く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

〈奈良公園の鹿〉 発情期迎え気性荒く事故多発!

2024年10月24日 | メモ

【頭ぶつけ合う牡鹿、響き渡る太い鳴き声】

 「奈良のシカ」として天然記念物に指定されている奈良公園の鹿が秋の発情期を迎えている。鳴き声を上げ牝鹿を誘う牡鹿たち。牡鹿同士が頭を激しくぶつけ合う光景もあちこちで繰り広げられている 。

 気性が激しくなるこの時期は突然人に突進することもしばしば。今年は9月に43件もの人身事故があった。昨年の実に2.5倍という。公園の一角に立つのは「あぶない!オス鹿に注意」という看板。英語と中国語でも注意を呼びかけている。

 国立奈良博物館の旧館(仏像館)の前で座って鳴き声を上げる鹿がいた。角切りを終えて間もないような牡鹿だった。

 その鹿を上から見ると、頭に数箇所血が滲んだ痛々しい傷跡。 頭をぶつけ合った時に負傷したのだろう。

 「奈良の鹿愛護会」は角による事故を防ぐため、毎年300頭ほどの角を切っている。ただ、今年はまだ立派な角を生やした鹿の姿も目立つ。角の片方が根元近くから折れた鹿もいた。

 下の写真は公園からの帰途での1枚。大通り沿いの側溝で数頭の鹿が固まって一休みしていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈ならまちわらべうたフェスタ〉 12会場で多彩なイベント

2024年10月21日 | 祭り

【 紙芝居、大縄跳び、絵本ライブ、ふれあい動物園】

 奈良市のならまち界隈で10月20日「ならまちわらべうたフェスタ 2024」が開かれた。 ならまちは世界文化遺産元興寺の旧境内を中心とする旧市街地。ならまちセンターをはじめ12の会場で多彩なイベントが繰り広げられ、多くの子どもたちでにぎわった。

 ならまちセンターの芝生広場ではコンサートや紙芝居、アナウンサー体験などが行われ、周りには飲食などの模擬店も出店。奈良市のキャラクター「しかまろくん」の前には行列ができていた。(写真奥の高層ビルのように見えるのは 修復工事中の興福寺五重塔の素屋根)

 「どじょうつかみ」も人気を集めていた。1回100円で制限時間1分間。ぬるぬるしてなかなか難しそうだか、6匹つかまえたという子も。飼い方や「食べられる?」と聞いて持ち帰っていた。

 市民ホールでは「良弁一座」によって大紙芝居が上演された。演目は「不審ケ辻子の鬼」など奈良の昔ばなし。畳1畳分もある紙芝居は迫力満点だった。館内ではお手玉遊びやおもちゃの手作りなども行われていた。

 「春日若宮おん祭」の大宿所会場では子どもたちが大縄跳びや羽根つきに興じた。「郵便屋さん ハガキが十枚落ちました~」 などわらべうたに合わせてジャンプ。中には 100回以上跳んだ女の子もいた。秋晴れの下、みんなも笑顔で輝いていた。

 奈良町物語館では「言の葉の羽」 による“絵本ライブ”が開かれていた。ここも親子連れで盛況だった。

 もちいどのセンター街の駐車場は「ふれあい動物園」の会場に。手にはめた軍手で恐る恐るミニ豚など小動物を触るチビッ子たち。ここでは有料でメダカすくいも行われていた。

 奈良市史料保存館には大和の民謡やわらべうたの録音⋅採譜に取り組んだ牧野英三さん( 1921~2003 )に関する資料などが展示されていた。江戸時代の子どもたちが遊ぶ様子を描いた「大和名所図会」(1791年)も。

 その隣の奈良市杉岡華邨書道美術館や奈良町にぎわいの家、奈良市音声館、奈良町からくりおもちゃ館なども子どもたちでにぎわった。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈妖怪書家⋅逢香さん〉 東大寺観音院で「逢香展in東大寺」

2024年10月19日 | 美術

【妖怪に託した風刺書画など約40点】

 東大寺法華堂(三月堂)のそばにある観音院で、“妖怪書家”として知られる逢香(おうか)さんの個展が開かれている。 元ミス奈良(2014年)で、奈良市観光大使として活躍中の逢香さん。テレビ出演もあって知名度も高く、連日多数のファンが詰めかけている。会期は明日20日まで。

 逢香さんは大阪出身で現在奈良在住。6歳の頃に書道を習い始め、奈良教育大学(伝統文化 教育専攻⋅書道教育専修)を卒業した。妖怪に興味を持ったのは大学で変体仮名の授業を受けたのがきっかけという。2021年からNHK 奈良の「逢香の華やぐ大和」に出演中。

 会場の観音院入口正面には『あつまれ文字たち』という作品が展示されていた。独特の書体はタイポグラフィー というそうだ。「気に入った子(もじ)たちに 集合をかけました 」との説明が添えられていた。

 屏風仕立ての上の作品は タイトルが 『現代社会に龍出現』。現代っ子は みんな龍なんて恐れることなく、珍しがってスマホで写真を撮ったりしている。

 『よくくらべ』は今年制作した最新作の一つ。 ハリセンボンで 「比」の字を叩く人たち。それを止めさせようと「怒⋅羨⋅憎⋅妬」の顔を持つ化け物たちが駆けつける。

 『嘘つき』(写真は部分)も最新作。 臼と杵の化け物がつくのはお餅ではなく「 嘘 」の文字。だから嘘つき。臼から舞い上がる文字の勢いが、世間に嘘が蔓延している様を表しているようだ。

 『般若』は横長の大作。東京でPV(プロモーションビデオ)の撮影の合間に、なんとわずか1日で描き上げたという。

 俳優八嶋智人さん(奈良市出身)とのコラボ作品も展示中。八嶋さんも長年、奈良市観光特別大使を務めている。逢香さんが水墨画で鹿を描き、八嶋さんが左上に奈良への思いを込めて「想」の 1文字を墨書した作品。 その前で 中年の女性が逢香さんを「多才な方ね」と評し「鹿の絵も生き生きして」と見入っていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈米原曳山まつり〉 子ども歌舞伎「恋飛脚大和往来 封印切」

2024年10月14日 | 祭り

【小学生の男児7人、湯谷神社で熱演を披露】

 滋賀県米原市の「米原曳山まつり」が10月12~14日の3日間、秋晴れの下で繰り広げられた。江戸時代からの長い伝統を誇る祭り。“本楽”の13日には鎮守社の湯谷神社で子ども歌舞伎が奉納され、熱演に観客から温かい拍手と声援が送られた。

 この曳山まつりは長浜の曳山祭を見習って始まったという。曳山は北町の旭山、中町の松翁山、南町の壽山の3台あり、今年は松翁山で子ども歌舞伎が披露された。役者は3つの町から選ばれた小学1~6年の男児7人。13日には午前9時から”御渡り“があった。

 市役所前を出発した行列は途中小休止を挟みながら1時間かけて湯谷神社へ。その後、神事が営まれ、歌舞伎を演じる男児たちは神妙な表情でお祓いを受けていた。

 子ども歌舞伎の今年の演目は近松門左衛門の「恋飛脚大和往来」の2幕目「封印切」。市川団四郎さんが振り付けを指導した。語りの太夫は竹本龍豊さん、三味線は豊澤賀祝さん。三番叟で幕開けした。物語の舞台は大坂。大金を扱う飛脚問屋の若旦那忠兵衛は遊女梅川と恋仲になる。

 だが、身請けに必要な250両という大金はとても用意できない。そんな中、忠兵衛の友人、八右衛門が梅川を身請けしたいと言い出す。廓「井筒屋」の主人はその申し出を断った。

 すると、八右衛門は忠兵衛の悪口を散々言い立て、金がないことをあざ笑う。カッとなる忠兵衛。次の瞬間、懐に入っていた店の金を出し50両、100両と次々に封印を切ってしまう。

 忠兵衛は罪の大きさにおののき、梅川にすべて打ち明ける。そして二人は心中を決意するのだった。

 終演後、曳山の周りには多勢の観客が押し寄せ、熱演を称えていた。役者の子どもたちも大役を果たした安堵からか、柔和な表情を振りまいていた。

 この後、曳山は神社を出て、だらだら坂を下り、南北に走る目抜き通りへ。そこでもほぼ2時間おきに場所を変えながら3回、子ども歌舞伎をお披露目した。

 米原では囃子のことを「シャギリ」と呼ぶ。それぞれの山組に保存会があり、独自のシャギリが伝わっているそうだ。リズミカルなシャギリの響きが心地いい。宵宮の12日には曳山が6年ぶりにJR ⋅ 新幹線の線路を跨ぐ米原跨線橋を越えて西町を巡行した。伝統の祭り保存へ地域を挙げて取り組む熱気がひしひしと伝わってきた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈帝塚山大学付属博物館〉 企画展示「眠具ーねむりの道具と文化」

2024年10月06日 | メモ

【近世の箱枕や香枕、宝船図なども】

 帝塚山大学付属博物館(奈良市帝塚山)で第18回企画展示「眠具ーねむりの道具と文化」が開かれている。近世の箱枕や陶製香枕に加え、古墳時代の玉枕、中国⋅北宋時代の陶製枕、さらには宝船図など夢に関わる資料も展示されている。(下の写真は大阪府高槻市⋅阿武山古墳出土の玉枕=復元品)

 企画展の参観は日経新聞10月5日付朝刊で「『殿様枕』とめまい」という記事を目にしたことから。国立循環器病研究センターが1月、高い枕を使っていると脳卒中の一因である突発性椎骨動脈解離の発症リスクが高まるとして「殿様枕症候群」と名付けたという。折よく「眠具」展開催中。そこで江戸時代の枕の実物を見ようと思い立ったわけだ。

 上と下の写真は江戸~明治時代の「漆塗船底箱枕」。いずれも髷や結髪が崩れないよう、高さがやや高め。下の枕は底が弧を描き髪形が崩れないよう、頭の動きに合わせ左右に揺れる。

 江戸~明治時代には化粧道具や貴重品を収納できる引き出し付きの物入れ枕も作られた。それにしても、どの箱枕もかなり高い。日経の記事によると、当時から「4寸(約12㎝)だと髪形が乱れないが3寸(約9㎝)の方が長生きする」といった説があったそうだ。

 下は明治~大正時代の陶製香枕。中に香を入れて焚くと、良い香りに包まれて寝ることができる。

 中には約1000年前の中国製も。北宋時代(960~1127)の磁州窯(現河北省磁県)の「白地劃花牡丹文枕」。牡丹の文様に透明の釉薬をかけた優美な一品だ。

 枕以外には宝船図なども展示中。京都⋅五條天神社の宝船図は舟に稲穂が乗ったシンプルな構図。この天神社の図柄が宝船図の最古のものとの説もあるそうだ。

 「聖護院門跡 宝船図」(明治時代)には帆に悪夢を食べてくれるという貘(バク)の文字、その周りには七福神を象徴するもの、例えば百足(毘沙門天)、巾着(布袋)、鶴⋅松(福禄寿)などか描かれている。企画展示の会期は11月2日まで。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする