波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

          白百合を愛した男   第7回

2010-07-12 08:26:09 | Weblog
毎日の生活がすっかり変わった。岡山の田舎にいたときは田舎の道を学校へ行くだけの日々で何の変わりも無く、新しいことや珍しいものを見ることは無かった。学校だけの生活には勉強に対する興味はあっても、それは僅かな知識と関心でしかなかった。しかし、ここでの生活は朝起きて夜寝るまでが全て新しい世界の連続であり、見ること、聞くこと、することが初めてであり、それを身につけることは全部自分のものになる。そのことが美継を夢中にさせ、毎日に力と勇気と希望を与えていた。身体は人並みよりは小さく、華奢で丈夫ではなかったが、気力だけは強いものがあった。だから少々の苦労や不自由は我慢することが出来た。何より新しい学問に対する執念があった。
日曜日の牧師から聞かされる外国語の言葉も又、とても新鮮であり、興味が合った。エスペラント語が分るようになってから、英語も教えてもらうようになっていた。それは綿にしみこむ水のように日々美継の身体に沁み込んでいったのである。
ある日、牧師から一冊の本が渡された。「聖書」と書いてある。「この本は私たちの神様の言葉が書いてあります。神が何をされ、何を言われているのか、一度読んでみてください。」読んでいくうちに、美継の心に自然に聖書の言葉が理解されるようになった。
そして、この聖書にあるような人生を生きて行きたいと思い始めていた。
そう考えながら、ふと、日本にいる父や母のことを考えていた。家は宮に仕える神職の仕事をしていて、その神を大切にしてきた。私の考えているキリストは日本ではヤソ教といわれ
信じている人は少ない。そんな神を信じるなんて親に言ったらどういわれるだろうか。
きっと、そんな事をいうやつはこの家の者として認めることは出来ない。「勘当」だといわれるだろう。そうしたら家に帰ることも出来なくなる。それからは悩み続け、如何したらよいだろうかと考え続け、だからといって、キリスト教をあきらめることも出来なかった。
そして、母に手紙を書くことにした。本当の自分の気持ちを伝えて許しを得たいと考えたのである。こんなことを書いて送れば、どんなに心配し、どんなに困り、迷惑をかけることになるか母に苦しみを与えることになると思いつつ、しかし自分の心を変えることも出来なかったのである。これで縁が切れることになることも心配しながらであったが、強い決心があった。