
午後からバスに乗って本島の中部に向かう。ずっと行ってみたかったコザの街を
歩く目的で。去年、沖縄に関する展覧会を見に行って、突然
コザ暴動のことを思い出した。ずっと忘れていたのだ。そのあと、「太陽の子」
をもう一度読み直してみたりした。それから、学生の頃見た「オキナワの少年」
の映画のシーンを久しぶりに思いし出してみた。ただいろんなものを読んだり
見たりしても、やはり自分がその場所に行ってみないことには何も分からないのだ、
そういう気がしていた。
今年の憲法記念日に東京で聞きに行った集会でも、「問題が起きないと
何もしない本土の人間」のことが言われていた。そんないろいろなことを考えながら
バスに乗って那覇からコザまで移動する。

昭和60年代に作られた中央パークアベニュー。
街づくりの成功例としてよく言われるが、行ってみると人気もなく閑散としていた。
最近は北谷にできた大型ショッピングセンターに人は流れているよう。

遠くの丘から見たコザの町。コザは昔は一寒村に過ぎなかった。それが
米軍基地ができて豹変し何もかもが変わってしまった。
一番上の写真にある米軍ゲートにつながるゲート通りも人影はまばら。オキナワ第二の都市とは
思えないほど、静まり返っている・・・。
2時間ぐらい町を歩いて、それだけで何が分かるのかといわれればそれまでだが
コザ暴動の起こった場所周辺をぐるぐる廻り、またバスに乗る。
コザ(というか沖縄市)、宜野湾市、浦添市と通りまた那覇の中心街にバスは戻ってくる。
バスの車窓からは米軍基地ばかり。基地の真ん中を通るコースもある。これではまるで
町の中に基地があるんじゃなくて、基地の中に都市があるようだ。
沖縄の面積の10%を占める米軍基地、と言ってもピントこないがこの景色を見るとそれが
実感される。しかも、島の北部の基地とこんな市街地に隣り合わせになっている基地は
まるで位置づけが違う。
歩く目的で。去年、沖縄に関する展覧会を見に行って、突然
コザ暴動のことを思い出した。ずっと忘れていたのだ。そのあと、「太陽の子」
をもう一度読み直してみたりした。それから、学生の頃見た「オキナワの少年」
の映画のシーンを久しぶりに思いし出してみた。ただいろんなものを読んだり
見たりしても、やはり自分がその場所に行ってみないことには何も分からないのだ、
そういう気がしていた。
今年の憲法記念日に東京で聞きに行った集会でも、「問題が起きないと
何もしない本土の人間」のことが言われていた。そんないろいろなことを考えながら
バスに乗って那覇からコザまで移動する。

昭和60年代に作られた中央パークアベニュー。
街づくりの成功例としてよく言われるが、行ってみると人気もなく閑散としていた。
最近は北谷にできた大型ショッピングセンターに人は流れているよう。

遠くの丘から見たコザの町。コザは昔は一寒村に過ぎなかった。それが
米軍基地ができて豹変し何もかもが変わってしまった。
一番上の写真にある米軍ゲートにつながるゲート通りも人影はまばら。オキナワ第二の都市とは
思えないほど、静まり返っている・・・。
2時間ぐらい町を歩いて、それだけで何が分かるのかといわれればそれまでだが
コザ暴動の起こった場所周辺をぐるぐる廻り、またバスに乗る。
コザ(というか沖縄市)、宜野湾市、浦添市と通りまた那覇の中心街にバスは戻ってくる。
バスの車窓からは米軍基地ばかり。基地の真ん中を通るコースもある。これではまるで
町の中に基地があるんじゃなくて、基地の中に都市があるようだ。
沖縄の面積の10%を占める米軍基地、と言ってもピントこないがこの景色を見るとそれが
実感される。しかも、島の北部の基地とこんな市街地に隣り合わせになっている基地は
まるで位置づけが違う。
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