KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

線で繋ぐ山歩き・阿讃縦走路 六地蔵越~箸蔵街道

2021年12月09日 | 香川の里山


今週は阿讃縦走路第三回目。先週歩いた六地蔵越から中蓮寺峰・若狭峰へ。

そして猪鼻峠から箸蔵街道を経て、財田駅へ下るルート。

この阿讃縦走路の道は、ほとんど荒れた場所が無く、良く踏まれていて

県外の登山道に比べると歩くのには問題ないのだが、日帰り登山となると

やはりデポする場所で計画が変わってくる。スタートする場所からデポする場所まで

出来れば30分程度の移動で済ませたいところだが、なかなか難しい。

しかも奥様たちは極端に悪路の山道を嫌がる。前回の六地蔵越までの道も、曼陀峠から

徳島県側を走ると、峠の手前が道幅もなく結構道が荒れていた。

逆に香川県側の道は状態も良く、走りやすい道が続いていた。

そこで今回はルリちゃんが計画を立ててくれ、歩く距離は長くなるが、

財田駅に車をデポして六地蔵越をスタート地点とすることになった。


財田駅に集合してルリちゃんの車でまずは六地蔵越を目指す。

前日の忘年会で久しぶりに飲み過ぎたせいで体調は最悪。

峠までのくねった道で胃のムカつきは徐々にピークに差し掛かった。

やっと着いた峠で車を降りた途端に吐き気をもようした。


峠の道は昨日の雨の痕がまだ残って路面も落ち葉も濡れていた。

今日はWOC登山部の方は相栗峠から大滝山を予定している。

『相栗峠の急登がも濡れていたら大変だな~』と奥様たちと話をする。

すると県境の標識の横からの取付きも見上げるほどの急登だった。『ありゃりゃ!』










幸い急登は数十メートルで終わり、縦走路の尾根道が始まった。

尾根道をしばらく歩くと左に地形図にも破線が載っている道が続いていた。

そのまま真直ぐ進んで行くと道は尾根の下を巻いて続いている。尾根に沿って登ると

四等三角点 六地蔵 631.8mなのだが、気が付かずにそのまま進んでしまう。










縦走路は単調な道が続いて行く。道の北側も木々に遮られてほとんど見晴らしもない。

途中で道の真ん中に大きなヌタ場。すっかり葉の落ちた木々の中を歩いて行く。
















地形図で徳島側の桧尾地区から山本町の河内に続いている破線の場所で、

道は直角に曲がっていた。それにしても胃のムカつきが酷い。

『KAZASHIさんの顔も酷い!』とあっちゃんが言うと、ルリちゃんがザックから

胃腸薬を取り出し手渡してくれた。ありがたや~!







と思ったら、奥様たちはどんどんスピードを上げて容赦なく先を歩いて行く。

その内に広場になった中蓮寺峰に着いた。あっちゃが初めてWOC登山部に

参加した時に紅葉谷から登ってこの場所に着いた。『あっ、ここは見覚えがある!』と。

奥様たちの笑顔に挟まれて、まだ私の顔は死んでいる。













中蓮寺峰の三角点は、山名標の後ろのこんもんり盛り上がった場所にあった。

四等三角点 中蓮寺峰 755.9m。三角点の横に〇米さんの字が消えた札があった。







今日のほぼ中間地点の猪鼻峠まではまだ6,3kmある。

中蓮寺峰から若狭峰までは幅の広い林道歩き。途中のヌタ場は車かバイクが通っているのか

ただの泥の水たまりになっていた。










若狭峰の三角点も小高い丘の様な場所にある。まだ足元の濡れた急登を登ると、平らな広場の

右手に少し盛り上がった場所に三等三角点 湿保谷 786.8m







この三角点から猪鼻峠への道が少し分かりづらく、広場は行き止まりになっていて

北側に道があったので一旦下ってみるが、YAMAPを見ると縦走路の方向とは違っていた。

広場まで戻り急坂を下り道を探すが水筋が付いた急な坂があるだけ。(恐らくこれが正解)

また急登を三角点まで登り、YAMAPを見ながらうろつくが踏み跡もない。

仕方がないのでYAMAPのコースに向かって木々の中の斜面を下って行くと、コースの線上に出た。

ただ道は荒れていて度々倒木を避けながら右に左に灌木の中を下って行く。







すると今度は地形図にも載っている道幅のある林道に飛び出した。

ここでコースは尾根に上がって県境を進むようになっているのだが、

地形図ではこの先で林道と尾根道が合流しているので、尾根に登るのもめんどくさくなって

そのまま林道を下って行ったのが間違いだった。右手の上に尾根を見ながら

杉林の中の林道をどんどん下って行くと小さな沢筋の道となった。

この沢の水が猪鼻峠の32号線に沿って財田町へと流れ、財田川へと流れている。














薄暗い杉林の中を前を歩く奥様たちは、ご近所さんの話に熱中して歩いている。

林道が沢の左岸から右岸になり、地形図の合流地点を過ぎても尾根と合流しそうな雰囲気でなく、

逆にどんどん離れて行っているような感じがしてきた。慌てて先を行く奥様たちに声をかける。

『お~い!このまま行くと縦走路から離れるぞ!』。










仕方がないので引き返し、尾根に登れそうな場所を探して無理やり尾根に取り付いて行く。

木々に掴まり柔らかい土の斜面をトラバース気味に登って行くと何とか尾根に出た。







尾根の縦走路は先ほどまでの薄暗い杉林の中の道とガラッと雰囲気が変わり、

日差しの届く明るい道。随分ロスした時間を取り戻そうと、奥様たちのスピードが上がっていく。







途中にある四等三角点 猪ノ鼻 635.3mを過ぎると道はまた道幅のある林道になる。

三角点からも歩きやすい道が続いて行く。最後に林道から降り立つと高い岩盤を削った

切り通しになった旧の猪ノ鼻峠に飛びだした。







阿波池田と琴平の間は高い山が連なり、相互の物資の往来には

とても不便をしていたのを、大久保諶之丞が四国新道の構想で、この猪ノ鼻峠が行き来が

便利になり、丸亀・多度津から琴平そして阿波池田を経て高知へと繋がれば、

四国の発展にもつながると考えた。当時の猪ノ鼻峠は人が荷物を担ぐか、馬に背負わせて

山道を登るしかなかったが、なだらかな道を開削し大八車や荷馬車が通れるようにしたのが

明治27年。それ以降、物資の往来は格段に増え、金毘羅参りに人も徒歩や人力車で

行けるようになったという。そんな状況で、この峠には十数軒の運送屋や旅館が並び、

昼でも三味線の音が聞こえ賑わっていたそうだが、今はその面影は伺い知れない。













切り通しを抜け香川県側に入ると、ここからは四国のみちになる。

しばらく林道を歩き、右手にある四国のみちの道標から山道へと入って行く。







道は自然林と杉林の道が続いて行くが、それぞれで道の雰囲気は全く違っていて、

自然林の中の道は、これでもか!という位に厚く落ち葉が積もっていた。










トラバース気味の道を登って、最後に丸太の急登の階段を登ると尾根道に出た。










三等三角点 増川 718.4mから道は北に向かって続いて行く。







採石場の立ち入り禁止の看板と左手にはそのロープが張られた道が続いて行く。

ロープが張られた尾根道から少し右に下って行くと、箸蔵街道との分岐に出た。

尾根道の左手には木々の間から、意外と遠くに若狭峰の電波塔が見えた。
















途中で『いぼ地蔵』の説明板。その説明板から右手に上がって

『いぼは無いけれど肌が荒れているので』と言いながら、ルリちゃんがお地蔵さんにお祈りしている。







いぼ地蔵の先に何やら怪しげな建物とフェンスに囲まれた場所があった。

ここから何を思ったのかルリちゃんが道から外れた建物の奥を進んで行く。

『県境を歩く』と言っているが、今までも県境を何度も外して歩いている。

フェンス沿いは藪になっていて、藪の奥に案内板らしきものが見えているが

木々に阻まれてなかなか前に進まない。

何とか藪の中から街道の道に戻ると、先ほど見えた案内板が二軒茶屋だった。










時間も丁度お昼時。体調も戻って食欲も戻ってきた。

思い思いに腰を降ろして昼食を摂る。荒れた胃袋に醤油ラーメンの出汁が染みわたる。







二軒茶屋で30分ほど昼食時間をとって再スタート。途中に箸蔵寺まで『五十八丁』の石柱。

二軒茶屋からは下るだけだと思っていたが、直ぐに登りが始まった。

大体山歩きは、山頂でお昼にしてその後は下りといったパターンが多い中、

お昼ご飯を食べた後の登坂は急に体が重くなったように感じて足も進まない。










登尾山への分岐の手前がピークとなり、そこには『石地蔵狸』の説明板。

今度は左手に入るとその石地蔵があった。箸蔵街道が人の行き来で賑わっていたこの道で、

今は登山者が歩く姿を静かに見守っている。







分岐を過ぎると直ぐに『薬師さん』の説明板があった。書かれている通りに岩の辺りを

見上げてみるが、下からでは薬師さんの姿は見当たらない。




薬師さんを過ぎると、道は尾根の東側を巻くようにして続いている。

途中では道の真ん中をトラクターが耕したように、イノシシが掘り返した跡が続いていた。

展望休憩所と書かれた道標から、右手に進むとほとんど見晴らしのない展望休憩所があった。

二軒茶屋から歩き始めて約1時間。ザックを降ろして一息入れる。










展望休憩所からはあとは一気に下るだけ。時々急な箇所もあるが、

また一段と奥様たちのスピードが上がっていく。

途中で一ヵ所だけ木々の間から北側の山を望める場所があった。

霞んではいるが坂出の城山とまんのうの城山

そして僅かだがおむすび山の飯野山が見えた。













道から外れた尾根上にある四等三角点 轟ノ滝 568.5mもパスして、

さらに下って行くと広い林道に出た。この道は道の駅たからだの里の東側から続いている道。

その林道を横断してさらに高度を下げて行くと、今度は大きな砂防ダムの下に出た。










砂防ダムからは車道が続いて行く。箸蔵街道の説明板によると、金毘羅さんにお参りした後

金毘羅さんの奥の院の箸蔵寺へ、当時この街道は毎日2・30人づつの人が列をなして行き来していたという。

今なら、先頭に旗を持ったガイドさんが観光客を案内している様な風景が目に浮かんでくる。










麓の里に出る手前に傾きかけた大きな『箸蔵寺百丁』が立っていた。ここから箸蔵寺まで

おおよそ11kmの距離。しかも峠を越えて奥の院に参拝するなんて、当時の人は

車が無いから当然だが、本当によく歩いていたんだと感心する。







猪避けのゲートを通り少し先に見える財田の駅まで里の畑の中を歩く。

振り返ると山肌は紅葉なのか枯れているのか?分からないが、オレンジ色に輝いていた。
















今回はルリちゃんの計画でデポ地点までを走りやすい道を選んでくれたが、

次回も私が思っていた東山峠よりさらに先の大川山までを

ルリちゃんは計画しているという。次も今回以上の距離となるので、

体調万全で望まないと、奥様たちの容赦ないムチは飛んでくるのだ・・・・・(笑)

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