く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 「高峰秀子の言葉」

2014年05月04日 | BOOK

【斎藤明美著、新潮社発行】

 半世紀にわたって300余本の映画に出演した大女優、高峰秀子(1924~2010年)。編集者・ライターの著者は取材を通じて引退後の高峰に身近に接し、晩年は養女として付き添った。本書は高峰が生前、著者の面前でさらりと口にした言葉の数々を、その場の光景や空気も交えながら紹介する。著者は「高峰の物言いが好きだ」と記す。「伝法だが、品がある。言葉に嘘がなかった。飾りや婉曲、蛇足が全くなかった」。潔い率直な表現の中に高峰の鋭い感性や波乱の人生が凝縮されている。

     

 『「親兄弟、血縁」と聞いただけで、裸足で逃げ出したくなる』。これは著者が高峰と死別するまでの20年間に親族について聞いた唯一の言葉。5歳のとき子役としてデビューした高峰はほとんど学校に通えず、その双肩に養父母をはじめ十数人の親類の生活がかかっていた。高峰の心の底には親族への強い拒否反応が鬱積していた。だから55歳で女優を引退した後、全ての血縁と縁を切った。

 『学校にゆかなくても人生の勉強は出来る。私の周りには善いもの、悪いもの、美しいもの、醜いもの、なにからなにまで揃っている。そのすべてが、今日から私の教科書だ』。これは14歳のときに呟いた言葉。著者が直に聞いたものではなく、自伝「わたしの渡世日記」の中に登場する。高峰は「女学校に入れてやる」という条件に引かれ松竹から東宝に移ったものの、仕事に追われてほとんど登校できなかった。

 『私、その成れの果てです』。高峰が70代初めの頃、近くの魚屋に行ったときのこと。店主に近くに住んでいることを告げると、「あそこには女優の高峰秀子さんが住んでいるんですよ。知ってました?」と店主。それに対し、間髪入れずに言ったのがこの言葉。驚いた店主は口をあんぐり。その痛快な場面が目に浮かぶ。

 『他人(ひと)の時間を奪うことは罪悪です』。これは養女になる前から「おかあちゃん」と呼んでいた高峰の声を聞きたいと、何度も電話していた著者本人に対する言葉。高峰は相手の都合などお構いなしに会話を強制する電話を嫌っていた。著者は高峰が自分から誰かに電話している姿を見たことがなく、ファンからの電話には「手紙にしてください」と応えていた。

 『こんな所で喋ってないで、うちへ帰って本でも読めッ』。午後3時すぎ、東京のホテルでのインタビュー後、席を立って店内を見回すと中高年の女性ばかりで埋め尽くされていた。そこで著者だけに聞こえる音量で発したのがこの言葉。『男の人は職場で見るに限ります』は、夫で映画監督の松山善三との馴れ初めを聞いていたときの発言。高峰は『仕事場で見ると、特に男はその人がむき出しになるからね』と続けた。

 他にも快哉を叫びたくなる言葉、示唆に富む言葉、耳に痛い言葉が並ぶ。『人はあんたが思うほど、あんたのことなんか考えちゃいませんよ』『食べる時は一所懸命食べるといいよ』『私はイヤなことは心の中で握りつぶす』『緊張してたら太りませんッ』『自分から女優というものをとってしまったら何もない、そういう人間にはなりたくないと思った』『いい思い出だけあればいいの。思い出はしまう場所も要らないし、盗られる心配もない』……。

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