波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

          白百合を愛した男   第10回   

2010-07-23 09:05:13 | Weblog
社長から派遣を言われたところはウラジオストックという所だった。地図で見るとロシアの極東部にある港湾に位置していて造船、漁業、軍港としてその役目を果たしていた。ロシア革命が沈静化した後、日本、イギリス、アメリカの干渉郡が進駐していたのである。
日本からは新橋を基点にして敦賀港へつなぎ、そこからウラジオストックへの国際列車としての路線が運行されていた。当時ロシアは農奴解放(1861)以後封建的な社会体制が続き労働者の請願デモが頻発し、軍隊が発砲し、死者が多数発生した。その後も大寒波による食糧不足が原因で帝政への不満を訴える抗議デモもあり、治安が安定していなかったが
1910年ごろから沈静化していた。
美継はその頃ではまだ少ないスーツを支度してもらい、ハイカラなかんかん帽を被り、手には鞄と言ったいでたちで出発した。こんな時、やはり下関から釜山へ大きな波に揺られて苦しんだ経験が自信となっていた。今回も知らないところではあるが、船も大きく、体力もついている。言葉もロシア語としては何も学習していなかったが、エスペラント語、英語で
何とかなるだろうと、あまり気にしていなかった。
今回は知っている人はいないので、現地のガイドが頼りであった。ガイドの紹介で宿が決まり、小さい事務所を構える事が出来た。到着してからの行動は早かった。地図を片手に様々な業種の工場や生産地の調査である。その結果、いろいろなことが分ってきた。
それらを日本へレポートとして報告する。日本から、具体的な指示が来て、追跡調査が始まる。毎日が新しい発見であり、収穫であり、事実の確認でもあった。日本では想像できない物や、出来事で驚きの連続であった。仕事は順調に進み始めていた。
品物の買い付けであり、荷作りの確認であり、港での積荷の立会いでもあった。美継は日本での仕事は狭く、小さいことを感じていた。これからは世界を相手に少しでも距離を広げて生きたい。そしていろいろなことを知り、利用できることをしていきたい。そんな思いがだんだん広がっていた。そんなある日の朝、起きてみると市の様子がおかしい。妙に静かで車も人の通る音が聞こえてこない。暫くすると、「パン、パン」というはじけた音がした。
発砲する銃の音である。何が起きたのか、様子が分らないが避難しなければならなかった。
第二次ロシア革命の発端であった。