波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

           オヨナさんと私   第24回

2009-09-04 09:34:10 | Weblog
芙貴子は友達同士で話し合っているとき、不図急に虚しくなることがある。
それが何なのか、何故なのかは自分でも分っていない。主人が死んでもう10年が過ぎていた。そしてもうそのことを忘れかけていたのだ。主人との夫婦生活は25年ほどで終わったが、それほどの強い印象が残っているわけでもなかった。
一男一女をもうけ、何となく過ごしてきた思いである。夫は平凡な会社員で、あまり面白味のある人ではなかったが、嫌いではなかった。今になって、どうしてあんな人と一緒になったのか、不思議な気もするが、その時の気持ちだったのかもしれない。自然の流れのままに生きてきた気がしている。
子供たちも成長し、いつの間にか30歳近くなり、それぞれ好きな人が出来たようである。それまでは何かと言うと、娘も息子もそれぞれに声をかけてくれることが多かった。娘は買い物など、出掛ける時は自分の友達より先に私と一緒に出かけるとことを考えてくれたようで、それは父の居ない母を労わり、慰める思いがわかり、共に楽しみを分かち合い気持ちが伝わってきた。
息子は何時も突然のように「お袋、飯を食いにいこうよ」とぶっきらぼうに言い、
どこ、其処に上手いものがあると、勝手に自分の思っているところへ連れて行き、
「うまいだろう。うまいだろう」と言いながら、自分だけパクパク食べて満足している。私はそんな息子の姿を見ながら、男と言うものは誰と言わず、勝手なものだわと、あきれながらも嬉しく息子を見ていたものだった。
そんな娘も、息子から最近は声がかからなくなっていた。娘は仕事の休みとなると化粧をし、いつもよりは少し派手な服装に着替え、そはそはと出かけていく。
その姿をそっと見ながら「どこへ行くの」とも声をかけることは出来ない。年頃の娘が出かけるには、それなりの目的のあることで、友達であれ、好きな人であれ、
当たり前のことであろう。羨ましくもあり、付いていって、確かめたい思いがするときもあるが、良い人にめぐり合ってくれればと願うばかりである。
「飯を食いにいこうよ」と何時も言っていた息子も最近はいつの間にか言わなくなっていた。注意して見ていると、ある日突然髭をそり、コロンをふりかけ、髪を念入りにとかし、やや派手な色のシャツを着て、黙ってすーっと消えるようにいなくなるのである。どこは行くとかは決して言わない。
悪いことをしていなければいいが、悪い友達を付き合っていなければと無意識に親心が働いている。
そんな二人を思いながら、芙貴子はもう一度自分を振り返るのだった。

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