kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

指導に関する考え方2

2015-11-19 | 陸上競技
続き。・・・になるかどうかわかりませんが。思うことをつらつらと書いておきます。

指導スタンスが少しずつ変わってきている。それは間違いないと思います。8年位前の指導が間違っていたとは思いません。当時、一緒に指導していた長距離の先生に「この意識レベルが当たり前だと思ったらダメだ」と言われていました。選手の競技に対する取り組みの姿勢が半端なかったからです。こちらは止めないといけないくらいの意識。勝手にやってしまいます。競技に対する姿勢などの指導はほぼしたことはありません。それ以外の「速くなるための動き」に関しての指導のみで十分でした。確かにこれは特別。本気で強くなりたいと思う選手が一度に集まるというのは通常考えられません。もちろん最初からこのような水準ではありませんでしたが入学して1年も経たずにかなりの水準になりました。

それだけやってもマイルでインターハイに届きませんでした。努力はどこよりもやっていた。競技に対する姿勢も負けてはいなかった。心の部分も同様。最後の最後に少し歯車がかみ合わなかっただけ・・・。それでも現実は厳しい。結果としては「中国大会で7位」だったのです。0.01秒へのこだわりをひたすら持ち続けていましたが、それでも7位。どうにもならない現実でした。

この時、「努力すれば夢が叶う」というのは幻想だったのではないかと打ちひしがれました。無気力になり前に進む気になれない。それでも進まないといけない。そんな中で指導スタンスについて考えました。夢は叶うかどうかわからないというのは確かです。しかし、「夢を持つ」事が出来なければその可能性さえないのです。達成できるかどうかも大切ですが一つのことに対して一生懸命に全力で取り組めるようになることが本当の意味で大切だと感じました。最初から「やっても意味がない」と思っていたら絶対に届かない。必死になって目指しても届くがどうかはわからない。が、そこに向かおうとしなければ「確率は0」なのです。

これは様々なことに当てはまる。強くなりたい。そう思えば誰にでもチャンスはある。行動を全く起こさない選手に比べれば0.01%でもそのチャンスがあるからです。基準はどこにあるのかわかりません。私は今の自分よりも成長するというのが「強くなるということ」だと認識しています。現状に満足して止まってしまったり、言われたことだけを嫌々やるのは「成長」とは呼ばない。最初の段階では「強制的にやらせる」事も必要だと思っています。その中で「もっとやってみたい」「上を目指したい」と本人が思い感じ行動するようになればあとは勝手に結果がついてくるのではないかと思っています。

努力しても夢が叶うかどうかはわからない。が、その努力をしない者には可能性はないのです。あとはその努力の質の問題。今まで全くやらなかった者が少しやるようになればそれは大きな成長。が、本当に必要な努力と比べるとまだまだ足りないかもしれない。そこに気づき自ら行動できるものは確実に変わる。最後は自分で自分の道を切り開いていく人間がチャンスをものにするのだと思っています。

これも何度か書いています。「カリスマ美容師になる」と言って上京した教え子がいます。周りは「無理だよね」と思っていたかもしれない。が、本人はそれが「できる」と思って上京した。カリスマ美容師になるためには有名な美容室に入らなければいけないと考え、最適な職場に入る。タイミングとか運もあると思います。が、実際にそれを実現する。更には将来的なことを考えて「カットモデル」を大学生に限定する。将来的に働き始めて来店してくれるかもしれないという部分。更には一人でも多くの人間とコミュニケーションをとることを大切にする。それが自分の仕事に活かせると考え行動に移す。同窓会で40人以上の人間に自ら話をしていき様々なことを話していました。夢に近づくために、何が必要か考えそれを行動に移すのです。結果、本当にデビューしました。更には読者投票により「カリスマ美容師の登竜門」といわれるコンテストで優勝。雑誌に載りました。本当に素晴らしい。

何が言いたいのか?夢を叶えようと思えば自ら動く事が大切になるのです。何もしないで待っていて夢が叶うほど甘くはない。どれだけやっても叶うかどうかはわからない。でも、「叶うといいな」と思って待っているだけでは絶対に叶わない。叶えるために自分が何をするか。ここが大切です。上述の美容師、自分がなりたいと決めてひたすら動きました。そのために必要な事を考え動く。だから夢が叶う。まだまだ満足はしていないはずです。もっともっと動き続けるでしょう。

強くなりたい。そう思うなら行動を起こすしかない。これもよく話をする内容になるが、「腹筋を強くしたい」と思っていてもやらなければ強くならない。更には指導者が「やらないと!」と言っても本人がやらなければ強くはならない。代わりに私が腹筋をしても本人は強くならない。この部分、当たり前だけど見落としがちなんだ思う。

最終的に夢を叶える可能性があるのは夢を本気で追いかけようとする者だけなんだと思おます。周りがどれだけ叱咤激励しても関係ない。能力が高くても本人にその気がなければ届かない。当たり前の話です。卒業生は行動に移した。周りを気にせず自分がやるべきことを信じてやり抜いた。だから夢をつかんだ。

それを肌で感じて欲しい。届かなもしれないけどそれでもやり抜いて欲しい。それが指導の根底にある。そこの部分を強く感じている。

また長くなったので何の話かわからなくなりました。本当にまとめる力がない。反省しながら長々と書いた記事を終わらせます。
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指導に対する考え方

2015-11-19 | 陸上競技
これも今更の話ですが。指導する時に何を意識して行うのか。これは重要な話だと思っています。私自身原点回帰といういみでもう一度指導について考えながらやっています。「これまでやってきたから正しい」という感覚を捨てながらも、譲れない部分をきちんと持っておかなければいけないと思います。

前の記事にもつながっていくのですが「コツコツやる指導」というのが私の指導スタイルかもしれません。練習自体に派手さはありません。地味。ここ最近はアップなどで「サイキングアップ」という意味合いも込めてあれこれやっています。8年位前は本当に「徹底的に陸上のみをやる」というスタイルでした。今の時代には合わないのかもしれません。選手も私も「張りつめた空気の中での練習」となります。よほど目的意識が高く、一人でもやっていく自信があるという選手であれば違うのかもしれませんが通常の状況ではできないと思っています。

その後、数年間ギャップに苦しんだ記憶があります。師匠によく言われますが「自分の中の基準値」そのレベルに上がっている。これくらいはできるだろうという感覚。随分自分の中で処理できない部分がありましたが昨年指導してきた選手と出会って大きく変わって気がします。この子との出会いは指導スタイルを大きく変えるきっかけになったと思っています。同じ環境の中でもそれくらいの「ギャップ」が存在したのですから環境が変われば更に大きく変わる。そういう意味もあってここ最近は特に「遊び心」を練習の中に取り入れています。昔の選手が見たら「先生、どうしたんですか?」と言われそう・・・。まーその場に合った練習スタイルが必要になるのだと思っています。だからといって練習をしていないわけではありません。きちんとやっています。

朝練、雨が降ったり天候が悪ければ体育館の中で様々な練習をします。先日はドッヂボールを。男女混合ですから差があります。男子は利き手の反対で投げる。2分間で行いますが1分経過したらボールをもう一つ投入して2つで行う。油断できません。陸上競技のスプリントでは基本的に直線的な動きが多い。更には前方向のみとなります。色々な動きを取り入れていくことでバランスよく鍛えていきたいと思っています。ドッヂボールで鍛えられるのかと聞かれると「わかりません」と答えます。だって何が正解なのかはだれにも分からないから。

その後はバレーボールを使ってのトスだったりレシーブ。ペアで横に進みながらパスをしました。これなどは「意味があるの?」という気はします。が、毎回毎回鍛えまくるというパターンではなく、時々はこういう「遊び」を入れながらやるほうが良いのかなと思っています。モチベーションの維持という意味でも大きいと思います。精神的にきつい冬の間の練習。様々な刺激を入れながら退屈しないようにやっていく。基本練習は退屈で苦しい。それでもやっていける「強い意志」は必要です。それでも時には・・・と感じています。人は変わる(笑)。

普通の選手が「競技者」になる。その過程で間違いなく「成長」します。そこまでに葛藤が存在する。挫折もあれば逃げたくなる時もある。それが当然だと思っています。それでもやっていく必要がある。「努力は万能ではない」と思っています。努力すれば夢が叶うというのは幻想です。頑張れば上手くいくよ、という指導はしません。冷たいかもしれないですが。世の中に練習をしている選手は数えきれないくらいいます。上のレベルのなればなるほど努力をしている。それでも日本一になるのはたった一人だけ。その一人以外は努力していない?頑張っていない?そんなことはないはずです。

何かをやり遂げようとする中で人は「成長」する。その度合いには大きな差があります。全力でできる選手というのは実際のところそれほど多くはありません。そういう時に「嫌われるかもしれない」というリスクを冒しながらも指導しなければいけない。何も言わないほうが人からは嫌われません。「無難に生きる」というスタイルが一番安定します。周りからは良くも悪くも言われない。そうやって過ごすこともできる。が、私にはできないなと最近強く感じているのです。それをするくらいなら今の仕事をやっていく価値はないなと。関わる選手や子供たちに失礼だから。

「楽しい」と感じさせる。毎日毎日球技をやれば「楽しい」と感じるだろう。でもそれは求める部分が違う。だからといって前のように「競技のみをやる」というのでは上手くいかない気がしている。「競技のみ」を求めている選手がいたら「物足りない」「シビアさがない」と感じるかもしれない。が、練習は徹底してやる。その中に「遊び」を入れ込んでいるだけ。ゲーム性がない種目だから競争させる場面を増やす。こういう感覚を持てるようになってきた。

努力をしなければいけない。が、厳しさだけの努力であればいつか気持ちが切れてしまうのではないかという気がしている。ストイックになればなるほど「バーンアウト」のような状況が生まれやすい。甘くなりましたかね?昔から全てはつながっているという話をしている。その部分に対する考え方は譲れない。それでも少しずつ変えていかないといけないと思っている。到達点が同じであってもその方法論が変わっていく。あり得ることだと思っています。

この「楽しい」が色々な意味で可能性を生むのではないかと思っています。これができれば色々なことが伸びてくる。それをしっかりと考えてやっていきたい。上手くまとまりません。また別に書きます。
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少しずつ

2015-11-19 | 陸上競技
更新をサボっていた?!おかげでアクセス数が減りました(笑)。8割くらいになったでしょうか。まーこれでも多い気がしています。blogを始めて10年以上が経過しています。何度も止めようかと思ってきましたがそれでも細々と続けています。良いのか悪いのか。10年前とは色々な事が変わっています。私の表現の仕方も。変化する部分というのはたくさんある。

ここ数日間、色々と考える事がありました。直接会って話をしたり、電話で話をしたり、SNSで連絡をしたり。考える事、思う事がたくさんありました。そんな中で昨日書いたblogのような結論に達した。それで良いんじゃないかと。

何もしないで淡々と生活をするというのは私には難しいと思います。仕事だけやって終わり。人と関わらず事務的に何かをやって生きていく。それが良いという人もいるでしょう。私は自分のテリトリーだけを守りながら生きていくという事に向いていないと思っています。無理。その生き方を変えるとしたらもう何もしなくなる時だと思います。

私に出来ること。それは夢を持って進もうとする人を支える事。近くで一喜一憂しながらももっと大きな事を見て進んでいく。それはきっと一人ではできない。一生懸命になれる子供達がいて、全力で強くなりたいと願う選手がいるから存在価値がある。私が表に立ってあれこれするというよりは主役はもっと別にいないといけないんだと思う。

夢に向かって少しずつ努力を重ねる。力が足りなければそれを補うために自分で時間を作って取り組む。思うようにいかなくても我慢して耐える。そうやって大きな花を咲かせるために地面に根を張り続ける。全ては「未来のため」の準備なんだと思います。それができるというのは簡単な事ではない。やらされているのではなく、自分のためにやるという感覚を持てるかどうか。それが人を成長させる大きな要因になる。

最近よく話をするのが「トレーニング」の話。腹筋を強くしたいトレーニング思って100回やる。これですぐに腹筋が強くなったと感じる事は出来ないと思います。すぐに結果は出ないけど毎日毎日丁寧に時間をかけてやっていく事で気がついたら強くなっている。大半の選手は「腹筋を強くする」と言いながら目に見えた結果がないので「やっても仕方ないや」と思って途中で諦めてしまう。諦めたらそこから先はないのです。本当はあと一歩の所で結果に結びつくのにそこで「やっても仕方ないや」と思ってしまう。ここが難しいところです。

ダイヤの原石の話。最初は単純な石ころのように見える。誰もその磨き方を知らないから。それが少しずつ自分なりに削っていったら中から光り輝くタイヤが出てくる。それって最初は誰も気がついたないのです。自分の中に眠っている力がある事を。で、何となく始めてみると「面白い」となって自分で磨き始める。つまり努力を始めるのです。それにより輝きが増していく。磨かない限りは光らない。
ダイヤはカットの仕方によって値段が変わってきます。同じ原石でも磨けば良いというわけではない。きちんとした職人が丁寧にカットする事で輝きは理想に近づく。自分なりのカットの仕方ではきちんと輝けなくなる。

私は誰かをきちんと輝かせる事が出来る人間になりたいと思う。私が輝く必要はない。上手くいかない事だってある。磨いている途中にまた土がついてしまって一時的に輝きを失う事だってある。そこで諦めずに少しずつ少しずつ磨いていく。その手伝いをしたい。すぐに結果は出ないかもしれない。それでも少しずつやる事が唯一の方法。すぐに成果を求めるのではなく、じっくり時間をかけられる人になりたい。なって欲しい。

色々な人と関わる中で「自分の立ち位置」をもう一度見直すことができる。大切なことだと思う。多く人を支えたいと願う。その半面、もっと多くの人から支えられていると感じる。与えてもらうことを求めてはいない。が、結果的に与えてもらうことのほうが多い。そのことに感謝したい。これも少しずつ作ってきた関係があるからなのかもしれない。いろいろな意味で人には恵まれていると思う。

少しずつ。少しずつ。自分の「存在する意味」を考えていきたい。強くそう思う。
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