経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

日本経済・戦後3度目の転換点

2018年10月28日 | 経済
 10%消費増税が決まり、この国は、どうしても成長したくないらしい。せっかく戦後70年余りでたった3度しかない成長加速の転換を果たしたのに、わざわざ壊しに行かずとも良さそうなものである。単純な増税反対論者はいるけれど、2021年度末に基礎的財政収支の赤字がゼロになる軌道にあること(9/23)を知らないから、負担を嫌がっているだけにしか見えず、まるで説得力がない。余計なマネをせず、現状維持に留めることが、これほど難しいとはね。

………
 日本経済が成長加速の転換点を迎えたのは、高度成長の出発点となった1954年、バブル景気の出発点だった1983年、そして、今の景気の出発点である2014年の3度しかない。それほど現状は貴重であり、つまらぬ拘りで失うのは惜しい。転換点が見て取れるのが下図の消費率の動向だ。それぞれの年でピークをつけ、これ以降、消費率とは裏腹の投資率が高まって行き、成長が加速するわけである。

 1954年から6年間は、神武・岩戸景気に当たり、高貯蓄高投資の高度成長の経済構造が形作られた時期だった。1983年からの8年間は、経済大国として名をはせ、バブル景気へと向かう道程である。2014年から今へ至る4年間は、出発点があまりに悪過ぎ、未だリーマン前並みに戻ったくらいの水準だから、好況の実感はないにしても、これからというところで、消費増税の大ブレーキをかける。

 歴史的にみると、長期的な波動を示す消費率の山谷以上に重要なのは、1997年からの上昇局面だ。大規模な緊縮財政によって、それまでの高貯蓄高投資の経済構造が壊れて、デフレ経済へ移行してしまったからだ。社会的にも貧困と格差が広がって行く。いわば、豊かさと平等の「戦後」は、ここで終わった。人為的に需要ショックを与えることは、歴史的な画期をもたらすほどの重大な結果を残すのである。

(図)



………
 戦後の日本経済史において、高度成長は時代の波に乗っただけと評価されるのが普通である。そこには、誰がやっても似たような結果が得られたであろうという含意がある。しかし、失われた20年を経験して、敢えて成長の足を引っ張るような経済運営をしないことが、どれほど難しいか実感させられる。どうすれば成長するのか、本当のところが分かっていないので、どうしても「角を矯めて牛を殺す」ようなことをしでかす。

 振り返れば、高度成長だって、貿易立国ではなく、輸入代替の隘路に迷い込む可能性もあった。これで失敗した途上国が多かったからこそ、日本の高度成長は奇跡とも称されたのである。輸出を牽引力にして成長を確保する戦略は、日本に続く国々が雁行的に現れ、いまや経済開発の常識にまでなっているけれども、それは結果が分かったから言えることであり、当然の選択ではなかった。

 加えて、日本の高度成長では、熾烈な人手不足にさらされても、欧州と異なり、外国人労働者を入れなかった。これが賃金上昇を通じての再分配に働き、社会保障が充実しているとは言いがたい中でも、安定した平等社会を実現できた。人手不足であればこそ、省力化投資もなされるし、産業構造も高度化する。おそらく、これも、失ってみなければ分からない功績ということになろう。


(今日までの日経)
 入管法改正案 異論相次ぐ。免税事業者に課税 軽減税率の財源、1兆円確保へ。新NAFTA エンジン域内生産義務に。ガソリン4年ぶり高値。消費増税 円安の経験則。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする