く~にゃん雑記帳

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<ふるさとミュージアム山城>「笠置寺の涅槃図と南山城の仏画・大般若経」

2014年05月14日 | 考古・歴史

【村人の篤い信仰の歴史を物語る仏画や経典】

 京都府木津川市の「ふるさとミュージアム山城」(京都府立山城郷土資料館)で企画展「笠置寺の涅槃図と南山城の仏画・大般若経」が開かれている。南山城各地に残る涅槃図や仏画、大般若経を一堂に展示しており、かつての村人たちの篤い信仰の様子が伝わってくる。6月15日まで。

 涅槃図は釈迦が沙羅双樹の間で入滅する場面を描いたもの。中央の寝台に横たわる釈迦を嘆き悲しむ諸菩薩や弟子、様々な動物が囲み、母親の摩耶夫人(まやぶにん)が天空から飛来する。南山城の寺院でも釈迦が亡くなった2月15日の涅槃会には毎年、宗派を問わず涅槃図を本尊としてまつってきた。

    

 笠置寺の絹本著色仏涅槃図(上の写真)は縦228cm、横223cmもあるほぼ正方形の大きなもの。釈迦が右手を前に出し足をそろえている姿や、普通白く描かれるゾウがねずみ色になっている(左手前)のは、中国の宋・元時代の涅槃図の影響によるとみられる。作者は笠置寺が江戸中期の享保14年(1729年)に図の修理を藤堂藩主に願い出た文書から、室町時代に活躍した東福寺の画僧・明兆(1352~1431)と分かった。展示中の涅槃図の中には大津絵ふうの筆致で描かれたユーモラスなものも。これは江戸後期に活躍した四条派の前川五嶺(1805~76)の作。

 大般若経は600巻から成る経典で、日本には唐の玄奘三蔵がサンスクリット語から漢訳したものが伝わった。「読誦すれば悪を去る」といわれ、各地の寺院で国家や村落の安寧を祈願して読誦する大般若会が開かれた。展示中の8点の大般若経のうち、地蔵院(宇治市)蔵は表紙見返し(下の写真㊨)に文殊菩薩騎獅像の木版画があり、奥書(同㊧)には弘安2年(1279年)に西大寺の叡尊が蒙古の再来襲に備えて平岡社(東大阪市の枚岡神社)に奉納したものである旨を記している。

       

 大般若経は神前でも読誦されることも多く、現在まで伝わっている神社もある。水度(みと)神社(城陽市)の大般若経もその一つ。もともとは鎌倉時代に岩清水八幡宮にあったもので、慶長9年(1604年)に天神社(現水度神社)で書写された。多賀郷土史会(井手町)蔵の大般若経はそれまであったものが腐ってきたため経塚に納め、村人が寄進を集めて新たに購入し、享保9年(1724年)、大梵天王社(現高神社)に奉納された。村人にとってこの経典がいかに大切なものだったかを物語る。

 仏画では十三仏画や三尊来迎図が展示されている。十三仏画は人の死後、三十三回忌までの法要の本尊である諸仏菩薩を1枚の画幅に収めたもの。展示中の木津川市登大路区蔵のものは室町時代の作。初七日の本尊不動明王から三十三回忌の本尊虚空蔵菩薩までを、下から上へ順番に描いている。三尊来迎図は西方浄土から死者を迎えに来る阿弥陀如来と勢至・観音両菩薩を描いた図。人々はこれらの仏画に極楽往生への願いを込めた。(後期の20日から一部展示替え)

コメント (1)
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