先月20日の雑記「涙そうそう・・・」で「薬害肝炎被害者」の闘いが、この国の為政者の心に届かないことの嘆きを記しました。
人々の怒りに恐れをなしたか、政府はその後、議員立法で「被害者救済法」を形作ることを表明しました。
それから約10日あまり、昨日11日「薬害肝炎救済法」が参院の全会一致で可決成立しました。
被害者原告団が頑なに主張した「投与期間に関係なく一律救済」が受け入れられ、症状に応じて救済されるようです。
ですが、救済対象者になるには、カルテなど当該薬剤を投与したとの証拠書類が必要とされるため、救済対象者は限られたものとなるようです。
それにしても「被害者原告団」の人々の何年ぶりかの笑顔に、私達も救われる思いがするのです。
もう一つ原告団が要求していた「国の責任と謝罪」については、「・・・救済法」の前文に明記するとのことですが、これほど大きな問題を引き起こしたにしては「製薬会社」と「許認可行使の官僚」への直接的責任論はあまり話題になっていません。
そんなことよりも「被害者の救済」が最優先・・・との思いは当然ですが、国家として「二度とこのような事態を生じさせない努力を・・・」と言うからには、「救済枠を広げる」と同時に、当該企業と官僚への厳正な対処も必要だと考えます。
なぜならば、当該血液製剤「フィブリノゲン」を作ったのも、それを易々と認可し、他国が製造中止の処置を採ったあとも、危険回避への行動をとらなかった担当官僚は、あの『HIV被害』を生み出した時とそっくり同じだと思うからです。
言いたいことは、こんどの「肝炎薬害」と「HIV薬害」の間に、さほどの時間差が無い・・・と言うことです。
前例主義を口癖のように唱える官僚が、「HIV薬害」を貴重な前例として受け止めず、またまた同じような被害者を生み出してしまう・・・この風潮こそ「変な薬」よりもっと恐ろしいものに他なりません。
そんな風潮を取り除くためにも、当該企業と官僚(政治家も)への厳罰を科して然るべきと思ったりするのです。
でないと、「被害原告団」の人々の何年ぶりかの笑顔が、本当の笑顔にならないような気がするのですが・・・・
人々の怒りに恐れをなしたか、政府はその後、議員立法で「被害者救済法」を形作ることを表明しました。
それから約10日あまり、昨日11日「薬害肝炎救済法」が参院の全会一致で可決成立しました。
被害者原告団が頑なに主張した「投与期間に関係なく一律救済」が受け入れられ、症状に応じて救済されるようです。
ですが、救済対象者になるには、カルテなど当該薬剤を投与したとの証拠書類が必要とされるため、救済対象者は限られたものとなるようです。
それにしても「被害者原告団」の人々の何年ぶりかの笑顔に、私達も救われる思いがするのです。
もう一つ原告団が要求していた「国の責任と謝罪」については、「・・・救済法」の前文に明記するとのことですが、これほど大きな問題を引き起こしたにしては「製薬会社」と「許認可行使の官僚」への直接的責任論はあまり話題になっていません。
そんなことよりも「被害者の救済」が最優先・・・との思いは当然ですが、国家として「二度とこのような事態を生じさせない努力を・・・」と言うからには、「救済枠を広げる」と同時に、当該企業と官僚への厳正な対処も必要だと考えます。
なぜならば、当該血液製剤「フィブリノゲン」を作ったのも、それを易々と認可し、他国が製造中止の処置を採ったあとも、危険回避への行動をとらなかった担当官僚は、あの『HIV被害』を生み出した時とそっくり同じだと思うからです。
言いたいことは、こんどの「肝炎薬害」と「HIV薬害」の間に、さほどの時間差が無い・・・と言うことです。
前例主義を口癖のように唱える官僚が、「HIV薬害」を貴重な前例として受け止めず、またまた同じような被害者を生み出してしまう・・・この風潮こそ「変な薬」よりもっと恐ろしいものに他なりません。
そんな風潮を取り除くためにも、当該企業と官僚(政治家も)への厳罰を科して然るべきと思ったりするのです。
でないと、「被害原告団」の人々の何年ぶりかの笑顔が、本当の笑顔にならないような気がするのですが・・・・