kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

失敗から学ぶ

2015-11-28 | 陸上競技
最近の記事は抽象的な内容が多くなっています。こんな練習をしました!というほうが読んでくれる人のウケは良いのかもしれません。申し訳ありませんがそこを意識しすぎると私らしさはなくなってにまう気がしています。その時に感じたことを書く。メッセージを伝えたいと思えばそういう内容になるし、どうでも良いことを書く時もある。

前からずっと考えていること。「同じようなことをする」という部分への違和感。例えばblogにこんな事をやりましたと書く。こういう時代ですから様々な練習方法が出回っています。否定するつもりも肯定するつまりもありません。やってみるというのはすごく大切な要素だと思っています。いろいろな条件をクリアできるなら。

一番受け入れがたいと思っているのが「強い学校がやっているから」というもの。または優れた指導者がやっている内容だからその練習が良いという考え方。判断材料が「上手くいっている」選手や指導者がやっているのだから間違いないだろうとたうもの。確かにある意味正しいと思っています。が、それがたまたまたその選手に合っていたから記録が伸びた可能性だってある。そこを度外視して同じ事をやるだけでは指導は出来ないのではないかと思う。本当の意味での指導は。

前の記事にも書きましたが、「結果」というのは様々な要素が絡み合って生まれる。室伏選手の事も触れましたがウエイトをやり込んだからこそ「ウエイト以外に道があるのでは」という結論に達した。最初からやらずに否定しているわけではない。やった上でこれよりもっと良い方法があるという判断に達する。

最も顕著な例がフレキハードルやマーク走だと思う。福島選手が大活躍して低いハードルでの動きが良いと言われるようになった。この辺りの事は20年以上も前から師匠は気づいていた。そのための工夫をしている。素晴らしい技術指導をされているのだがそこをマネして行こうという指導者は少ない。もったいない。日本一の選手がやっている練習方法だったら一気に広まるのに。

そしてそういう情報は一気に広まる。で、どこもフレキハードルを購入する(笑)。見よう見まねでフレキハードルを使った練習を導入する。強い選手がやっている練習をやっているのだから効果があると信じてやり続ける。が、そこの狙いは何かが分からないのにやっている。最悪足先だけの動きになってしまう。マーク走も同様。とりあえず本に書いてあるような距離でマークを置いてみてそれでやり続ける。なぜマークを置くのか?見ていたら気づく部分がある。一律にマークを置く。その理由は?狙いがあればマークの位置をなぜそこに置くのかも見えてくる。こういう練習は近くで見ておかないと全くもって意味がないと思っている。

一時期、大学生が日本選手権で優勝した時に使っていたとあう道具が流行った。股関節周辺を鍛える道具。といってもかなり大きいした効果なので買うことなんて無理。尊敬する先生はそれを手作りで作っていた。そこから一気にその道具が広がった。ボードを使って足の入れ替えをする。が、他の学校でやっているのを何度か見たが明らかに狙いが違う。足先だけで早く動いているだけ。狙いは全くもって変わってきている。それでも「良い練習」だと信じてやっている。尊敬する先生の所できちんと意味を聞いてやるべきだと思うし、動きに関してきちんと考えればどのようなスタイルでやるのが正しいかはわかるのだが。

とはいえ私も4年前にミスを犯している。全国で勝負をすると決めてある選手と「動きの速さ」を追い求めることにした。中心はフレキハードルとマーク走。本当に徹底的にやった。本で紹介されているような練習ではないが、動きを作る上で最優先していたのは「速さ」だった。冬期練習はかなり順調に消化していったが、途中で違和感を覚えることが何度かあった。「マークが遠い」という感じがあった。動き的には抜群に良くなっていたのだが。結果、そこに気付けなかった私の落度。謝っても決して許されるものではない。そこでの失敗がその後の指導に大きく生かされる。本人は今でも一緒に練習をすることがあるので許してくれていると信じる。同じ過ちを繰り返さない事がこの子への謝罪となると思っている。

この時は「一部分だけを特化して鍛えようとしたこと」が上手くいかなかった原因だと思っている。速さ以外に最優先する要素を見落としていたから。それがマークが遠いという部分に現れる。考えてみたら分かることなのに客観性を失っていた。その練習を信じてやっていたからこそ見えてくる。だからといって本来であれば失敗は許されない。毎年預かっている選手に最大限の結果を残させてあげることが私の使命だと思っているから。しかし、その子達との出会いがあったから今の自分の指導スタイルがある。

マイルでインターハイを逃した時に陸上を辞めたくなった。これだけこの子達にやらせておいて結果を出させてあげられなかった。自分の無力感とこの子達に会わせる顔がないという気持ち。その時にある人から「この失敗を次に活かせるかどうかだ」とアドバイスをもらった。何度も書いているがその子達にとって二度とない時間なので決して許されることではない。だが、そこで止まっていたら何もできない。本当にその子たちに申し訳ないと思うなら同じ過ちを二度と繰り返さないことが大切になってくる。

4継でインターハイを決めた時、この子達は本当に喜んでくれた。自分のことのように喜んでくれた。救われた。絶望で立てなくなった鳥取。そこから4年かけて這い上がった。自分たちが目指していた者を後輩が勝ち取ってくれた。そこに「この子達がやってきたことの証明」がある。失敗から学んだ。遠回りだったかもしれないけど。

だからこそ考えたい。ポリシーを持って練習をすることの意味を。マネをしてもいい。失敗してもいい。でもそこから自分なりの「答え」を見つけないといけないと思う。同じことをずっとやっているだけでは意味がない。上手くいかなかったら選手が悪いのではない。きちんとした指導ができなかった自分自身の責任だと思う。取り組みを変えることができないから起きるミスもある。が、そこは私が「変わらなければ」と思わせることができなかったからそうなっただけ。自省しなければいけないと思う。

なんだか最初に書いている内容と後半が大きく変わってきている気がする(笑)。まー思いつきだから。お許しを。

また書きます。
コメント
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