波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

         思いつくまま     

2010-07-21 10:58:05 | Weblog
毎朝洗面をしながら自分の顔をみる。普段は何も考えず済ませているが、ふと自分の顔を
まじまじと見ることがある。そしてその日の体調を思うのだが、疲れているときは目の下にクマが出ていることもあるし、生気が宿っていない。また寝不足な時ははれぼったいまぶたを見ることになる。昔から「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」ということを聞いたことがあるが、それは産まれて子供時代を過ぎて社会に出て大人になるまでは親の責任として考えられるが、40歳にもなれば自分の顔として考えろということらしい。
昔のことわざには「顔は人の看板」と言うのがあるし、眼のことになると「目は心のカガミ」、「目は口ほどにものを言い」等というのがあり、それぞれ意味を考えさせられる。
確かに自分自身でも心の持ち方や考え方によって自分の顔が変わって見えることがある経験をしてきた。自分の心が荒んでいるとき、また正しく考える事が出来ないで、自分本位で考えて、相手をいつまでも批判し、責めているような時、自分の心に悩みを持ち、いつも不安の中にあるようなとき、そんな時は自分では気がつかなくても相手にはその心が映って見えていても不思議ではない気がする。まして人にもよるが心の感情が表にすぐ表れる人と感情が見えにくい人とがいる。(ポーカーフェイス)私などは自分では隠しているつもりでもすぐ顔に出るほうで、よく人から注意されたものである。
最近はスナップ写真で自分の顔が写されていると自分の顔を注意してみている。そして
その表情が相手に不快感を与えていないかを思わさせられている。
それぞれが異なる顔と表情を持ち合わせているのだが、その中でも本当の厳しさの中にも
優しさを秘めた表情というものは表面上愛想を良くすればいいというものではないと思う。
それは人間の哀しさを深く理解した時に自然に滲み出てくるものだということを覚えたい。
つまり、それは耐えることの出来る人間に成り、同時に人を愛する楽しみを知るようになることでもある。その意味では道徳は人間を完成させていく基本原理であり、力であると思うのだが、
梅雨が明けたと思ったらいきなり、猛暑、酷暑である。体力的な対応を考えると大暑よりも
酷寒のほうが良いかと無いものねだりをしたくなる。毎日が耐久力勝負のようになって来た。私の周囲にも身体の変調を訴える人の話を聞くようになる。ご自愛専一に