く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<リビングストンデージー> 多彩な色と光沢から〝花の宝石〟とも

2014年05月15日 | 花の四季

【南アフリカ原産、英国探検家の名前にちなむ】

 南アフリカは世界屈指の〝花王国〟。とりわけアフリカ大陸南西端のケープ地方には固有種が多く、2004年には「ケープ植物区保護地域群」が世界遺産に登録された。南アフリカ原産にはガーベラ、フリージア、エリカなど日本でも馴染み深い植物が多い。このリビングストンデージーも南アフリカ原産で、日本には昭和初期の1935年ごろに渡ってきた。

 名前の「リビングストン」はスコットランド出身の宣教師・アフリカ大陸探検家のデービッド・リビングストン(1813~73年)にちなむ。花の形が一見キクに似ていることから「デージー」と付いた。ただキクの仲間ではなく、ハマミズナ科の1年草。4~6月頃、鮮やかな金属光沢のある直径4cm前後の花を開く。直射日光を好み、夜間や雨天・曇天の日には閉じたまま。日が差すと、空に向かって一斉に開く。

 和名は「ベニハリ(紅波璃)」。学名から「ドロセアンサス」とも呼ばれる。花の形が同じハマミズナ科のマツバギク(松葉菊)に似て、葉がへら状のため「ヘラマツバギク」という異名も。マツバギクも南アフリカ原産で、一足早く明治の初めに渡来してきた。リビングストンデージーにはマツバギクと違って花心に蛇の目模様がくっきり入る。花色も赤・黄・白・紫・橙・紅など多彩なうえ光り輝くことから〝花の宝石〟とも称される。

 兵庫県淡路市夢舞台の「国営明石海峡公園」では最盛期(4月下旬~5月上旬)を過ぎたものの「18日ごろまで見ごろが続きそう」という。福岡市沖の博多湾に浮かぶ能古島の「のこのしまアイランドパーク」では、3万株のリビングストンデージーがちょうど見ごろ。宮崎県小林市の霧島山麓にある生駒高原でも「満開継続中」(14日現在)。同高原では今「ポビーまつり」(18日まで)も開かれている。

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<ふるさとミュージアム山城>「笠置寺の涅槃図と南山城の仏画・大般若経」

2014年05月14日 | 考古・歴史

【村人の篤い信仰の歴史を物語る仏画や経典】

 京都府木津川市の「ふるさとミュージアム山城」(京都府立山城郷土資料館)で企画展「笠置寺の涅槃図と南山城の仏画・大般若経」が開かれている。南山城各地に残る涅槃図や仏画、大般若経を一堂に展示しており、かつての村人たちの篤い信仰の様子が伝わってくる。6月15日まで。

 涅槃図は釈迦が沙羅双樹の間で入滅する場面を描いたもの。中央の寝台に横たわる釈迦を嘆き悲しむ諸菩薩や弟子、様々な動物が囲み、母親の摩耶夫人(まやぶにん)が天空から飛来する。南山城の寺院でも釈迦が亡くなった2月15日の涅槃会には毎年、宗派を問わず涅槃図を本尊としてまつってきた。

    

 笠置寺の絹本著色仏涅槃図(上の写真)は縦228cm、横223cmもあるほぼ正方形の大きなもの。釈迦が右手を前に出し足をそろえている姿や、普通白く描かれるゾウがねずみ色になっている(左手前)のは、中国の宋・元時代の涅槃図の影響によるとみられる。作者は笠置寺が江戸中期の享保14年(1729年)に図の修理を藤堂藩主に願い出た文書から、室町時代に活躍した東福寺の画僧・明兆(1352~1431)と分かった。展示中の涅槃図の中には大津絵ふうの筆致で描かれたユーモラスなものも。これは江戸後期に活躍した四条派の前川五嶺(1805~76)の作。

 大般若経は600巻から成る経典で、日本には唐の玄奘三蔵がサンスクリット語から漢訳したものが伝わった。「読誦すれば悪を去る」といわれ、各地の寺院で国家や村落の安寧を祈願して読誦する大般若会が開かれた。展示中の8点の大般若経のうち、地蔵院(宇治市)蔵は表紙見返し(下の写真㊨)に文殊菩薩騎獅像の木版画があり、奥書(同㊧)には弘安2年(1279年)に西大寺の叡尊が蒙古の再来襲に備えて平岡社(東大阪市の枚岡神社)に奉納したものである旨を記している。

       

 大般若経は神前でも読誦されることも多く、現在まで伝わっている神社もある。水度(みと)神社(城陽市)の大般若経もその一つ。もともとは鎌倉時代に岩清水八幡宮にあったもので、慶長9年(1604年)に天神社(現水度神社)で書写された。多賀郷土史会(井手町)蔵の大般若経はそれまであったものが腐ってきたため経塚に納め、村人が寄進を集めて新たに購入し、享保9年(1724年)、大梵天王社(現高神社)に奉納された。村人にとってこの経典がいかに大切なものだったかを物語る。

 仏画では十三仏画や三尊来迎図が展示されている。十三仏画は人の死後、三十三回忌までの法要の本尊である諸仏菩薩を1枚の画幅に収めたもの。展示中の木津川市登大路区蔵のものは室町時代の作。初七日の本尊不動明王から三十三回忌の本尊虚空蔵菩薩までを、下から上へ順番に描いている。三尊来迎図は西方浄土から死者を迎えに来る阿弥陀如来と勢至・観音両菩薩を描いた図。人々はこれらの仏画に極楽往生への願いを込めた。(後期の20日から一部展示替え)

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<チョウジソウ(丁字草)> 草原の湿地などに群生する清楚な薄紫花

2014年05月13日 | 花の四季

【有毒植物、環境省は準絶滅危惧種として登録】

 キョウチクトウ科の多年草で、日本をはじめ朝鮮半島、中国など北東アジアに広く分布する。河原や沼地、草原の湿地などに自生、地下茎を横に伸ばして群落をつくる。花期は4~6月。草丈は40~80cmほどになり、茎の頂に清楚な薄紫色の花を集散状にたくさん付ける。切り花や茶花としても人気を集めてきた。

 花冠は長い筒状で、花びらが5つに分かれ平らに開く。その花姿を真横から見ると漢字の「丁」の字に見えることから「丁字草」の名が付いた。これとは別に、花の蕾が釘のような形をした香辛料の丁子(クローブ)に似ていることに由来するという説も。丁子は熱帯常緑樹のチョウジノキ(フトモモ科)の蕾を乾燥させたもの。貝原益軒の『大和本草』(1709年)にも「丁子草」として登場し「花ハ丁子ノ形ニ似テ浅葱色(あさぎりいろ)ナリ」と紹介されている。

 花姿は上品なものの、他のキョウチクトウ科の植物と同様、全草に有毒成分を含む。誤って葉や茎などを口にすると、血圧降下や局所麻痺などの中毒症状を起こすことも。吉野熊野国立公園内の大台ケ原はニホンジカによる植生被害が深刻で、多くの植物が食害で消滅している。その中でチョウジソウは逆に繁茂している場所があるという。調査した三重県は「有毒植物であるためシカの食害を免れた結果ではないか」と推測している。

 静岡県内唯一の自生地といわれる伊東市の「一碧湖」では5月18日に観察会が開かれる予定。島根県津和野町の「地倉沼」、さいたま市の「秋ケ瀬公園」などでもこの時期、紫花が一面を彩る。ただ全国的にみると自生地は減少の一途。環境省のレッドリストには準絶滅危惧種として登録されている。原因は河川の整備、湿地の開発、野草愛好家による乱獲など。都道府県段階では京都や富山、千葉などで既に絶滅したとみられ、絶滅危惧種に指定しているところも20を超える。「丁子草花甘さうに咲きにけり」(正岡子規)。

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<山の神仏展> 色鮮やかな厨子内で躍動する蔵王権現立像

2014年05月12日 | 美術

【圧倒的な存在感放つ大きな仏像・神像も】

 「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録10周年を記念し大阪市立美術館で開催中の特別展「山の神仏―吉野・熊野・高野」(6月1日まで)が8日から一部展示替えし後期入りした。後期の目玉展示の1つが奈良・如意輪寺の蔵王権現立像。彩色鮮やかな厨子(通期展示)の中でこの立像のお姿を拝見できるのは18日までの期間限定。高さが2mを超える金峯山寺の釈迦如来立像や金剛峯寺の不動明王立像も圧倒的な存在感を放っている。

     

 蔵王権現立像は全部で4体展示中。如意輪寺の像(写真㊧)は運慶の弟子で平安後期~鎌倉前期に活躍した源慶の作。メラメラと燃え上がる背後の赤い炎が憤怒の形相により迫力を与えている。厨子は扉の内側や壁面に吉野の桜や紅葉を背景に役行者や子守明神、勝手明神などの神々が描かれている。像と厨子はともに国の重要文化財。奈良・櫻本坊蔵の役行者倚坐像(重文、写真㊨)は鎌倉時代14世紀の作。左手に経巻、右手に錫杖を持ち足には高下駄。口を大きく開け笑っているような穏やかな表情で、山岳修行者という厳しい雰囲気を感じさせない。

 金峯神社蔵の「藤原道長経筒」は道長が1007年に金峯山(現在の山上ケ岳)山頂に参詣した際、写経した法華経などを本堂の前に埋納したもの。直径約16cm、高さ約36cmの銅製金メッキで、円筒の表面は今なお金色の輝きを放っている。展示物120点余の中で国宝に指定されているのはこの経筒と「熊野速玉大神坐像」の2つ。坐像は平安時代9~10世紀頃の作品で、高さ1mほどの重量感を感じさせる木像。頭に大きな冠を載せて真正面を見据える表情には威厳が満ち満ちている。

 金剛峯寺の不動明王立像(重文、12世紀)は高さが2.8mと見上げるほど。空海が半身を彫刻したところ、春日明神より半身がもたらされ、合体したところぴったり合ったという。そのため「合体不動」とも呼ばれる。右手に持つ宝剣の輝きがひときわ目立つのは後世の補作によるものだろうか。金峯山寺の聖徳太子・二王子立像(重文、13世紀)や世尊寺の十一面観音立像(8世紀)、金峯山寺の釈迦如来立像(14世紀)などの存在感も圧倒的。

 和歌山・海蔵寺の菩薩形坐像(14世紀)は熊野別当湛増が源平合戦の折、軍船に安置し戦勝祈願したという。大峯山寺の如来・菩薩坐像(重文、10~11世紀)の2体は純度の高い金製で高さが3~4cmほどのミニアチュア。本堂の解体修理に伴う発掘調査で出土した。他に和歌山・青岸渡寺の大日如来坐像(那智山経塚出土)、三重・善教寺の阿弥陀如来立像、京都・細見美術館蔵の熊野十二所権現懸仏(いずれも重文)なども展示されている。

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<トバタアヤメ> 葉丈より低く咲く超小型の〝伝説の花〟

2014年05月11日 | 花の四季

【日本固有のアヤメの新変種、5年前に学名決定】

 トバタアヤメは草丈が10~15cmほどで、普通のアヤメよりずっと小さくて愛らしい。小型のアヤメでは「三寸アヤメ」(チャボアヤメとも)がよく知られている。これは一般のアヤメと同様、花茎を葉の上まで伸ばすが、トバタアヤメは花茎が短く、葉陰に可憐な花を付けるのが特徴。2009年、日本固有のアヤメの新変種として認定され、北九州市戸畑区の地名にちなみ「イリス・サングィネア・バラエティー・トバタエンシス」という学名が付けられ、和名もトバタアヤメと命名された。

 トバタアヤメについては明治初期刊行の『福岡県地理全誌』に登場する。「俗ニ小杜若ト称ス。大ナルモ2、3寸ニ過キス。小ナルハ寸余ナリ。4月頃、紫色ノ花ヲ開ク。人愛シテ他ニ移シ植レバ其性変シテ、茎伸ヒ花も亦少シ」――。かつては自生地域から「小澤見野の小杜若(コゾミノノコカキツバタ)」と呼ばれ、明治末期まで原野で自生していたらしい。だが、その後絶滅したとみられ〝伝説の花〟とされてきたが、1958年、戸畑区大谷の農園で生き残っていたことが判明。以来、市民による保存・増殖活動が続けられてきた。

 トバタアヤメは紫花が一般的だが、変種に白花や、白地に紫色のぼかしが入った白絞りがある。花期は5月上旬から中旬にかけて。日当たりや水はけの良い場所を好み、寒さや病気にも強い。ただ水や肥料を与えすぎると、草丈ばかり大きくなって花付きも悪くなるという。トバタアヤメは1990年に開かれた大阪花の万博では「郷土の花部門」で銅賞に選ばれている。

 地元では「戸畑あやめ」として親しまれ、今では戸畑あやめ公園(1980年開設)をはじめ戸畑区役所屋上庭園、戸畑高校、北九州市立高校、明治学園、あやめが丘小学校などで大切に栽培されている。戸畑あやめ公園では見頃の時期に合わせて毎年「あやめ祭り」を開催。今年も今月6日、13回目の祭りが開かれ多くの市民でにぎわった。

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<オオカメノキ> 枝先にガクアジサイに似た大きな白花

2014年05月06日 | 花の四季

【ガマズミ属の落葉低木、「ムシカリ」の別名も】

 スイカズラ科ガマズミ属の落葉樹で、北海道から九州まで全国各地の山地に自生する。花期は4~6月頃で、枝先にガクアジサイに似た形の白い花を付ける。真ん中に集まった小さな両性花の周りを、直径3cmほどの大きさの装飾花が車状に取り囲む。雄しべと雌しべを持っているのは両性花。装飾花は花弁が変化したもので受粉はできない。

 オオカメノキの和名は丸くてシワの多い葉が亀の甲羅に似ているから「大亀の木」になったといわれるが、他にも諸説がある。ガマズミの漢名「キョウメイ」が「カメ」に転訛し、大きなガマズミとしてオオカメノキになったという説や「大神の木」に由来するという説など。オオカメノキは「ムスカリ」の別名でも呼ばれる。これは葉が虫に食べられやすいことから来ており、語源は「虫狩」からとも「虫食われ」の転訛したものともいわれる。

 同じガマズミ属の仲間にガマズミ、ヤブデマリ、ゴマギ、サンゴジュなど。オオカメノキの花はこのうちヤブデマリによく似ているが、ヤブテマリが枝を水平に伸ばすのに対し、オオカメノキは斜め上に伸ばす。葉の基部の形はヤブデマリが円形なのに対し、オオカメノキはハート形にへこんでいるのも特徴。材がしなやかで折れにくいため、古くは輪かんじきの材料として用いられ、縄の代用の「ネソ」としても使われてきた。実は野鳥の好物。初め赤くなり、その後、次第に黒く熟す。

 東京・山梨の都県境にある日本三百名山の1つ、三頭山(みとうさん、標高1531m)の近くに「ムシカリ峠」がある。この名前は昔、その周辺にオオカメノキが多く自生していたことによるという。オオカメノキは環境省のデッドデータには登録されていない。ただ、東京都では絶滅の危険性が極めて高いとして絶滅危惧Ⅰ類に指定されている。他の都道府県では鹿児島で同Ⅱ類、山口で準絶滅危惧種になっている。

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<バレー黒鷲旗(女子)> 準決勝は東レ―日立、デンソー―トヨタ車体

2014年05月05日 | スポーツ

【フルセットで東レは岡山、日立はJTを下す】

 第63回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会は4日、大阪市中央体育館で準々決勝4試合が行われた。第1、第2試合はいずれも2時間に及ぶフルセットの熱戦。プレミアリーグ3位東レと同2位岡山の注目の対戦は東レが激闘を制し、日立はJTを下した。第3試合はデンソー、第4試合はトヨタ車体が勝って4強入り。準決勝は東レ―日立、デンソー―トヨタ車体の組み合わせとなった。

 東レ―岡山戦はエース同士の壮烈な打ち合いとなった。東レが迫田や高田の強烈スパイクで第1、第3セットを25―20、25―16で奪うと、岡山は福田の強打や山口の移動攻撃などで対抗し第2、第4セットを25―14、25―22で奪い返す。第4セットは序盤、東レが先行するが、岡山が途中から投入された栗原の活躍で中盤以降、徐々に引き離して勝負を最終セットに持ち込んだ。(写真㊧は激しい最終セットの攻防。スパイクを打ち込むのは岡山の福田)

   

 第5セットは前半、東レがサーブで岡山を崩し8―4でコートチェンジ。その後、岡山は福田の強打などで9―9と追いつき、その後も1点ずつ取り合って12―12と緊迫した戦い。しかし、東レが福田をブロックで止めて14―12と引き離し、最後は15―13で逃げ切った。岡山は第3セットでセッター宮下とスパイカーの呼吸が合わない場面が数回あった。最終セットでも肝心なところで福田のタイミングが合わなかったのが残念だった。(上の写真㊨は日立―JT戦。右奥では男子準々決勝第2戦で東レを破り歓喜にわくサントリーの選手たち)

 日立―JT戦は日立の江畑の活躍が光った。第1セットを20―25で取られるが、第2、第3セットを江畑のバックアタックや高橋、内瀬戸の強打で圧倒し25―14、25―17で奪取。第4セットは22―25で奪い返されるものの、最終セットは江畑のスパイクやブロックなどが決まって15―7と一方的な展開となった(写真下㊧はJTを破り準決勝進出を決めた日立のメンバー)。第4セット中、隣の男子コートではサントリー―東レがフルセットの死闘を展開。サントリーが第3、第4セットを奪い返し、さらに最終セットをジュースの末16―14で勝つと、会場内にはこの日一番の大歓声が沸き起こった。

  

 第3試合はチャレンジリーグのデンソーがパイオニアに第2セットをジュースの末奪われたものの、セットカウント3―1で下して6年ぶりに準決勝進出。大竹のスパイクやフェイント、キャプテン井上の移動攻撃などが要所で決まった(上の写真㊨はデンソーの選手たち。ユニフォームの後ろに挟んだ鍋谷のトレードマークの床拭きタオルを石井が手でなでるような仕草)。トヨタ車体は3―0で昨年準優勝のNECに快勝した。

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<BOOK> 「高峰秀子の言葉」

2014年05月04日 | BOOK

【斎藤明美著、新潮社発行】

 半世紀にわたって300余本の映画に出演した大女優、高峰秀子(1924~2010年)。編集者・ライターの著者は取材を通じて引退後の高峰に身近に接し、晩年は養女として付き添った。本書は高峰が生前、著者の面前でさらりと口にした言葉の数々を、その場の光景や空気も交えながら紹介する。著者は「高峰の物言いが好きだ」と記す。「伝法だが、品がある。言葉に嘘がなかった。飾りや婉曲、蛇足が全くなかった」。潔い率直な表現の中に高峰の鋭い感性や波乱の人生が凝縮されている。

     

 『「親兄弟、血縁」と聞いただけで、裸足で逃げ出したくなる』。これは著者が高峰と死別するまでの20年間に親族について聞いた唯一の言葉。5歳のとき子役としてデビューした高峰はほとんど学校に通えず、その双肩に養父母をはじめ十数人の親類の生活がかかっていた。高峰の心の底には親族への強い拒否反応が鬱積していた。だから55歳で女優を引退した後、全ての血縁と縁を切った。

 『学校にゆかなくても人生の勉強は出来る。私の周りには善いもの、悪いもの、美しいもの、醜いもの、なにからなにまで揃っている。そのすべてが、今日から私の教科書だ』。これは14歳のときに呟いた言葉。著者が直に聞いたものではなく、自伝「わたしの渡世日記」の中に登場する。高峰は「女学校に入れてやる」という条件に引かれ松竹から東宝に移ったものの、仕事に追われてほとんど登校できなかった。

 『私、その成れの果てです』。高峰が70代初めの頃、近くの魚屋に行ったときのこと。店主に近くに住んでいることを告げると、「あそこには女優の高峰秀子さんが住んでいるんですよ。知ってました?」と店主。それに対し、間髪入れずに言ったのがこの言葉。驚いた店主は口をあんぐり。その痛快な場面が目に浮かぶ。

 『他人(ひと)の時間を奪うことは罪悪です』。これは養女になる前から「おかあちゃん」と呼んでいた高峰の声を聞きたいと、何度も電話していた著者本人に対する言葉。高峰は相手の都合などお構いなしに会話を強制する電話を嫌っていた。著者は高峰が自分から誰かに電話している姿を見たことがなく、ファンからの電話には「手紙にしてください」と応えていた。

 『こんな所で喋ってないで、うちへ帰って本でも読めッ』。午後3時すぎ、東京のホテルでのインタビュー後、席を立って店内を見回すと中高年の女性ばかりで埋め尽くされていた。そこで著者だけに聞こえる音量で発したのがこの言葉。『男の人は職場で見るに限ります』は、夫で映画監督の松山善三との馴れ初めを聞いていたときの発言。高峰は『仕事場で見ると、特に男はその人がむき出しになるからね』と続けた。

 他にも快哉を叫びたくなる言葉、示唆に富む言葉、耳に痛い言葉が並ぶ。『人はあんたが思うほど、あんたのことなんか考えちゃいませんよ』『食べる時は一所懸命食べるといいよ』『私はイヤなことは心の中で握りつぶす』『緊張してたら太りませんッ』『自分から女優というものをとってしまったら何もない、そういう人間にはなりたくないと思った』『いい思い出だけあればいいの。思い出はしまう場所も要らないし、盗られる心配もない』……。

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<リュウキンカ(立金花)> 直立した茎に黄金色の5弁花

2014年05月03日 | 花の四季

【ミズバショウとともに春の湿原を彩る湿生植物】

 キンポウゲ科の湿生植物。4~6月頃、まっすぐ立ち上がった花茎の先に直径2~3cmの黄金色の花を咲かせる。「立金花」の名前もその花姿から付いた。花茎は高さ20~50cm。花びらのように見えるのは萼片で、通常5枚だが時に6~7枚のものも。花期や自生地が似ているミズバショウが近くに咲いていることが多い。

 近縁の「エゾノリュウキンカ」は草丈が60~80cmにもなって花も大きく、フキに似た葉の形などから「ヤチブキ(谷地蕗)」とも呼ばれる。分布地域は東北から北海道にかけて。「ヒメリュウキンカ」はヨーロッパ~シベリア原産で、逆に花が小さく可憐なため園芸用として渡来した。「エンコウソウ」は花茎が立ち上がらず横に長く伸びて、倒れた茎の節から発根して広がる。その様子を古く「猿猴(えんこう)」とも呼ばれたテナガザルにたとえた。

 西日本でリュウキンカの群生地として有名なのが岡山県新見市哲西町の鯉が窪湿原。吉備高原の北西に位置し、300種を超える多様な湿生植物群落から「西の尾瀬」とも称されている。1980年には国の天然記念物に指定された。リュウキンカの見頃は例年5月の連休中。これに合わせ毎年5月3日に「湿原まつり」を開いており、今年も県重要無形民俗文化財「太鼓田植え」の実演などがある。

 長野県飯山市の斑尾高原沼の原湿原もちょうど今がリュウキンカとミズバショウの見頃。5月3~5日に開かれる「いいやま菜の花まつり」では会場の菜の花公園と斑尾高原をバスで結ぶ。他に長野市郊外の飯綱高原大谷池湿原、信濃町の戸隠高原古池湿原、岐阜県飛騨市宮川町の池ケ原湿原などでも毎年この時期、咲き誇るリュウキンカとミズバショウを同時に楽しむことができる。

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<バレー黒鷲旗(女子)>〝春高〟覇者の九州文化学園高、東レを苦しめる

2014年05月02日 | スポーツ

【JTは上尾に3―1で〝入れ替え戦〟の雪辱】

 第63回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会が1日、大阪市中央体育館で開幕した。女子の出場はVプレミアリーグ7、Vチャレンジリーグ4、大学3、高校2の合計16チーム。4組に分かれ上位各2チームが4日からの決勝トーナメントに進む。初日の注目カード、プレミアのJTとチャレンジの上尾メディックスの対戦はJTが3―1で上尾を破り、2戦2敗したVチャレンジマッチ(入れ替え戦)の雪辱を果たした。春の高校バレー優勝校、九州文化学園高と2位の東九州龍谷高の善戦も光った。

 2013~14プレミアリーグは久光製薬が2年連続で制したが、4月のアジア・クラブ選手権(タイ)でも優勝し世界クラブ選手権(スイス)に出場するため、黒鷲旗への出場を辞退した。このため、優勝争いはプレミア2位と過去最高の成績を収めた岡山と、3位だった東レの2チームを軸に展開しそうだ。

   

 グループ戦で激戦が予想されるのがトヨタ車体、JT、上尾が入ったC組。初日のJT―上尾戦はJTが第1セットを25―20で先取すると、第2セットは上尾がジュースの末26―24で奪い返す接戦(上の写真㊧はスパイクを打ち込む上尾の小笹)。だが、第3セットに入るとJTが石井のサービスエースや奥村の強烈スパイクなどで25―12と圧倒、第4セットもその勢いを持続し25―18で締めた。トヨタ車体は東京女子体育大を3―0(25―22、25―20、25―17)で寄せ付けなかった。

 岡山はKUROBEと対戦。第1セットの前半はセッターと攻撃陣の呼吸が合わない場面もあって途中まで10―10と接戦。だが、その後は栗原のスパイクや福田のエースなどで一気に引き離した。栗原はスパイクだけでなくサーブの威力も健在で、表情にも余裕が見えた(上の写真㊨)。スコアは25―14、25―16、25―16。

 

 一方、東レは九州文化学園高を3―0と完封したものの、その数字以上に苦戦を強いられた。特に25―22、25―11で迎えた第3セットは一進一退の点の取り合いで、九州文化に23―24でセットポイントを握られる場面もあった(上の写真㊧)。結局、ジュースの末28―26で負かして、どうにかプレミア3位の面目を保った。九州文化とともに東九州龍谷もNECにストレート負け(18―25、20―25、16―25)したものの健闘。会場は高校チームの頑張りに拍手を惜しまなかった(上の写真㊨は東龍―NEC戦)。

 

 日立はPFUを相手に江畑や佐々木の強烈スパイクやフェイント、プレミアリーグ・スパイク賞のパオリーニの移動攻撃などで翻弄、25―16、25―21、25―10と寄せ付けなかった(上の写真㊧はバックアタックが決まってハイタッチする江畑)。デンソーは全日本大学選手権を制した鹿屋体育大に第2セット、ジュースに持ち込まれたが、3―0(25―17、26―24、25―17)で破った(写真㊨はデンソーの鍋谷)。パイオニアは同選手権2位の青山学院大に開始早々1―5と先行され、たまらずタイムを取る場面もあったが、その後は格の違いを見せストレート勝ち(25―18、25―15、25―16)。

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<リンゴ(林檎)> 枝先にふくよかな5弁花を5~6輪

2014年05月01日 | 花の四季

【ヨーロッパで4000年の栽培の歴史、日本では明治以降に本格化】

 バラ科。4~5月頃、枝先に5弁の白または淡紅白色の花を5~6輪ずつ付ける。和名のリンゴは漢名「林檎」の音読みから転訛したもの。最古の果樹の1つといわれ、ヨーロッパでは4000年以上の長い栽培の歴史がある。日本では10世紀の文献に「林檎、和名利宇古宇」として登場するが、これは中国原産の「ワリンゴ」と呼ばれるもの。19世紀になって「セイヨウリンゴ」が入ってくると、ワリンゴは食用とされなくなり今では接木の台木として用いられている。

 国内で本格的な栽培が始まるのは明治初期の1871年に北海道開拓使がアメリカから苗木75品種を持ち帰ってから。その後、冷涼な気候を好むリンゴの栽培は青森や長野を中心に広がり、新品種も多く生み出されてきた。「ふじ」「王林」「津軽」「世界一」「秋映(あきばえ)」……。国内収穫量(2012年)のうち青森(56%)と長野(21%)の両県で全体のほぼ8割を占める。リンゴの花は咲き始めてから10日ほどで散ってしまう。リンゴ農家はその間、実が大きくおいしく育つように中心の花以外を摘む〝花摘み作業〟に追われる。

 ヨーロッパでは長い栽培の歴史の中でリンゴにまつわる多くの神話や伝説が生まれた。アダムとイブがエデンの園で食べた禁断の果実はリンゴだったともいわれる。男性の喉仏を「アダムのリンゴ」というのはそのリンゴがアダムの喉に詰まったことから。他にもトロイ戦争の発端となった黄金のリンゴを巡る3人の女神の争い、息子の頭上のリンゴを弓で射るウイリアム・テルの話、リンゴの落下から万有引力の法則を発見したニュートンの話……。ドイツでは豊穣や美・愛の象徴としてリンゴの花で新郎新婦を飾る風習があったそうだ。

 リンゴは青森県の県花。弘前市や黒石市、秋田県横手市、長野県中野市、飯田市などの「市の木」「市の花」にもなっている。飯田市の大通りはリンゴ並木で有名。1947年の飯田大火の復興過程で、地元中学生たちがリンゴの木を植樹したのが始まり。今では「日本の道百選」「かおり百選」にも選ばれている。札幌市豊平区の環状通のリンゴ並木もこの飯田市をモデルに生まれた。約65品種1200本が咲き誇る「弘前市りんご公園」では5月6~18日「弘前りんご花まつり」が開かれる。「白雲や林檎の花に日のぬくみ」(大野林火)。

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