波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

   思い付くままに  「オモテナシ余話」

2013-10-14 10:38:15 | Weblog
東京オリンピック開催が2020年に行われることになった事は国民の一人としてとてもうれしいと思う。色々な功罪があることだろうが何よりも日本が「元気になる」こと、そして日本の良さを世界へ発信する機会とすることだと思うからだ。最近日本のTVで世界の各国に移り住んで活躍している日本人を訪ね紹介している番組が人気だが、これも日本人の良いところを世界の人が知るところとなる番組として評価される。オリンピックとなれば尚更であり、世界中が注目するところとなる。
そして幸いにも昨年末の選挙で国政が安定し久しぶりに新しい政策を国全体で歩調を合わせて始まったばかりである。7年後には何らかの形でその成果が出ていることを考えると良いタイミングでの開催とも言えて喜ばしい限りである。そして忘れてはならないのは、この招致のために何年もかけて準備をしてきた大勢の人たちがいることだと思う。
世界への呼びかけにアッピールとして「オモテナシ」と言う言葉が使われたと聞いた。
久しく聞かなかったような気もするが、昔から大事にされてきた言葉である。世界の人がどのように理解できたか分からないが、現在の日本の国情が世界のレベルに比べて比較的に平安に保たれていることは事実であり、これからも益々浸透していくことだろう。
そもそも「オモテナシ」と言う言葉は自分のことを中心に考えるのではなく、相手のことを慮って行うことであり、聖書にある「汝の隣人を愛せよ」にあると考えられるが、人間の原点にしなければならないことだと思う。
誰しも年齢を重ね年を取ると家族はいても老後はさみしいものになってくる。そこで同年代の者が数人集まって食事に行ったり、近くの温泉に行ったりすることも悪くない。
それこそが一つの「オモテナシ」行為であり、ここに共通の信頼感も生まれてくる。
イタリアのある地方の習慣に、どこの家にもテーブルの椅子が必ず人数より一人分余計においてあるそうである。不思議に思って聞いてみると、それは突然やってくる人であったり、(それは知人で会ったり、時には困っている近所の人、又は旅人であることもある。)がその人たちが気楽に席について共に一緒に食事が出来るよう二だと聞いたことがある。強いて言えばそこは目に見えないいつもともにいて下さる神の席だともいえるのである。いずれにしてもオリンピックは7年後である。80に近い自分の年を考えれば
その記念の年をこの目で確認できる自信はないが、そんな事に拘りはない。
そのことを通じてオモテナシガ世界へ発信できるのを願うばかりである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿