kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

様々な事をする

2015-11-22 | 陸上競技
土曜日、この日は様々な事を練習の中でやろうと思っていました。前日の時点で山で練習をして更にはトレーニングを実施するということは伝えていました。学校では他の部活が練習試合のため走れません。山に行けば当然移動時間もかかるので効率的には良くありません。それでもこの日はやろうと決めていました。効率だけを考えていてはできないこともある。それは私だけの想いなのかもしれないですが。

集合してすぐに山へ。上がってすぐのところに曲がりくねった坂道があります。ここでおんぶ走を。とにかく基礎的な筋力を上げていこうと思っています。色々なことをやりながらそれを上げていく。これまではとにかく効率性を重視していました。走るために必要な事だけをやっていく。が、実際はその中に捨ててはいけない要素があった可能性はあります。競技レベルが上がっていけばそのためだけの練習が増えていきます。当然だと思いますが。が、それだけじゃない。原点に戻ってやっていくことも必要になると思いますね。

おんぶ走をやる。そこから次の場所へ移動。ここの移動がやはり遅い。疲れているというのは当然あると思います。が、本当に時間を効率良く使おうと思えばここの時間の節約しかありません。かなり急かしましたが私の方が移動が早い。ここですね。これは山の練習が終わってからの移動にも言えました。これだけで多分30分くらいはロスしていると思いますね。キツイのは分かる。でも次のことを考えたらそれなりに動かないといけなくなります。ここの感覚はやっていくうちに変わってくるのかなとは思います。時間が必要になります。話が前後していますが、こういう姿勢は練習の中で大切になると思います。

おんぶが終わって階段へ移動。いつも使う階段よりも短い階段があるのでそこで少しジャンプ系の練習を行いました。身体のラインをしっかりと作ってそれを運んでいく。最初は一人ずつ手間やっていたのですが、なかなか上手くいきません。そのため少し工夫して二人一組でやっていくことにしました。思いつきの部分がありますから何故こんな練習を?!と言われると説明できません。ここは大切だと思いますね。感覚を作るための練習として位置付けています。



そこから少し長い階段へ移動。こちらでは足運びを意識した練習をしました。マークを使って軸を意識させてその中で足運び。階段での足運びは私の好きな練習です。この長い階段は幅が広いというのはありますが、同じ動きを繰り返せるというのは大きな部分だと思います。あえて引き出した足を一旦止めさせました。雑な動きになってしまう感じがあったので何度も繰り返し指摘しました。これも「やるだけ」になってしまう可能性があります。最後は本人達が「動きを身につけよう」と思うかどうかにかかってきます。こちらはヒントを与え続けるだけ。それがきっかけになる選手も出ればならない選手も出ると思います。当然の話です。一応様子を載せておきます。こういうご時世ですから顔は加工して隠しています。



山の練習の最後として頂上まで走ることにしました。正直、ここまでの練習ではほとんど走っていません。負荷的にはほとんどかかっていない。時間の割には負荷は大したことないと思います。だからこそ走る練習もしておきたい。選手にとっては「キツイな」と思う部分があったかもしれませんが練習強度としてはそうでもありません。本数よりも精神的にしっかりと走りたいなという部分があります。

この山は私も高校時代何度も走っています。専門的な指導を受けることはできませんでした。顧問の先生が山についてきてくれるということもありませんでした。自分たちで勝手に走っていただけです。その中でやってきた事をやらせていきたいなと思っています。







100mの山道です。毎回毎回こんな練習をするつもりはありません。時にはこういう刺激も必要だと思っています。効果云々というのではなく一生懸命にやるという部分。私は高校の時にそんな事を考えたこともなくガムシャラに練習していました。これをやったら強くなるんだ!という思い込み(笑)。こういう練習は「自信」につながると思っています。苦しくなった時に「あの練習ができたのだからこれからも出来る!」と自分に言い聞かせることができる。それだけでも大切です。キツイからやらないというメニューではなく、必要だからやるという判断です。

声を出してから出るようにと指示しました。直線距離としてはそれほど遠くないので聞こえます。良く声を出していたと思いますね。上がってきた時に見る景色はかなり良いです。近くに来た時には是非走って頂上まで上がってみてください。



そこから戻ってトレーニング。時間がかかりますがやると決めた時にはやる。2時間程度になりますがしっかりとトレーニングを行いました。前回指示を出してきちんとやるようにしました。それにより数人はかなり動きが良くなってきました。こちらが狙いとしていた部分が筋肉痛になっていると言っていました。これまでやってきていたにも関わらず狙いとする部分にやっと負荷がかかり始めたのかなと。これがきちんとできるようになるとスプリントに生きてくる。これがきちんと出来るようにならないと効果はほぼないと思います。

変化しつつある数人を中心にチームとしての取り組みが変わっていけばと思っています。変われない者も出るかもしれません。それをなんとかしていくのもチーム。一人ではできない部分もこうやって変わっていけばいい。そう思います。

全体的には良い練習だったと思います。気になるところも幾つかありましたが。これはしばらく我慢かなと思いましたが、今後は考えていきたいと思いますね。これからの取り組みをきちんと積み重ねていけるようにしたいと思います。


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タイヤ引きをする

2015-11-22 | 陸上競技
金曜日、練習はタイヤを使った練習をメインに。とはいっても最初の段階で私は練習参加できていませんから任せるしかないのですが。指示は出しておきました。前半部分は走りを作るための練習なので本来であればこちらがついてしっかりと見ておきたいところです。無理なものをあれこれ言っても仕方ないので任せるところは任せるしかありません。

私が戻った時に基礎ドリルが終わってチューブを始めていました。そのままの流れでタイヤ引きへ。残念ながらうちの学校のグランドはそれほど広くありません。限られたスペースでやるようになります。この事は勧誘に行った時に必ず説明しています。施設設備の面では他校に劣ります。この日の前半は30mくらいの距離で練習をしていました。普通の状況であればここでは練習ができないと諦めるのかもしれません。が、ここでしかできない練習をやれば良いと思っています。できない事を嘆くよりも出来る事をやる。

そのため、タイヤ引きと前半マークを組み合わせてやっていく事に。更には流れの中でチューブダッシュも入れていく事に。とにかくこの距離で出来る最大限の練習をするしかありません。繰り返し繰り返し。で、他の部に相談して少し広いスペースで走らせてもらうことに。この日は60mを確保。これだけ取れたら十分。

60mのタイヤ引きとスプリントを実施しました。タイヤ引きを休息を挟みながら何本か走り、最後にスプリント。30m地点にマークを置いて最初と中間で意図的に意識を変えるようにしました。パワートレーニングをやりたいわけではありません。タイヤ引きをする中で走りの課題を克服したい。そのためにやっています。少しずつですが確実に走りに変化が出ています。これまでやってきた事に基礎筋力が多少なりと付いてきたのがその一因だと思っています。冬期に入ったからいきなり動きが変わるわけではありませんから。これまでの積み重ねです。30分くらいその手の技術系の走りをやりました。

そこからは走り込みに。翌日はグランドが使えません。山を走ってからトレーニングの予定としていました。セミナーパークには行かずこちらで練習するというのは事前に伝えています。平地で走れる時にある程度走っておきたいなと思っていました。タイヤを使ったインターバル形式の練習。長い距離が走れない分、こちらの工夫によって同等かそれ以上の練習ができると思っています。これまでと違って工夫により練習内容を変えていくことが出来る。面白いですね。

先日も書きましたがタイヤ引きなどでは随分声が出るようになってきました。男子がムードを作れるようになってきたかなという感じですね。もちろんまだまだ外に出たら萎縮してしまう可能性はあります。が、自信を持ってもらいたい。力はまだないかもしれませんがやるべき事はきちんとできるようになってきています。苦しい場面でしっかりと声が出せるようになってくるとチーム自体も変わります。それに伴って女子も声を出せるようになってきました。「これまでやっていなかったからできない」というのは理由にはなりません。やろうと思えばみんなできる。半年はかかりましたがこういう部分の成長は確実です。見てもらいたい。

かなり走りました。この手の練習は綺麗な練習ではありません。前の記事にも書きましたが「自主的にやりたい」とは言わないでしょう。それでもやります。倒れるまでやらせる事に美学を感じているわけではありません。力を使いきれる事は大切です。でも「倒れ込む」事を目的としているわけではない。ここは勘違いしないようにしたいですね。きつい事をやれば良いとは思っていません。が、時としてそういう「心」を鍛えるような練習も必要。綺麗な練習だけで強くなれるとは思っていません。

疲労がたまると走るだけになってしまう者も当然出てきます。そんな時に走りのポイントを頭に入れておければまた違った結果になる。意識することで全く変わってくるのです。疲れている時にポイントをつかむこともある。疲れているから楽に走ろうと身体が反応します。無駄に力んで走っていると進みませんからね。最初の頃に比べると別人のように走れるようになってきています。スプリントも上がっています。まだまだ走っている時に身体がぶれてしまうので今後も課題は山積みです。

「楽しさ」とは何か。やらされていると思い、不満を言うだけでは前進しません。きつい部分はありますがそれでも乗り越えないといけなくなります。乗り越えないと分からないものがあるのです。そこにしかない「楽しさ」がある。そう思って指導しています。なかなかたどり着けないかもしれませんが、ある一定の水準を越えればわかってくると思います。

良い練習が出来たと思います。このレベルが毎日出来ると違うんですけどね。
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スポーツをする女性に関わる医学的な部分

2015-11-21 | 陸上競技
講演会、いろいろと考えながら聞くことが出来ました。否定しているわけではなくそこにどのような意味があるのか。考え方としてはどうなのか。自分はどう考えていくのか。そのようなことを思いながら聞いていました。非常におもしろい講演だったと思っています。良い勉強になりました。

午後からは分科会に別れて実施。今回は「スター選手の発掘」「ペップトーク」「スポーツをする女性の月経異常」というテーマの中から1つ選ぶ。私は女性の医学的な部分を選択しました。男性指導者として理解し難い部分ですし、これは避けても通れない部分だと思っています。知らない部分を把握することで競技指導の一助にでもなればと思っていました。

普段は婦人科の先生の話を聞く機会はありません。女子の指導という意味では貴重な経験になると思っています。医学的な見地から女子選手が競技を行う上で気をつけなければいけないことを指摘されました。月経と骨粗しょう症の関係は当然の事ながら知っていました。が、それ以外の部分などは情けないことですが把握できていませんでした。PMS(月経前症候群)やホルモンの関係など、「個人差だから」で済ませていた部分がありますが、様々な対処法により対応できるということを知りました。

貧血に関してはかなり知識を持っているつもりです。それでも女子選手を預かることがあるのでもっともっと知識を得ておかなければいけないと思っています。技術的なことだけ知っていても「身体の仕組み」についての知識が不足しているかもしれません。様々な本を読み漁っているのだけは確かです。それでもやはり知識が足りない。表面的な話ではなく本質的な核心を突くような話ができない気がします。

こういう部分を把握することで「女子の競技パフォーマンスの向上」に繋がるのではないかと思っています。「気合で乗り切る」というのではなく「生理学的なもの」として理解しその対策を打てるようにならないといけない。実際にそこまで考えて指導する人がどれだけいるのかは分かりません。が必要なら学ばなれければいけません。

気になっていることがあったのである人に連絡をとって聞いてみました。実際に今回考えていたことが主たる要因になるのかどうかは分かりません。違う可能性も高い。それでも1つずつ要因を探っていく必要があると思っています。「精神面」「技術」「身体面」、つまり「心技体」といわれる部分です。この「体」の部分はずっと「身体づくり」という意味で考えていました。しかし、今回のことで「生理学的側面」を視野に入れて考えていかないといけないことを知りました。連絡を取った方は私より圧倒的に詳しい感じだったので敗北感が・・・(笑)。

指導する者として。基本的に常に勉強しないとダメだと思っています。これまでも勉強してきたつもりですがやはりこういう部分に関してはまだまだ知識不足だと思っています。ここをもっと理解できると調整や不調に上手く対応できるようになると思います。感覚でやってきた部分から理論的に理解して細かく指導できるようになればこれまで以上に最大限の力を発揮させられるのでないかと。

科学的な部分、医学的な部分を否定するつもりはありません。実は大切な部分だと分かっています。が、バイオメカニクスのように机上の空論になるのは避けたい。結果論で語るのではなくこれからどうするか、どうすれば未来が開けるかなんだと思います。それをするためには知識が足りない。情けない話ですが。

そこまで深く考えてこの講演を受けたわけではありません。タイミングですね。気になったことがあったので個別に質問に行きました。たまたま講師の方が私と同じ名字、さらに下の名前は漢字は違うもののうちの奥さんと同じで方でした。このタイミングを逃すわけにはいかないのでこちらが思っていることを質問させてもらいました。前にも記事に書きましたが「先達」の存在は大きいのてます。分からないことは専門家に聞くのが早い。

やる事、学ぶ事は多いなと改めて感じました。ここまで考えて指導をするというのは簡単ではありません。多分ほとんどの人には興味がない部分だと思います。が、私がこれから何かをやっていこうと思えばそこまで把握して責任を持ってやらないといけないのではないかと思っています。考えさせられる午後でした。

貴重な時間を過ごす事が出来ました。たまたまグループ討議で隣になった方が岡山から来られていました。その学校の陸上競技部の先生方は私の知っている方でした。その縁もあり駅まで車で送っていく事に。色々なところで繋がっています。こういう所は大切にしていきたいなと思っています。

またもまとめられない。うーん。すみません。
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「自分からやる」という意味

2015-11-21 | 陸上競技
講演会で話を聞きました。体罰禁止。絶対に許されない。まさにそう思います。

厳しい練習に対しての話がありました。私自身の考え方が「旧態依然」なのかもしれません。少し違和感を感じました。私の指導方法が間違っているという部分もあると思います。私のスタイルは実は古臭く「楽しい選手の活動の妨げ」になっているのかもしれません。講演会の内容を否定する気はありません。が、「厳しい練習」という位置づけや価値観の部分について考えないといけないと思っています。

「厳しい練習であっても、選手がその練習を必要であることを理解し、自発的に行うのであれば問題はない」という表現がありました。自分でやっているのだから厳しいだろうが厳しくなかろうが関係ないという部分なのかもしれません。どれだけキツイ練習を課されても選手と指導者がきちんとコミュニケーションを取っていれば「厳しい練習」であっても良いのだ。体罰などで「やりたくない練習」をやらされている。嫌だけど強制的に練習に参加させられてトレーニングをさせられている。こう感じたらこれは問題となるという表現に近い気がしています。

繰り返しになりますが私の考えが明らかに間違っているのかもしれません。これまでblogに書いてきた内容が不適切なのかもしれません。そういう意味も考えながら書いておきたいと思います。

競技を始める。最初は少しずつ負荷を増やしていく形になると思います。当然の話しです。この私でさえシャフト補強などをいきなりやらせることはありません。「身体づくり」の必要性を説き、これをやれば筋力的に上がっていくよと話をします。そして段階をおってホウキのような軽いものから徐々に重くしていく形を取ります。

が、この練習を決して自発的に好んで行う選手はいないと思っています。トレード・オフの関係から「嫌だけど筋力を上げるためにはやるしかない」と思ってやっている可能性は高いと思います。この部分だけを見れば「自主的活動」ではありません。メニューに組み込まれているからやる。本当はやりたくないが「指導者にやれと言われているから」という表現もできます。決して自主的ではないと思います。

私はある一定の水準になるまでは「強制的にやる」という部分も必要だと考えています。この考え方が現代スポーツの考え方に一致しないというのかもしれません。が、誰が最初から好き好んでやるでしょうか?「自分からやる」という部分は理想です。が、最初の段階からそれを求めるのは難しいのではないか。正確にいうと非現実的な話ではないか。

小学校1年生の時に初めて机に座って勉強を始める。その時に必ず「宿題」が出されます。小学生だから素直にやるのかもしれません。しかし、「自発的な行動」ではないと思います。強制的に漢字の宿題が出されているからやる。それがある程度習慣化していって初めて「自分からやる」という水準になると思っています。小学生が入学して勉強を初めて「楽しいから漢字を毎日書きたい」とはいわないでしょう。論点がずれていることはないと思います。基本は同じこと。

最初の段階ではある程度「強制的にやらせる」部分が必要です。一定水準になって本当にやりたいと思えば「自主的な活動」も出てくるでしょう。最初から「自発的にトレーニングをしたい」と言い出す選手は通常いないはずです。トレーニングなどは「やったら強くなる」と頭でわかっても成果が出るまでは時間がかかります。その段階に達するまでは「強制的にやる」という部分も必要ではないか。正しいかどうかは分かりません。

「トレーニングは必要だ」と理解している。しかし、キツイし結果が目に見えにくいトレーニングはなかなか継続できないと思います。そういう時には「やらせること」も必要になるのではないか。「やったら強くなる」という理解はあっても練習の最後の部分でどうしても気持ちが切れてしまう。それを「自発的な行動」を優先するということで「途中で諦めてもいいよ」というのが指導になるのか。暴力によらず「最後までやり切らせる」ということは大事だと思います。このような考え方で指導をする人がどれだけいるのかは分かりません。

一定水準になるまではある程度「やらせる」事が大事だと思っています。高校から陸上を始める選手だっている。その子が初日に「スタブロの使い方を知りたい」と自発的に言い出す。教えないことはないですがそれだけを気に入ってやっているのであればこれも違うと思います。「待つ」ことの必要性も言われています。もちろん待ちの姿勢は絶対に必要です。では、こうやって「スタブロの練習だけをしたい」という選手が出てきた時に、「走る練習」を自分からやりたいと言うまで待つのか?トレーニングが必要だと話をしても「今はスタブロがしたい」という主張がずっと続けばそれを優先するのか?

極論で話しているのかもしれません。しかし、ある程度の水準までは絶対に「やらせる」事が必要だと思います。それが「望ましい部活動の姿ではない」と言われるのであればそれまで。このように意見を述べると批判されるかもしれません。が、誰かを否定しているわけではなく自分の考え方を述べているだけですから吊るしあげられるほどの問題があるとは思いません。間違っているという感覚はありません。こういう部分が「体罰」に繋がるという話なのでしょうか?

残念ながら私は「自分が絶対に正しい」と思っているわけではありません。自分のやり方が絶対に正しいので他者の意見を聞かないというスタンスではありません。本気で関わってくれた人たちにはわかってもらえると思います。それでも「譲れない部分」というのは存在します。そこを度外視して「無難」にやるほどなら指導はできません。それこそ「競技指導も自発的行動」でしかないのです。誰かに強制されてやるものではない。初めは嫌々顧問に就いたが気がついたら競技が好きになっていたという人だってたくさんいます。誰もがスタートから「やってやるぞ」と競技スポーツに取り組めるわけではないと思っています。

スポーツ。部活動と競技スポーツ。これも難しい部分です。それでも今は「少しでも成長するために努力する」という感覚でやっていきたい。そのためには厳しい指導もします。体罰はしません。頑張りきれない時に背中を押すような指導はします。実際に押すのではなく声掛けで押すだけです。言葉尻を捉えられると嫌なので一応弁明しておきますが。

まとまりがないですね。すみません。ダラダラと書いてしまいました・・・。
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講演を聞く

2015-11-21 | 陸上競技
金曜日、機会があり講演を聞きに行くことになりました。運動部活動指導者に対しての講演会でした。せっかくなので真剣に聞いてみようかと。数年前の部活動中の体罰による生徒の自殺により全国的に「体罰撲滅」と叫ばれるようになりました。私の感覚からすればそれは当然のことだと思っています。

前に同じようなことを書いた気がするので自分のblogの中で検索してみるとやはり書いていました。2013年2月の記事でした。クラス担任をしていてそのクラスの生徒を送り出す前に書いていました。体罰問題が大きく取り上げられていた時期なのかもしれません。ほぼ記憶が無いので・・・。一応同じようなことを書くのも何なんで過去の記事にリンクを貼っておきます。

怒る」と「叱る」~その1~

怒る」と「叱る」~その2~

この当時特別考え方が変わったとは思っていません。当時は「競技を通じて強くなりたい」という状況でした。リレーでインターハイを狙っていた時期だと思います。上手くこちらの思いが伝わらない。確かに練習はやっているが「何が何でも」という感覚ではない。求めている水準が高すぎたのかもしれません。それでも「インターハイに行く」というのは簡単なことではない。そんな中で「体罰でやる気にさせる」という選択肢が出てくるのか?出てきません。

タイムリーに前の記事に書いていますが「厳しい声掛け」は必要だと思っています。が、それは人格を否定するようになものではない。取り組みの中に不十分な部分があればそれを指摘するというものです。「健康づくりで陸上競技をやりたい」と言われるとこのような厳しささえも受け入れてもらえないかもしれません。「自分は適度に体を動かしたいだけなのに」という状況の選手ではこういう考え方は合わないでしょうね。「競技スポーツ」と「レクレーション」は違うと思っています。それが部活動の集団に混在するというのはやはり難しいことだと思っています。

あなたがやっていることのほうが「一般的ではないですよ」という見方もあると思いますね。それは否定出来ないと思います。自分の考え方が正しいとこの場で主張してもそれは無意味ですから。様々な考え方があるというのは受け入れないといけない。今は「競技スポーツ」という意味での部活をやっているつもりです。そんなつもりはないと言われたらそれまで。正しいかどうかの話になっても進まなくなります。

暴力を容認する気はさらさらありません。上述のリンクの部分にも書いています。方向性が異なる部員が多く存在した時にどこに合わせるかというのは部活動の課題になるのかもしれません。「競技スポーツは社会体育へ」という風潮が出てきてもおかしくない。

顧問によって部活動のやり方が異なる。以前もblogに書いていますが「全員が部活の指導をしたい」と思っているわけではありません。専門的にしっかりとできる人もいれば「職務命令」の形で引率のために顧問となる人もいる。その指導者に一律に「勉強して専門的な指導ができるようにあるのが義務だ」というのは違います。仕事ではないことを他者から強制されてやるのは違うはずです。

そうであれば逆もしかりだと思っています。専門的な指導をする。強くなるための部活動を作る。その時に「とりあえず体を動かしたいから適当に来て適当に帰る。だから入部したい。」というのは成り立たないと思います。ある程度の「顧問の方針」があってそれに合わせていく。そこに体罰云々は別の話です。部活動のあり方について考える必要はあります。

20人いて20人が「絶対に満足する」という方法はないと思っています。が、試合に出たいからといって顧問から体罰を受けてそれを容認するのは違うと思います。厳しい言葉をかける。「ここで楽をしたら駄目だ」という言葉。これを暴言と言われるようなら教育活動は成立しないと思います。これも分かりません。私が思うだけですから。

これは今初めて言葉にしているわけではありません。何年も前からそう思っています。「褒めて伸ばす」というのが理想。ん??何か違わないか?という感覚はいつもあります。ダメなものをダメだと指摘できる。明らかに気持ちが入っていない選手にその部分を指摘する。人格否定をするのではなく「これで本当に良いのか?」を問う。その時に口調が厳しくなるkとおは当然あると思います。

ちょっと話がずれてきていますね。昨日の話はどうしたのか??という感じですね。ちょっと書きたいことがあるのでまた別に書きます。
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時には厳しく

2015-11-20 | 陸上競技
練習について書いていたblogですが何だかわからないうちに、考えただけを書いている雰囲気になっていますね。良いのか悪いのか。分かりませんがまー自由に書いていきたいと思っています。

「夢」という抽象的な話を書いています。分かり難いですね。それでもこちらとしてはやらないといけないことがあると思っています。「夢を語る」という部分は大切にしたいですが「根拠なき夢は空想でしかない」と思っています。高い目標だけ掲げてそれに向かう方法論が伴わなければ決して届かない。綺麗事だけを言っていたら本当に「理想論で終わってしまう」と思っています。これまでのやり方を考えながらも譲れないところは絶対に譲らない。それくらいのスタンスがなければ成果を上げていくのは難しいと思います。

「楽しくやる」という部分を書きました。が、これはあくまで一部分であって全てを楽しくやるのは違うと思います。選手のやりやすいように練習をやっていく。キツイことは避けてとりあえず笑いながら練習を重ねていく。これは絶対に違うと思っています。間違った方向に進めばきちんと指導しないといけない。常に楽しくやっていけるほど甘くはないと思っています。

昨日、トレーニングを行いました。半年前に比べると本当に筋力も上がりました。取り組みのレベルとしてもかなり上がったと思います。当たり前ですが。ここで満足するというのも一つの段階だと思います。指導者として「前より良くなった」という水準で納得する。それに合わせて選手も「前より良くなった」と感じることでしょう。間違ってはいないと思います。が、そこで止まるわけにはいかないのです。「褒めて伸ばす」というのもあります。私自身も指導中には褒めます。出来るようになった時にはきちんと認めないといけないと思っています。しかし、プラスに捉えられる部分もあれば同時にマイナスに見える部分もあるのです。

せっかく負荷をかけているのに股関節の開きが甘かったり、接地の時に軸足が曲がってしまったり。スクワット系できちんと深くできていなかったり。こんな時に優しく諭してできるようになるか?できないと思います。言い方はキツくなります。これで選手が「怒っているからやらないといけない」と感じるようであれば意味がないと思っています。話はします。怒っているわけではありません。出来ていないところきちんとその場で指摘していくことは必要なことだと思います。言葉かキツくなる事だってある。

トレーニングはキツイ。それはわかりきった事です。そんな時に厳しい言い方をされたらやる気を失うという選手もいるかもしれません。が、本当に大切なのは何でしょうか?ある程度の練習をやれば良いのでしょうか?私は違うと思っています。ある一定の水準に来たら求めるレベルを上げていかなければいけないと思っています。それができなければ本当の意味での「練習」にはならないからです。私はメニューだけ示して「やっておけ」という形では指導しません。もちろん用事があれば仕方ない部分もありますが。基本的にグランドで見る事を優先しています。だからこそわかる事がある。見ているから成長も分かるし、やり切れていないとことろも分かる。

狙いとするところを明確にしていくためには時として厳しく指摘しなければいけなくなります。誤解なきよう書いておきますが、最初の段階と比べるとめちゃくちゃ成長しています。個人の成長を間近で見る事ができて本当に幸せだなと思っています。だからこそもう少し良い練習をさせたい。これが分かってもらえるかどうか。素直に一生懸命にやってくれます。身体づくりには時間がかかります。半年経過したねある程度の筋力がついてきました。ここからは身体の使い方や真ん中から動かすという部分まで考えて取り組ませたいと考えています。

「楽しい」を別の意味でも感じてもらえたらと思っています。これまでできなかった事が出来るようになる「楽しさ」もあるのです。身体的にも精神的にも強くなっていくプロセスの中で「厳しく指導」というのも必要になってくると思っています。

プレート歩行の際に流れでやってしまう。ここを一旦静止しながらやるようにしつこくしつこく話しました。自分では止まっているつもりでも実際は止まれていない。だからこちらも指摘する。キツイ中での指導ですから「分かっている」と感じるでしょう。それでもしつこく言います。私には全くプラスになりません(笑)。逆にしつこいなと思われてマイナスになる可能性だってある。しかし、こちらのやるべき事はグランドで「選手を成長させる」事です。キツイところでも我慢してやるように叱咤激励しなければいけない時もある。きちんとできた時には認める。必要な要素だと思っています。

またも何の話か分かりません。「楽しくやる」という部分だけ書いていたので私の考え方をそれだけだと捉えられるのは違うなと思っています。越えなければいけない壁がある。それをきちんと越えていくためには厳しさも必要です。そう考えています。
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指導に関する考え方2

2015-11-19 | 陸上競技
続き。・・・になるかどうかわかりませんが。思うことをつらつらと書いておきます。

指導スタンスが少しずつ変わってきている。それは間違いないと思います。8年位前の指導が間違っていたとは思いません。当時、一緒に指導していた長距離の先生に「この意識レベルが当たり前だと思ったらダメだ」と言われていました。選手の競技に対する取り組みの姿勢が半端なかったからです。こちらは止めないといけないくらいの意識。勝手にやってしまいます。競技に対する姿勢などの指導はほぼしたことはありません。それ以外の「速くなるための動き」に関しての指導のみで十分でした。確かにこれは特別。本気で強くなりたいと思う選手が一度に集まるというのは通常考えられません。もちろん最初からこのような水準ではありませんでしたが入学して1年も経たずにかなりの水準になりました。

それだけやってもマイルでインターハイに届きませんでした。努力はどこよりもやっていた。競技に対する姿勢も負けてはいなかった。心の部分も同様。最後の最後に少し歯車がかみ合わなかっただけ・・・。それでも現実は厳しい。結果としては「中国大会で7位」だったのです。0.01秒へのこだわりをひたすら持ち続けていましたが、それでも7位。どうにもならない現実でした。

この時、「努力すれば夢が叶う」というのは幻想だったのではないかと打ちひしがれました。無気力になり前に進む気になれない。それでも進まないといけない。そんな中で指導スタンスについて考えました。夢は叶うかどうかわからないというのは確かです。しかし、「夢を持つ」事が出来なければその可能性さえないのです。達成できるかどうかも大切ですが一つのことに対して一生懸命に全力で取り組めるようになることが本当の意味で大切だと感じました。最初から「やっても意味がない」と思っていたら絶対に届かない。必死になって目指しても届くがどうかはわからない。が、そこに向かおうとしなければ「確率は0」なのです。

これは様々なことに当てはまる。強くなりたい。そう思えば誰にでもチャンスはある。行動を全く起こさない選手に比べれば0.01%でもそのチャンスがあるからです。基準はどこにあるのかわかりません。私は今の自分よりも成長するというのが「強くなるということ」だと認識しています。現状に満足して止まってしまったり、言われたことだけを嫌々やるのは「成長」とは呼ばない。最初の段階では「強制的にやらせる」事も必要だと思っています。その中で「もっとやってみたい」「上を目指したい」と本人が思い感じ行動するようになればあとは勝手に結果がついてくるのではないかと思っています。

努力しても夢が叶うかどうかはわからない。が、その努力をしない者には可能性はないのです。あとはその努力の質の問題。今まで全くやらなかった者が少しやるようになればそれは大きな成長。が、本当に必要な努力と比べるとまだまだ足りないかもしれない。そこに気づき自ら行動できるものは確実に変わる。最後は自分で自分の道を切り開いていく人間がチャンスをものにするのだと思っています。

これも何度か書いています。「カリスマ美容師になる」と言って上京した教え子がいます。周りは「無理だよね」と思っていたかもしれない。が、本人はそれが「できる」と思って上京した。カリスマ美容師になるためには有名な美容室に入らなければいけないと考え、最適な職場に入る。タイミングとか運もあると思います。が、実際にそれを実現する。更には将来的なことを考えて「カットモデル」を大学生に限定する。将来的に働き始めて来店してくれるかもしれないという部分。更には一人でも多くの人間とコミュニケーションをとることを大切にする。それが自分の仕事に活かせると考え行動に移す。同窓会で40人以上の人間に自ら話をしていき様々なことを話していました。夢に近づくために、何が必要か考えそれを行動に移すのです。結果、本当にデビューしました。更には読者投票により「カリスマ美容師の登竜門」といわれるコンテストで優勝。雑誌に載りました。本当に素晴らしい。

何が言いたいのか?夢を叶えようと思えば自ら動く事が大切になるのです。何もしないで待っていて夢が叶うほど甘くはない。どれだけやっても叶うかどうかはわからない。でも、「叶うといいな」と思って待っているだけでは絶対に叶わない。叶えるために自分が何をするか。ここが大切です。上述の美容師、自分がなりたいと決めてひたすら動きました。そのために必要な事を考え動く。だから夢が叶う。まだまだ満足はしていないはずです。もっともっと動き続けるでしょう。

強くなりたい。そう思うなら行動を起こすしかない。これもよく話をする内容になるが、「腹筋を強くしたい」と思っていてもやらなければ強くならない。更には指導者が「やらないと!」と言っても本人がやらなければ強くはならない。代わりに私が腹筋をしても本人は強くならない。この部分、当たり前だけど見落としがちなんだ思う。

最終的に夢を叶える可能性があるのは夢を本気で追いかけようとする者だけなんだと思おます。周りがどれだけ叱咤激励しても関係ない。能力が高くても本人にその気がなければ届かない。当たり前の話です。卒業生は行動に移した。周りを気にせず自分がやるべきことを信じてやり抜いた。だから夢をつかんだ。

それを肌で感じて欲しい。届かなもしれないけどそれでもやり抜いて欲しい。それが指導の根底にある。そこの部分を強く感じている。

また長くなったので何の話かわからなくなりました。本当にまとめる力がない。反省しながら長々と書いた記事を終わらせます。
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指導に対する考え方

2015-11-19 | 陸上競技
これも今更の話ですが。指導する時に何を意識して行うのか。これは重要な話だと思っています。私自身原点回帰といういみでもう一度指導について考えながらやっています。「これまでやってきたから正しい」という感覚を捨てながらも、譲れない部分をきちんと持っておかなければいけないと思います。

前の記事にもつながっていくのですが「コツコツやる指導」というのが私の指導スタイルかもしれません。練習自体に派手さはありません。地味。ここ最近はアップなどで「サイキングアップ」という意味合いも込めてあれこれやっています。8年位前は本当に「徹底的に陸上のみをやる」というスタイルでした。今の時代には合わないのかもしれません。選手も私も「張りつめた空気の中での練習」となります。よほど目的意識が高く、一人でもやっていく自信があるという選手であれば違うのかもしれませんが通常の状況ではできないと思っています。

その後、数年間ギャップに苦しんだ記憶があります。師匠によく言われますが「自分の中の基準値」そのレベルに上がっている。これくらいはできるだろうという感覚。随分自分の中で処理できない部分がありましたが昨年指導してきた選手と出会って大きく変わって気がします。この子との出会いは指導スタイルを大きく変えるきっかけになったと思っています。同じ環境の中でもそれくらいの「ギャップ」が存在したのですから環境が変われば更に大きく変わる。そういう意味もあってここ最近は特に「遊び心」を練習の中に取り入れています。昔の選手が見たら「先生、どうしたんですか?」と言われそう・・・。まーその場に合った練習スタイルが必要になるのだと思っています。だからといって練習をしていないわけではありません。きちんとやっています。

朝練、雨が降ったり天候が悪ければ体育館の中で様々な練習をします。先日はドッヂボールを。男女混合ですから差があります。男子は利き手の反対で投げる。2分間で行いますが1分経過したらボールをもう一つ投入して2つで行う。油断できません。陸上競技のスプリントでは基本的に直線的な動きが多い。更には前方向のみとなります。色々な動きを取り入れていくことでバランスよく鍛えていきたいと思っています。ドッヂボールで鍛えられるのかと聞かれると「わかりません」と答えます。だって何が正解なのかはだれにも分からないから。

その後はバレーボールを使ってのトスだったりレシーブ。ペアで横に進みながらパスをしました。これなどは「意味があるの?」という気はします。が、毎回毎回鍛えまくるというパターンではなく、時々はこういう「遊び」を入れながらやるほうが良いのかなと思っています。モチベーションの維持という意味でも大きいと思います。精神的にきつい冬の間の練習。様々な刺激を入れながら退屈しないようにやっていく。基本練習は退屈で苦しい。それでもやっていける「強い意志」は必要です。それでも時には・・・と感じています。人は変わる(笑)。

普通の選手が「競技者」になる。その過程で間違いなく「成長」します。そこまでに葛藤が存在する。挫折もあれば逃げたくなる時もある。それが当然だと思っています。それでもやっていく必要がある。「努力は万能ではない」と思っています。努力すれば夢が叶うというのは幻想です。頑張れば上手くいくよ、という指導はしません。冷たいかもしれないですが。世の中に練習をしている選手は数えきれないくらいいます。上のレベルのなればなるほど努力をしている。それでも日本一になるのはたった一人だけ。その一人以外は努力していない?頑張っていない?そんなことはないはずです。

何かをやり遂げようとする中で人は「成長」する。その度合いには大きな差があります。全力でできる選手というのは実際のところそれほど多くはありません。そういう時に「嫌われるかもしれない」というリスクを冒しながらも指導しなければいけない。何も言わないほうが人からは嫌われません。「無難に生きる」というスタイルが一番安定します。周りからは良くも悪くも言われない。そうやって過ごすこともできる。が、私にはできないなと最近強く感じているのです。それをするくらいなら今の仕事をやっていく価値はないなと。関わる選手や子供たちに失礼だから。

「楽しい」と感じさせる。毎日毎日球技をやれば「楽しい」と感じるだろう。でもそれは求める部分が違う。だからといって前のように「競技のみをやる」というのでは上手くいかない気がしている。「競技のみ」を求めている選手がいたら「物足りない」「シビアさがない」と感じるかもしれない。が、練習は徹底してやる。その中に「遊び」を入れ込んでいるだけ。ゲーム性がない種目だから競争させる場面を増やす。こういう感覚を持てるようになってきた。

努力をしなければいけない。が、厳しさだけの努力であればいつか気持ちが切れてしまうのではないかという気がしている。ストイックになればなるほど「バーンアウト」のような状況が生まれやすい。甘くなりましたかね?昔から全てはつながっているという話をしている。その部分に対する考え方は譲れない。それでも少しずつ変えていかないといけないと思っている。到達点が同じであってもその方法論が変わっていく。あり得ることだと思っています。

この「楽しい」が色々な意味で可能性を生むのではないかと思っています。これができれば色々なことが伸びてくる。それをしっかりと考えてやっていきたい。上手くまとまりません。また別に書きます。
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少しずつ

2015-11-19 | 陸上競技
更新をサボっていた?!おかげでアクセス数が減りました(笑)。8割くらいになったでしょうか。まーこれでも多い気がしています。blogを始めて10年以上が経過しています。何度も止めようかと思ってきましたがそれでも細々と続けています。良いのか悪いのか。10年前とは色々な事が変わっています。私の表現の仕方も。変化する部分というのはたくさんある。

ここ数日間、色々と考える事がありました。直接会って話をしたり、電話で話をしたり、SNSで連絡をしたり。考える事、思う事がたくさんありました。そんな中で昨日書いたblogのような結論に達した。それで良いんじゃないかと。

何もしないで淡々と生活をするというのは私には難しいと思います。仕事だけやって終わり。人と関わらず事務的に何かをやって生きていく。それが良いという人もいるでしょう。私は自分のテリトリーだけを守りながら生きていくという事に向いていないと思っています。無理。その生き方を変えるとしたらもう何もしなくなる時だと思います。

私に出来ること。それは夢を持って進もうとする人を支える事。近くで一喜一憂しながらももっと大きな事を見て進んでいく。それはきっと一人ではできない。一生懸命になれる子供達がいて、全力で強くなりたいと願う選手がいるから存在価値がある。私が表に立ってあれこれするというよりは主役はもっと別にいないといけないんだと思う。

夢に向かって少しずつ努力を重ねる。力が足りなければそれを補うために自分で時間を作って取り組む。思うようにいかなくても我慢して耐える。そうやって大きな花を咲かせるために地面に根を張り続ける。全ては「未来のため」の準備なんだと思います。それができるというのは簡単な事ではない。やらされているのではなく、自分のためにやるという感覚を持てるかどうか。それが人を成長させる大きな要因になる。

最近よく話をするのが「トレーニング」の話。腹筋を強くしたいトレーニング思って100回やる。これですぐに腹筋が強くなったと感じる事は出来ないと思います。すぐに結果は出ないけど毎日毎日丁寧に時間をかけてやっていく事で気がついたら強くなっている。大半の選手は「腹筋を強くする」と言いながら目に見えた結果がないので「やっても仕方ないや」と思って途中で諦めてしまう。諦めたらそこから先はないのです。本当はあと一歩の所で結果に結びつくのにそこで「やっても仕方ないや」と思ってしまう。ここが難しいところです。

ダイヤの原石の話。最初は単純な石ころのように見える。誰もその磨き方を知らないから。それが少しずつ自分なりに削っていったら中から光り輝くタイヤが出てくる。それって最初は誰も気がついたないのです。自分の中に眠っている力がある事を。で、何となく始めてみると「面白い」となって自分で磨き始める。つまり努力を始めるのです。それにより輝きが増していく。磨かない限りは光らない。
ダイヤはカットの仕方によって値段が変わってきます。同じ原石でも磨けば良いというわけではない。きちんとした職人が丁寧にカットする事で輝きは理想に近づく。自分なりのカットの仕方ではきちんと輝けなくなる。

私は誰かをきちんと輝かせる事が出来る人間になりたいと思う。私が輝く必要はない。上手くいかない事だってある。磨いている途中にまた土がついてしまって一時的に輝きを失う事だってある。そこで諦めずに少しずつ少しずつ磨いていく。その手伝いをしたい。すぐに結果は出ないかもしれない。それでも少しずつやる事が唯一の方法。すぐに成果を求めるのではなく、じっくり時間をかけられる人になりたい。なって欲しい。

色々な人と関わる中で「自分の立ち位置」をもう一度見直すことができる。大切なことだと思う。多く人を支えたいと願う。その半面、もっと多くの人から支えられていると感じる。与えてもらうことを求めてはいない。が、結果的に与えてもらうことのほうが多い。そのことに感謝したい。これも少しずつ作ってきた関係があるからなのかもしれない。いろいろな意味で人には恵まれていると思う。

少しずつ。少しずつ。自分の「存在する意味」を考えていきたい。強くそう思う。
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何をするか

2015-11-18 | 陸上競技
何をするか。これを考えるとキリがない。やりたい事もやらないといけない事もたくさんある。この中から取捨選択をしないといけなくなる。色々な中から選ばないといけない。時間もエネルギーも有限だから。全てをやるというのは難しい。そんな事は昔から分かっている。

自分の人生の中で何を大切にしてきただろうか。そこを振り返るのは怖い。ひょっとしたら大切にしないといけないモノを捨ててきているかもしれないから。全てに全力でやる。それは理想論なのかもしれない。残念ながら私は聖人君子ではない。普通の人間。得意な事もあれば苦手な事もある。全てを完璧にこなしていく自信はない。プラスとマイナスがあってトータルでプラスになるようにしていきたいと思っている。

理想論を語る。高い目標を掲げる。それは誰かに意見されるものではないと思っている。毎日をそれなりに生きている生活はしたくない。何も目標もなく毎日をそれなりに過ごす。これが一番楽だと思うが今はそれはしたくない。夢を語れない者が子供達に夢を持てといえるのか。そう思っている。細かい部分ではダメなところが多い人間だと自覚している。でも間違いなく他の人よりも優れているところはある。負けない。

日本一になるというのがここ数年の最大の目標。周りからどう思われようと関係ない。だって私の人生だから。そんな事は無理だと批判したければすれば良い。私自身が出来ると信じていなければ道は開けない。日本一というのは何か?日本で一番になる選手を育てる事なのかもしれない。または日本一良いチームを作る事かもしれない。または私自身が日本一変な教員と言われる事なのかもしれない。正直分からない。でも日本一を目指す。

この話をここ最近様々な場所でしてしてきた。授業でもその話をした。関係ない話を授業でするのか、という批判の対象になるのかもしれない。生徒に「自分の夢、やりたいこと」についてのプレゼンテーションをさせようと考えている。その場面で私も少しだけその話をした。

そして教え子の話も。夢を持ち上京し本当に叶えた。誇らしい。周りが無理だよと言い続けても自分なら出来ると信じてやっていった。夢を叶えるために日本でかなり有名な美容室に入った。そこでないと夢が実現できないと思って必死になったんだと思う。そして夢をつかむために様々な事をやった。歯を食いしばり我慢して努力をした。だから夢をつかめた。彼は本当に日本一になり雑誌に載った。夢を自分のものにした。この子と出会えて本当に良かったと思う。

だからこそ夢を語り続けたい。そして夢を一緒に追いかけてくれる人と共に過ごしたい。周りに何と言われように大人が本気でやらないと子どもも本気になれない。その部分だけは誰にも負けたくないと思っている。べつにカッコつけたいと思ってはいない。本気でそう思っている。

夢を追いたい。心からそう思う。
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