波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

         白百合を愛した男   第9回    

2010-07-19 17:12:24 | Weblog
森商会で働き始めた頃、兵隊検査があった。その頃男は21歳(満20歳)になると徴兵検査と称して出生地の役場から呼び出しを受け、検査を受ける義務があった。検査は身体検査
、簡単な学力テスト、そしてレントゲンなどである。美継も田舎へ帰り、検査を受けた。
結果はすぐ分った。身体能力として、標準より平均を下回り、身長、体重が足りず、甲、乙、丙、丁では丙種合格であった。兵隊として入隊するのは乙種までで、丙種は行くことが出来なかった。男としてはやや恥ずかしく地元でも表を歩くに肩身の狭い思いをしなければならずつらい立場であった。身体が悪いわけではなかったが不合格である。この結果、兵隊に行くことは無く田舎を早々に引き上げ、再び、仕事にもどることになった。会社は順調に業績を伸ばしていた。
美継は習い覚えて身につけた学問で経理の仕事をさせられていた。実直なその人柄を認められてもいた。電車が走り、車も少しづつ多くなる賑やかな生活の中で将来への夢も少しづつ膨らんでいた。そんなある日の朝、会社へ出ると社長から急に社長室へ来るように言われた。何も悪いことをした覚えもなく、帳簿の間違いも無いはずだと思いつつも何かを注意されることの緊張感と、不安がよぎっていた。「今度、初めてのことなんだが、ロシアへ店を出すことにした。日本には不足している木材、海産物他何でも良い。こちらで売れるものを探して買い付けてくれ。君のほうから知らせてくれる情報でよいとしたら、それを買い付けて日本へ送って欲しいのだ。初めてのことで、不自由をさせるかもしれないが、頑張ってくれ。」この話を聞いた彼は、全く信じられないことであった。二十歳を過ぎたばかりの若造にこんな大役をさせるとは、それも海外である。確かに朝鮮というところへ出てゆき、経験をした事は間違いないが、今度はロシアである。どこにあって、どう行くのかも見当がつかなかった。「分りました。しっかり勉強して準備をします。ありがとうございます。」
そう答えると席に戻り、思わず深呼吸をした。胸は高鳴り、心臓はばくばくしている。
「よーし、やってやる。」小さく華奢な身体ではあったが、心に秘めたものは誰にも負けない負けじ魂と神に守られているという強い自信があった。薄い眉毛、小さい目の奥にぎらぎらと光る闘志が見えるようであった。