思う。そのためには何を話すにしても相手が心を開いて話してくれるような自分でなければならないと思う。言い換えればこの人なら何でも打ち明けて話したいと思わせるような人間であることだと思うし、
それには聞き手側のほうの全人格の責任がかかっているし、そうすることで初めて本当の同情とか、共感も得られることになるのではないかと思うのである。とはいえ、なかなか咄嗟には考えているように上手にはは話せないで、感情的に思ったことを口走ってしまうもので、その事で相手を大きく傷つけてしまうことがあることをもって瞑すべしと思っている。

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