作家、葉室麟の作品「随筆“柚子は九年で”」を読んでいたら「からくり儀右衛門」と言う名が出てきました。
本名田中久重は江戸後期の寛政11年(1799年)に九州の久留米に生まれ、明治14年(1881年)に亡くなりました。
幼少のころから才能発揮し「からくり人形」を次々と作って人々を驚かせました。からくり人形の「弓曳き童子」の動きを、TVで驚きの目で見た覚えがあります。
長じては「万年時計(和時計)」を造り、やがて国産で初めての「蒸気機関車」や「蒸気船」の模型や、官軍の勝利に貢献した「アームストロング砲」を作ったりして、のちに「和製エジソン」と呼ばれました。
晩年、東京の銀座に「工場兼店舗」を設け、数々の機器を発明作成し、明治初期の国家の発展に大きく貢献しました。このときをもって「東芝の創業」とされているようです。
創業者「からくり儀右衛門」が、「知識は失敗より学ぶ。事を成就するには、志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、その後に、成就がある」との遺訓を残しています。
久重の遺志と事業は、二代目久重となる弟子の田中大吉が受け継ぎます。大吉は久重が没した翌年、東京・芝浦に「田中製造所」を設立。久重の情熱と探究心のDNAはここにしっかり受け継がれ、そのDNAは今日の東芝の中に脈々と息づいている、はずでしたが・・・・・・・・・
国を代表するほどの大企業となった「東芝」でしたが、昨今の経営者はなにを勘違いしたのか、長年会計を『悪しくからくり』、国民・国家を欺いてしまいました。
泉下の「からくり儀右衛門」が、如何ばかり嘆いておられるかと、余所ごとながら思わずにはおれない、きょうの読書後感なのです。
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