kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

想うこと3

2014-02-22 | 陸上競技
こんな内容を書こうと思った出来事がいくつかあります。声を大にして発言すると120%叩かれる。こういう世の中ですからね。それでも少し考えたいことがあります。

今回、オリンピックが開催されています。このこと、実は「公務員叩き」に近い部分がある。「時間外労働」云々とは違うのですが。「教育のためであれば個人を犠牲にするのは当然だ」という風潮があるのは確かです。「教員」は「税金で生活しているのだから」という大義名分のようなものがあります。「自己犠牲」は当然である。まー「時間」とか「お金」のことを言い出したらきりがない部分はあるのですが。「生徒のために」という感覚は強くあります。そうでなければ今の私のスタンスで人と関わることはできないと思いますから。

それでも「税金で生活しているのだから当然だ」と言われるのは微妙です。それを言ったら「企業」も我々が働いて得たお金でそこの商品を購入して給料を得ています。税金とは異なりますが。皆それぞれの立場で誰かが働いて得たお金を別の形で得て生活をしています。公立学校がなければ小学校から高校までかなりのお金を支払って勉強をさせなければいけなくなります。全ての学校が私学だったらどれだけ経済的負担が大きくなるでしょうか?公共の施設を利用するのと同じで多くの恩恵を受けています。もちろん、私も同様です。

今回、オリンピックでメダルを取れなかった選手に対して「我々の税金を使って行っているんだから謝れ」というようなコメントが多数されていました。「楽しかった」という発言は不謹慎だ。「税金使って観光に行ったのか?!」というような批判のされ方です。うーん、どうなんでしょうか。

確かに「国」の代表として出ています。しかし、全員がメダルの獲得が可能か?と言われたら間違いなく違います。不可能です。メダルを取れるのは世界でたった3人しかいません。それ以外の人はどれだけ実力があってもメダル獲得は不可能です。ある選手が入賞しましたが、メダル獲得ができずに泣いていました。「申し訳ないので旅費は自己負担でも構わない」というニュアンスの言葉で謝っていました。本当に謝る必要があるのでしょうか?ここは本人がどう感じていたのかが分かりませんからなんとも言いにくい部分ですが。

オリンピック代表になるだけでものすごい苦労と努力をしています。何とかオリンピック代表になったというだけですごいことです。その上メダルを取るという行為は普通の人達が考えられない程のことです。メダルを取ったから景気が回復するのかといわれたらそれはないと思います。経済的に大きな効果はないかもしれません。それでも選手は必死になって努力を重ねてその場に立ったのです。

それを「税金泥棒」のような表現の仕方で叩くというのは如何なものか?勝てば官軍負ければ賊軍のようなものです。メダルが期待されていて取れなかった選手は涙ながらに謝る、それほど期待されていなくてメダルを取った選手は一躍時の人となる。周りのためにこれまで長い時間をかけて努力をしてきたのでしょうか?絶対に違うと思います。

応援してくれた多くの人達にの期待に応えられなくて申し訳ないと涙を流す。特に家族や同僚、周りの人達の支えがあったからそこまで頑張れたのだと思います。その人達の期待に応えられなかった。分かりませんが「結果を出して恩返しをしたかった」という意味があると思っています。オリンピックは国家の代表としての「代理戦争」と見る人もいるのかもしれません。他国ではその意味合いを持たせているかもしれません。イチローやダルビッシュがメジャーリーグで活躍する。「日本人は海外でも戦えるんだ」という部分を「選手」に重ねているのでそのことを喜ぶ。自分自身が活躍したのではなく、他の選手が活躍したことで「日本人は海外でも戦える」と感じる(小難しく書くとナショナリズムの話になるのですができるだけ平易な言葉を使いながら書きます)。

マスコミが取り上げるので選手を「身近な存在」として感じ始める。で、過剰な期待をする。上手くいかなければ激しく叩く。イチローやダルビッシュ、サッカーの本田選手は「自分の力だけ」で海外に進出しています。が、オリンピック代表は「税金」を使って出場することになる。自分がほんの少しだけでも関わっていると感じることができるのかもしれません。だからこそそのことに対して「税金を返せ」という攻撃対象になりやすい。選手が本当に「税金でオリンピックに出場させてもらっている」と感じるのでしょうか?そんなことを感じるような国で本当に良いのか?純粋にスポーツに打ち込む姿を見て心打たれる。そのために少しの税金が使われても十分ではないか?そう考えるのはダメなことなのでしょうか。

これがうちの選手だったらどうでしょうか。県総体を勝ち上がって中国大会に行く。県総体で6番以内に入れなければ中国へはいけません。どれほど一生懸命にやっていても7位になれば中国には進めないのです。同じく中国大会で6番以内でインターハイ。それでは7位になった選手は批判されるべきなのか?学校の教育後援会費の中から「遠征費」を負担してもらっています。「インターハイに行くために中国大会の遠征費を出した。行けなかったのだからお金を返せ。みんなの前で謝れ。」と言われる。こんなことがあり得るでしょうか?

そんなことを言い出したら全てのことが「無駄」となってしまします。 もし「金返せ」という批判になるのであれば、「選手選考」の部分からすべて考え直さなければいけないと思います。高校の陸上で言えば「県で6位以内」でもインターハイに行ける可能性が低いのであれば「無駄遣い」になるので中国大会に進めない。標準記録を設定してその記録を突破できなければ優勝してもインターハイに行けない。いや、極端なことを言えばインターハイに行っても優勝できないのだから出場を認めないという話につながっていきます。これで本当に良いのか?

陸上の世界選手権などは「標準記録」が設定されています。その標準記録を突破した者が日本選手権で3番以内に入れば世界選手権に出場可能となるようなシステムです。しかし、標準記録を突破したからと言って大会で勝てるわけではありません。何人もが記録を突破しているわけですから。参加資格を得たのですから参加する。当然だと思います。それなのに「勝てなかったから謝れ」はどうなのか?負けた選手が笑顔で「力を出し切りました」ということさえ許されないのか?

うーん、これも私の「主観」ですから「おかしい」と言われるのかもしれません。しかし、今回の「税金で出場しているのだから」という批判はどうも受け入れられません。今はほとんどの人がインターネットにアクセスしてSMSで簡単に自分の考えを出したり、人のblogやマスコミにコメントすることができます。それも「匿名」で。それぞれの立場を考えず一部分だけを抜き出して「批判」する。それを見てさらに他の人が「批判」して炎上する。よくあるパターンです。実際に前の記事で紹介したblogは炎上。一人だけの問題ではなくなっています。そこまでこの日と個人の考えを否定する必要があるのか?直接面識がないからこそ「過剰な攻撃対象」になる。恐ろしいと思いますね。

こうやって書いている私のblogもどこかで誰かに紹介されたら「攻撃対象」となるのかもしれません。賛同の意見もあれば反対の意見もある。当然の話だと思います。しかし、「攻撃対象」となり立ち直れなくなるくらいまで叩かれるというのはどうなのか?考えさせられます。

もう少し書かせてください。どんどん、泥沼に足を突っ込んでいる気がしますが(笑)。この手のことを書くのは自分の考えの整理にもなりますが、かなりダメージも大きくなります(笑)。突っ込みどころが出てきますからね。文字だけで書いているとなかなか伝わらなかったり表現できないことが出てきます。難しいですね。高校生が読むような文章ではないと思いますが(笑)。
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想うこと2

2014-02-21 | 陸上競技
前の記事の続き。

私は「陸上競技」が好きです。同じくらい「生徒」も好きです。生徒が「成長する」ための手段として様々な取り組みをします。苦労するかもしれませんがあえて行う指導も数多くある。最終的には大人になったときに役に立つであろう「力」を身に着けてもらいたいからです。「どんな力が必要なのか」と問われると正直正解はないと思います。全てができることが求められる世の中です。私はその中で「外せないもの」を選んでいるつもりです。

「部活動はボランティア」という考え方。これも賛否両論だと思います。保護者の立場から見た「部活動」、生徒の立場から見た「部活動」、顧問の立場から見た「部活動」、顧問の家族から見た「部活動」。それぞれの立場から見て「部活動」の位置づけがあります。何が正しくて何が間違っているのか?ここは正直分かりません。ある人にとっては「正しい」ことであってもある人にとっては「正しくない」のです。そこを判断する方法は?分かりません。

人は働かなければ生きていけません。今の私には家族もいます。「聖職者」と言われる(そういう視点で見る人はもういないと思いますが)「教師」という仕事、「無償の奉公」というのは不可能です。金銭的な面にこだわるつもりはありません。だから「部活動はボランティア」という考え方が存在する。「趣味」という位置づけに近いのかもしれません。だからこそ身銭を切ってでも競技とかかわることができる。家族もかなり我慢をしてくれていると思います。

「ボランティア」というのは最低限「自分の生活の保障」がないとできないのです。これも持論。自分が衣食住に困り、何日も食事を取らない。それなのに困っている人のために働き続ける。「聖人」といわれる人ならできるのかもしれませんが、本当にそのような形で「人を助ける」ということに意味があるのか?長続きしないのではないかと思います。本当の意味で「何かしよう」と思えばまずは「生活が保てるかどうか」というベースがあって何かアクションが起こせる。繰り返しになりますが「お金が欲しい」といっているわけではありません。私からすれば今の生活ができれば特別困ってはいません。家族は出費が増えるので不満を感じているかもしれませんが・・・。

「生徒」を育てる方法論は様々だと思います。私は「陸上競技」というツールを用いる。同時に授業などを用いて生徒の力を伸ばす「工夫」をする。どちらも手抜きはできないと思っています。全ては誰のためか?ひょっとしたら自己満足なのかもしれないと思うことは多々あります。それでも大切な部分を常に頭に入れているつもりです。人格者とは程遠い位置に存在していますが「大切なもの」だけは見逃したくない。卒業生が多く訪ねてきてくれるのは私の「誇り」です。嫌われても構わないと思いながら関わってきています。耳に痛い言葉を言われるのは誰もが嫌。それでも誰かが言わねば何も変わらないのですから。最終的に「生徒にプラスになる」と信じて関わっています。

「部活動が全て」という価値観は持っていません。同時に「部活は悪だ」という価値観も持っていません。部活動推進派と思われるかもしれませんが、「指導ができない」「強制的に部活の顧問にさせられて辛い」と思う人が実際にいるのです。そこに目を向けることも必要だと思います。全員が部活が大好きで指導しているわけではない。我々は「好き」でやっている部分があるので我慢もできますが、そうでない人もいる。毎日毎日「嫌だ」と思って生活していたらそれこそ「鬱」になる危険性もあると思います。生徒は部活動が嫌だと思えば「退部する」という手段がありますが、その顧問には「辞める」という権限はない。好きだから頑張れる、目標があるから頑張れるというのとは全く違います。「生徒の成長を促すための教育活動」です。まー基本的には「関わり方」だと思いますが。

文章にするというのはものすごく大変なことです。今回の私が書いている記事だけ見れば「批判の対象」となる可能性もあります。致し方ないことかもしれません。これまでこのblogを読み続けてくださっている方、私の人と柄をご存知の方には分かってもらえる部分もあるでしょう。私の生徒との関わり方、人との関わり方が「気に入らない」という方も大勢おられると思います。価値観は多様です。「指導を受けたい」という人もいる。そうでない人もいる。ジョギングクラブが良いという人もいる。競技を求める人もいる。競技をやりたいが今のうちの求めるレベルではやりたくないという人もいる。それを全て充足する「指導」というのは不可能です。欧米のように「クラブチーム」だけで競技をやるというのも一つの選択だと思います。難しい部分です。

想うことはあります。この手の記事は面白くないのでどうかと思うのですが。

先ほど紹介したblog、ほぼ炎上しています。有名人が取り上げるとすぐに多くのアクセスがあります。そして各々が「想うこと」を述べる。「コメント」が書き込めるので何百という人が書き込みます。しかし、その人のblogは「議論の場」ではないはず。別の場所を設けて主義主張を語り合うほうが良いのではないかと思います。当人は困惑しているでしょうね・・・。このあたりのことも触れたいとは思うのですが・・・。ちょっと・・・ね。
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想うこと1

2014-02-21 | 陸上競技
練習とは全く関係ない(?)かもしれませんが、いくつか思うことがあります。別にここに書く必要があるかどうかは分かりませんが、書き記しておきたいと思います。


facebookで元現役選手がコメントしていました。なんとなく目についたのでアクセスしてみると中学校の部活動についての話でした。

「公立中学校 部活動の顧問制度は絶対に違法だ!!」 http://bukatsu1234.blog.jp/

「匿名」で書かれてはいますが「公立高校での部活動の顧問の悩み」を書いておられます。本当にやりたいことではなくても「ボランティア」として求められる「職務」がある。10人部員がいればその関係者は5倍くらいはいるでしょう(もっと?)。その全員が「納得」する形の部活動などはこの世に存在しません。45人が納得しても5人が「不満だ」と言えばその「不満」はまるで全員の発言のように取り上げられる。部分的なものだけを見てあたかも「全員がそう思っている」というとらえられ方をする。遺憾です。

「学校における部活動」の話は何度か取り上げました。立場的に踏み込んだ発言はできていません。このblogの存在自体をある程度知られていますから「匿名」の発言ではなくなっています。「税金で飯を食っているんだから」と言われる立場です。このことはまた別に「オリンピック」と重ねて書きたいと思っています。ここに書いている内容はあくまで「私見」であって「公務員全体の発言ではない」ということだけはご理解いただきたい。

今回閲覧させていただいたblogは「何故教員が部活動の顧問をしなければいけないのか?」という立場から見ておられます。勤務時間外労働を「ボランティア」という名目の「強制」で行わせている。休日は存在しない。授業研究などもできない。教員の本来の仕事は何か?そこを問っています。本来やりたい「生徒と向き合う」という部分ができなくなってきているのを苦痛に感じ中学校の教員を止めて「部活動」が存在しない小学校教員になると決意されたとのこと。なかなか簡単なことではありません。が、それほど精神的・肉体的な負担が大きく「本来やりたいこと」とは異なるのだと思います。

私はある意味、「やりたくてやっているボランティア」だと思います。自分が陸上競技が好き。陸上競技というツールを使って選手の成長を促す。私の「得意分野」を用いて選手に人間的な成長につながるきっかけを与えることができる。「自分自身が認められるため」という感覚は一切ありません。それならやらない方がましです。選手にはなかなか伝わらないですが(笑)。「頑張る」という意味が分かるようになるためには時間がかかります。道を踏み外せば激怒しますし、効率が悪いことをやっていれば注意します。「机に座って勉強する」ことだけが人を成長させるものではない。そう思って指導に当たっています。

が、「好き」でやっている人ばかりではない。本来は運動が苦手で家で本を読んで過ごすのが趣味という教員がいてもいいと思います。それでも今の現状では「強制的なボランティア」として部活動の顧問に就くことがほとんどです。運動経験がほとんどない人でも「若い」「他にやる人がいない」という理由で運動部の正顧問に就くことは多くあります。その人たちにも「部活に出るのが当たり前」という感覚で求められる。「他の部の顧問はきちんと土日も練習を見てくれるのにうちの顧問は見てくれない」という不満が発生する。当然あり得る光景だと思います。

生徒には「部活動をやる権利」があるのかもしれません。しかし、教員には「強制的なボランティア」という「義務」しか発生していません。私は「やりたいからやる」という感覚があります。が、すべての教員が「部活の指導がしたい」と思っているわけではない。休日くらいは自分のプライベートの時間として使いたいという「人権」が存在するのです。ここに「批判」を受ける理由は存在しないと思っています。教員になったから「24時間を犠牲にするのが当然」と思われるのは間違っていると思います。

私は「好き」でやっています。その代り「一生懸命にやる」というのがその見返りです。「ジョギングクラブ」のような「陸上競技」は今のところできません。今うちの学校に「身体を動かしたい」という生徒がいたとしてその生徒が「陸上競技部」に所属することは可能か?無理です。そういう意味では生徒のやりたいことができていないのかもしれません。「もっと楽しくやりたい」「勝ちたいけどそこまでではない」という生徒はうちの部活動では活動は無理だと思います。これは「顧問の考え方」です。これに関して保護者からも批判されるでしょう。「そこまでやらなくてもいい」という求め方。私が陸上競技部の顧問をしていなければ厳しい指導はないかもしれません。そう考えるとこの視点では「楽しくやりたい生徒の要望を満たしていない」のです。

同時に「部活は勤務時間内のみ」とする。それ以外の活動は認めない。こういう顧問がいる。これはこれで良いと思っています。運動部であっても「練習を長くやらなければいけない」という理由はないのです。もちろん、「一生懸命にやりたいのの顧問がいない」という「不満」は生じるでしょう。強い選手がいるのに顧問がいない。だから練習が不十分。保護者からすれば「不満」なので批判をする。「何故もっと練習をしないのか?」と。逆に適度に運動したいという生徒にとってはこれほど適した部活動はありません。ガツガツやるわけでなく適度に「楽しい」という感覚でやれる。

私は「好き」でやる。だから求める。別の人は「義務」としてやる。だから求めない。立場は真逆かもしれませんが、「同じこと」ではないか?結局どちらの立場で物事を進めても「50人の納得は得られない」のです。私は「陸上競技部」の活動を通じて生徒の成長を促すという「手法」を用いる。しかし、他の人は別の「手法」で生徒と関わるほうがもっとその人の個性を伸ばせる可能性がある。それが「授業」という人も間違いなくいます。私も授業はきちんとやっていますが・・・。

同じ教員であってもその「考え方」は千差万別です。基本は「子供たちのために」という大義名分のもとに活動しています。「子供たちが部活をがんばりたい」と言っているのだから大義名分のもとに「強制的ボランティア」を求められる。私は「好き」だからできる。しかし、そうでない人もいる。そのことに関しては全く触れられないのです。強制的ない「時間外労働」であってもそれは「自主的活動」とみなされる。給与面では大きな損失です。「お金」云々はなかなか触れにくい部分です。が、各自生活があります。部活動のための全ての生活を犠牲にしてやるのが「当然だ」と言われるのは心外です。

私は「好き」でやる。だから苦痛ではない。もちろん、選手が「一生懸命にやる」という約束事を果たしてくれるという前提があっての話ですが。しかし、「好きではない」人もいる。私自身もその視点は持ち続けなければいけないのです。

それぞれの立場がある。それをどれだけの人が理解しているのか?自分中心の視点で物事をみる。だからすべてのことにおいて「批判」が出る。こういうblogに書くと言葉足らずの部分が多くなるので本当に難しいのですが。競技の指導とは異なる部分ですが。高校生にこの手の話をしても100%理解できないと思います。経験がないのですから。実際に今の我々の立場で物事を見る。人それぞれの立場。難しいですね。

めんどくさい話を書いています。また書きます。
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考査週間前の練習

2014-02-20 | 陸上競技
水曜日、この日は学年末考査前の最後の本格的な練習。これ以後は「基本」1時間程度の練習となります。しっかりと時間が問えるのは2月最後かもしれません。冬期練習の最後というわけではありませんが、「一区切り」だと思っています。今まではこの日は「特別な日」と位置付けてかなり走りこんでいました。これ以後は休息日と位置付ける感じ。が、今回は「通常練習の流れ」という感じで考えていました。

「特別な日」という練習は選手も意気込みます。これまでは「とにかく大事な日だからこの日はしっかりと走るんだ」と檄を飛ばしていました。が、よく考えると毎日が大切な練習です。他の日と区別するというのは良くないのではないかと思いました。とうことで「2月最後の走り込みね」という感覚で選手にも話していました。気負いすぎて怪我をしてもらっても困ります。大切な練習であることには変わりありませんが、「特別」という意識はしないように心がけました。

そのため練習は通常通り。前の記事にも書きましたが前日はトレーニングとしていました。かなりの負荷はかかっています。この日に「身体が軽くて絶好調」という選手はいないと思います。だったら走らなくてよいということにはなりません。調子が上がりきらない日こそ動きを意識して良い走りをする。調子が良ければ勝手に身体が動きます。意識しなくてもスピードが出るので問題なし。しかし、身体が重い日は普通にやっていたら「重い」だけで終わってしまいます。何も得るモノがない。それでは練習の意味がなくなる。こういう「動かない日」を大切にする必要があると思います。とはいえ、一時期に比べるとそれでも動けるようになってきています。スピードレベルの向上も見られます。そういう部分で成長はあると思っています。

朝練で基本的な足運びと壁を使っての動きを確認しておきました。ある程度の段階に進んだと思っていますが、何度も何度も原点に戻る必要があると思っています。「できるようになったから次」というのもありますが、それだけではなく「何度も確認する」ことで動きの定着につながっていく。「できるようになった」と安心していたら気が付けば元通りということがあります。油断せずに繰り返しやっていく必要があると思っています。朝は階段も行いました。先週大学生と一緒にやっているのでもう一度確認のためです。これもまずまず。

午後はアップしてから動きをやってフレキへ。普通の流れです。並走を1本ずつ。30m&60mを2セット。短い距離の練習もやっておきたいので。いきなり120mなどの距離を走ってもいいのですがこれでは「目的」が明確になりません。時間の関係で「とにかく走らせたい」という日であれば別だと思いますが、120mの距離を大切にしようと思えばそこに到達するまでにどれだけ「スピード刺激」を与えられるかどうかだと思っています。そのままの流れでバトンパスへ。これは安定してきました。これまでの2月末の時点と比べると全く違います。ミスがほとんどなくなりました。予期せぬミスが生じることも想定しながらバリエーションを変えて取り組んでいかなければいけないと思っています。条件がいつも一定というわけではありません。そこに対する調整も必要。

その後2本(3本?)、中間マークを行いました。これもまずまず。動きが微妙な選手はここに来るまでにすでに微妙でした。それでも昨年と比べると「悪いなりに走る」ということができるようになってきています。それだけで十分かなと。悪いから諦めるということはほとんどなくなってきました。これも当然と言えば当然なのですが。競技をやっている選手は「スピードが出るから面白い」と感じる部分があります。元々「速く走るため」にやっているのですから当然です。スピードが出ないときは正直楽しくないと思います。それでも今後のことを考えると走っておかなければいけません。そこを我慢できるようになるかどうかというのは選手として成長できるかどうかの大きな分かれ道になると思います。

最後に140m(?)位の距離を走りました。うちのグランドで最長の距離(笑)。ここはアバウトになりましたが140m位はあるだろうと思って実施。しつこいようですが前日のダメージが残っているので「最大スピード」はなかなか出ません。その中でどう走るか?大きなエースと1年生はかなり走れていました。動き的にも悪くない。この時期にこれくらいの走りができれば十分だと思います。現時点で12秒5は切って走れるだろうなという感じでしょうか。それ以外の者は重いながらも走っていました。付いていくので精一杯という部分もありますが「勝てないから走るだけ」という感じの練習ではなかったと思います。

ひいきをするわけではありませんが小さなエースは良く我慢できるようになっていると思います。こういう部分の伸び率は一番。昨年は13秒後半の上級生に冬期練習でほとんど勝てませんでした。性格的には面白くないと思います。動かない日が続いて落ち込んでいたことも何度もありました。が、この冬は1年生に負けてもくじけずに取り組んでいます。「当然」と言われたらそうかもしれませんが簡単なことではありません。この日も付いていくだけで一杯という感じでしたが諦めずに最後まであがいていました。身体の状態が万全になれば違ってくるでしょう。「調子が良い」時でも1年生と並んで走るというくらいのスピードです。1年生の伸びが著しい。それでも「上級生」としての意地がある。それが練習中に出せるようになったというのは大きいかなと。

この辺りのことも書いていきたいとは思っています。私の感覚の部分もありますが、記録しておくということで次につながると思っています。良い感じで練習ができたと思います。ひとまずここまで。また書きます。
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トレーニングをする

2014-02-19 | 陸上競技
火曜日、この日は基本的に落とし。前日それほど走っているわけではありませんが「足を休める」という感じでしょうか。下半身を全く使わないわけではなので本当に「休める」ことになっているかは大きな疑問ですが。メリハリをつけるというか気分転換にもなるのかなと。幸いこの冬は誰も怪我をしていません。この2週間くらいは「トレーニングの日」を作っていなかったので「痛い」という者も出てきました。一度に掛ける負荷が高いのも原因だと思います。

ある強豪高校ではウエイトを行った日の翌日は完全休養にすると言われていました。それくらい追い込むのだと思います。筋力的に高い負荷がかかっている日の翌日はしっかりと休ませて回復に充てる。それくらい集中して負荷を掛けることができているのだと思います。複数の種目をしっかりとやっていました。かなりしんどいのだと思います。

逆に関西のある学校は練習の中に「トレーニング」が導入されています。地域差なのかもしれませんがウエイトを導入せずに「補強」といわれる練習が中心。練習の中にサーキットのようなメニューがたくさん含まれています。大きい筋肉に刺激を与えるだけではなく全身のバランスを重視されている感じでしょうか。

どちらが正しいのか?正解はないと思います。それぞれのメリット・デメリットがあるでしょうから。結局練習というのは「真似」です。オリジナルの練習というのは存在しないかもしれません。「そこの学校だけがやっている特別な練習」というのはどれだけあるでしょうか?やり方、意識の仕方で変わってくるだけであり基本的には「同じようなこと」をやっているのだと思います。問題は「中身」の問題。大きく違います。

話がそれてしまいましたが(いつもですが)、トレーニングはダイナマックスを使ったものとシャフト補強を最初に導入。グランド状態があまりよくなかったので駐車場で。これだけで50分程度かかったでしょうか。それだけで十分な負荷になります。練習開始時に少しだけ話をしました。前日はかなり良い練習ができました。それが一日だけでは意味がなくなります。毎日毎日「良い練習」をすることが大事。また、「走る練習は良い」というのでもダメ。走練習もトレーニングも同じ練習です。きちんとした意識で行わなければ効果は出ません。前日と同じ意識で練習をする。そこだけを求めました。「できて当たり前」という感じが強くあります。

通常であればトレーニングはきついので雰囲気が重くなります。この日は何とか持ちこたえた感があります。特に最初の2種目はハードですから自然と元気がなくなります。そういう時ほど声を出してしっかりと取り組むことができるかどうか。大きなことです。前半はまずまず。

後半はバランスディスクとメディ投げ&ハードルジャンプ。少しだけ下半身を使いました。ジャンプ系がどうしても不足するのでこれは補っておかなければいけません。さらにバランスディスクを使って上半身に刺激を与えながら手押し車。これが結構きついようです。通常の腕立て伏せでは肩甲骨周辺に刺激入りません。男子であれば可能かもしれませんが女子では難しい。この部分も含めて少し工夫をしています。やるだけの練習からの脱出ですね。

最後にダイナマックスを使った「思いつき練習」を。これは効果があるのかどうかは私の判断です。股関節から動かすために一工夫しました。ダイナマックスを蹴り返す。きちんとした方向が意識できなければボールがどこに飛ぶか分かりません。これでは困ります。膝から下ではなく股関節からのキックを意識。こ最後にもう一工夫して股関節に負荷を。こう考えるとダイナマックスは使い方が様々です。用い方によってはどのようなトレーニングにも使えるのではないかと思います。便利。

練習は18時半に終わらせました。少しは早めにということで。それなりに負荷はかけられたと思います。

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動きについて

2014-02-18 | 陸上競技
前の記事に補足。あまりblogに技術的なことを書くと部分的なことだけを取り上げられてしまう危険性があるので。まーこちらが意図する部分が伝わらないのは「文字の羅列」でしかなく、そこに意味を持たせるのが難しいからなのですが。

今回卒業生が練習に参加しました。動き的にかなり崩れている部分がありました。これを修正するというのは簡単なことではありません。「やっていたら直る」というものでもないでしょう。ここ最近になって動きの組み立てがある程度できるようになってきました。「今更か!?」と言われますが「今更」です。これまでもある程度の指導はできると自負していたのですが、今考えると「恥ずかしい」限りです。ほとんど今まで教えてもらったことが「表面的な理解」だったのかなという気はします。「膝の締め」であったり「重心の移動」であったり。ドリルをするのにスティックを使う。これも本当は色々な意味があります。なかなか分かってもらえないと思います。

話がそれてきていますが。この卒業生が高校生の時、加速段階がかなり下手で修正できないでいました。2年生から3年生に上がるときの冬にこの部分の改善を行いたいと考えていました。「苦手な部分の克服」が競技力の向上につながります。ここは間違いない事実です。が、そこばかりにこだわりすぎて「大きなもの」を見失っていた気がします。複数指導体制であればまた違うのかもしれませんが。私と選手の「思い込み」の部分が強くなりすぎていたと思います。

加速段階の改善のために前半のマーク走をかなり行いました。加速段階から中間につなげていくためのマークです。しかし、そこにこだわりすぎていて大切な重心移動が全くできなくなってきていました。「速く動く」ことと「加速を修正する」という2つの考えが大きくなりすぎて「重心の移動」ができない。練習の途中で「マークが広くて届かない」と何度か言っていました。「速さ」としては問題はない。届かないのは??ということでそのマークの距離を狭めて行う。これにより重心移動しなくなっているのにさらにそこを助長する動きとなりました。イメージできるでしょうか??理想は「ストライドが広くてピッチが速い」というものです。それに細かい部分が付随してきます。この当時は「ピッチ」意識。実際は「ピッチ」も「ストライド」も意識するものではなく「自然に上がってくるモノ」だと思います。こういう「現象」だけをみて意識させると大切なものを見失う。

結局は重心移動がスムーズでなくなり加速段階でパワーを使って無理やり加速する走りとなってしまいました。一番の武器である中間からの伸びを失ってしまい思うように走れないという状況が続きました。結局、「脚だけの動き」となっているのです。「ピッチ」を上げようと「速さ」を求めたために起きたことだと思います。反省しても反省しきれない。情けない話です。

月曜日の練習での「中間マーク」、これに近いものを感じました。「刻む」という言葉の感覚です。練習が始まる前に話をしました。スピードの上昇の話と中間での走りです。この「中間マーク」の練習は何のために行うのか?「刻む」というのはピッチアップではありません。言葉的には「ピッチを上げる」という意味なのかもしれませんが、この日に話した「刻む」というのは全く別です。今のうちの練習の「中間マーク」の意味が分かっていなければこのような練習をしても意味がありません。マークの部分で本当に「細かく動く」というのであれば「無意味」と言ってもいいくらいです。「他校がやっているから」という理由でやるわけではありません。うちの学校にはうちの学校の「狙い」があるのです。これを選手がある程度理解できているのではないかと感じています。大学生は「ひとまず走ってみる」という感じでした。初めてやる練習ですから当然のことだと思います。

最初の一本は完全に「間延び」していました。タイミングもずれています。それでも押し切れるだけの力があるのかもしれませんが。うちの1年生、マークの部分の質問をすると「前を見て走っているので全く見えていません」とのこと(笑)。天才です。というか、実際のところはそんなものだと思います。特別マークを意識しているわけではないのです。意識してそれに合わせて走ったらうまく走れません。中間で間延びするというのはどういうことか?重心移動がスムーズではなく脚の回転だけで進もうとしているので次のマークに届かないのです。だから動きを大きくして次のマークに進もうとする。中間で動きが間延びすると間違いなくそこで動きは崩れます。終わりです。

そこで「刻む」という言葉を思い出す。届かないのだから届く方でやればよい。重心の移動がきちんとできれば間違いなく普通に走れる距離でも間を狭くして何とか届くようにすればよい。ここに大きな問題点があるのです。結局は詰まってしまってスピードが大幅ダウン。足長的にはほんの少しなのですがこれでも全く違います。「刻む」という言葉は間延びしないように走るという意味であって「ストライドを小さくしてピッチを上げる」という意味では使っていません。

マークの距離を長くすればよいのか?それも全く違うと思います。膝から下を出して大きく走る。これによりどうなるのか?ストライドは伸びますが間違いなく接地ポジションがずれます。ブレーキがかかりますし足が流れます。それにより負担が大きくなり怪我をする危険性が増す。「大きく走る」というのがどのようなことなのか?無駄にピッチで走っている選手には「大きく」という言葉が合うのかもしれませんが。「大きく走る」ことの弊害は中学生から高校生になった時に顕著に表れます。特に女子。ここは色々とあるのでここには書きません。これにより動きが崩れたり走れなくなる選手も出てきます。それくらい大きなことだと思っています。

マーク走一つをとっても「動き」という部分で大きく影響してきます。「やれば速くなる」というのは違うと思います。それなりに速くなるのかもしれませんが、本当はもっともっと速くなるのです。それなりに伸びたというので満足するのではなく「本当はもっとできる」ということを考えないといけないと思います。そこまで考えて指導する人がどれだけいるのかもよくわからない部分ですが。

私が偉そうに書くというのはどうなのか?もっともっときちんと指導できる人もいます。それでもこういう部分について触れることはできます。細かい話は文章では伝わらないと思います。「本当に指導できる」という人は少ないというのが現実です。ある程度の指導ができるようになってきていると思いますがやはり私もまだまだです。

あまり深く書いていくと引かれてしまうのでこの辺で止めておきます。「動き」についてしっかりと考えないといけないと思います、目の前の選手をしっかり見ていくことで勉強できればいいなと思っています。まとまりのない文章ですみません・・・。
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スピード練習

2014-02-18 | 陸上競技
月曜日、雨予報でした。18時以降の降水確率が上がっていたのでできるだけ早く練習を進めていこうと計画をしていました。が、練習開始前に昨年担任をしたいた生徒が私を訪ねてきてくれました。せっかく来てくれたのでしばらく話をすることに。

アップの指示は出していましたが金曜日と同じ量でアップをしていたのでちょっと長引きました。この日も大学生が4人練習に参加してくれていました。今回はこちらから積極的にアピールしてきてもらうことに。練習の中に刺激をもらうということは高校生にとっても大きなプラスになります。普段よりも集中力が上がるのではないかという感じがあったのでポイント練習となるこの日に来てもらいました。

アップだけで1時間程度かかってしまいました。ちょっとやりすぎです(笑)。それ以外のドリルの部分を少しずつ減らしました。メインとなる練習に時間を確保したい。とはいえ、やりたいことはたくさんある。難しい部分です。基本的な動きの確認とフレキ&スキップまでしっかりとやりました。その後は並走。1-2走、2-3走の区間で1本ずつ。2本だけです。これと同じ意味合いもある練習も加えることにしました。

土曜日に25mと50mの組み合わせの練習をしました。が、色々と考えて30mと60mの組み合わせ走に変更しました。理由は「加速段階」と「中間疾走」の走りをしっかりと行うため。25mでは不足するなと感じたので距離を伸ばしました。この練習が始まる前に大学生も含めてもう一度説明を。走ればよいという練習ではなく「何のためにやるのか」を明確にしていく練習にしたい。各局面で意識ができればその練習の効果が高まると考えています。休まず勢いで行きました。といっても各自がきちんと走れるようになってから走るというのは当然のこと。追い込む練習ではありません。きちんとした動きができなければこの練習の意味はなくなってしまいます。

その流れでバトン。各区間2本ずつ。この日は安定してバトンが渡りました。大学生がミスをしたのでそのミスを利用して他の選手に説明。「なぜ上手く渡らなかったのか」を考えさせながらやりました。客観的に見ることができると自分たちの課題も分かってきます。出るのが早い時にどうするか?遅れたときにどうするか?ここの部分の対応です。秋口に比べるとそれぞれがスピードに乗った状態でバトンが渡るようになってきました。ひどいときは10mでバトンが渡るような状況でしたから、「加速できない」状態でバトンをもらい無理やりスピードを上げるという状況でした。ここが克服できると勝負できるようになると思いますね。タイムにも大きく影響してくるでしょう。

最後に中間マークを。これも大学生と一緒に。見ていると動きが大きくなってしまって刻めません。小さく速くでもだめ。重要なことです。最初は切り替えができるにゆっくりした動きに。1本抜いて次は小さなエースと同じ距離で走っていました。もちろん上手くいきません。調整して詰まるような動きになる。これでは目的は果たせません。

自分たちで判断して「距離が長い」と感じて短いほうに移ったのでしょうかこれでは絶対に走れません。身長が150cmでピッチで走る選手と160cmの選手が走るのでは全く違ってきます。「マークが遠い」と感じたから「短いほうで走る」というのが間違っているとは言いません。が、これは根本的な問題の解決にはなりません。今回練習に参加した大学生のうち一人はうちの卒業生。「ピッチを上げる」という課題を持って冬期を越えましたが途中から全く進まなくなりました。マーク走でも届かなくなるので自分の幅にあったものに調整。「速く動く」というところにこだわり過ぎました。結果、重心が進まなくなる。走りが作れなくなったのです。

「大きく走る」ことを求めるのであればマークの距離を長くすればよい。しかし、これでは走れない。ピッチを意識するためには狭くすればよい。しかし、刻むだけでは意味がない。このあたりのことを考えながらやっていくことは必要だと思います。改めて言う必要はないのですが。適当にマークを置いて走る。これでは成果は出ません。大学生にはある程度のポイントを指示しました。学校でもできる練習ですから。1本目のように「間延びした走り」では練習の意味はありませんし、2本目のように「ブレーキを掛けながら走る」というのでは効果はない。「刻む」という部分だけにこだわる必要はありませんし、マイナスですね。

うちの選手はここ最近では一番良い動きをしていました。もちろんスピードも。1本ずつ休息を取りながら行いました。スピードが上がればその1本で疲労します。レースと同じスピードで何本も走るのは難しいですからね。この日の動きはレースに近い動きだったと思います。マーク走を行った後もよく走れていました。1年生が「1本しか走っていないのにかなり疲れる」と言っていました。何も考えずに10本走るのと意識して1本走るのであれば「効果」は全く違います。当然のことです。「走るだけ」の練習から抜け出せるきっかけはつかんでいるはずですね。

本当に良い雰囲気で練習ができました。評価できます。この雰囲気で練習がつめれば間違いないと思います。この日限定で言えば数年前のピーク時よりも良かったかもしれません。「競技に集中する」という練習でした。前キャプテンも手伝いに来てくれていましたがそのことは感じていたようです。これが本物になるかどうか?これにすべてがかかっています。どうなるでしょうか。

練習に参加してくれた大学生に感謝。良い練習ができました。
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夢に向かって

2014-02-18 | 陸上競技
日曜日、新聞を見ていました。それは特別な事でもなんでもないのですが。山口県版のところを見ていると「ご当地アイドル」の記事が。残念ながら基本的に芸能関係に全く興味がないのでほとんど見たことがありません。特にこの手の「アイドルユニット」というのが苦手でした。おっさんになっていますから見分けがつかないというのもあると思います。関心がないことに関しては全く駄目ですから。興味の範囲が狭いので他の人と比べるとそういう部分の情報収集は全くできません。これまで大きな問題はなく過ごしていたので大丈夫かなと。

で、新聞の記事を読み飛ばそうかと思っていたらアイドルが踊っている写真の端に知り合いの顔が。私が今の仕事について初めて担任をした時の生徒がいました。「え?」と思って記事を読んでみると数年前からこの「山口活性化学園」というアイドルユニットの「振付」を担当しているとのこと。驚きました。自分が全く興味がないと思って読み飛ばしていたところに卒業生が関わっているとは。以前からfacebookでこの「山口活性化学園」の記事を「シェア」しているのは知っていました。上述の通り、「全く興味ない」と思っていたので「好きなのかな」という程度で考えていました。知らないこととはいえ申し訳ない話ですね。

朝日新聞の日曜日の新聞にかなり大きく記載されていました。普段は事務系の仕事をしているはずです。仕事終了後や土日を使ってダンスをやっていた。この辺の話は知っていました。もう一人仲の良い子と一緒にダンスコンテストに出るというのは聞いていましたから。もともとバスケットをやっていて卒業後も体育館でバスケチームを作ってやっていました。学校の統合により体育館使用ができなくなりました。で、総合スポーツセンターにたまたま夜行ったら軒下で数人でダンスをしている。何をやっているのかと聞くと「バスケできなくなったからダンスをやる」という感じで話していました。当時は「趣味」という感じで考えていましたから「おー頑張れよ」というレベルで終わっていました。

その後、ダンスコンテストに出るという話で「頑張っているな」とは思っていましたが「ご当地アイドル」の裏方で振付師をしているとは・・・。通常業務とは別にやるのでかなり大変です。我々の「部活の指導」と似ている部分があると思います。特に見返りがあるわけではない。が、自分が今までやってきたことを他の人に何か還元できればという感じでしょうか。推測ですが特別に「給料」をもらっているわけではないと思います。それでも「頑張っている人を応援する」という意味で人と関わるという意味のあることをしている。頭が下がります。

他の人の話を聞くとどうもかなり「有名」になっているようです。県内のイベントに数多く参加している。さらに「インディーズ」のCD売上で20番以内に入っているとのこと。ここもすごいのかどうか全く分かりませんがたぶんすごいことなのでしょう。卒業生がこのような形活躍してくれているのはうれしく思います。

また、同級生で今東京で美容師をしている子もいます。この子(27歳なので「この子」というのもどうかと思いますが)は「美容師になりたい」というので福岡の専門学校に行きました。最初は県内の別の専門学校で「保育士」か何かの勉強をしようとしていたと思います。が、自分の「夢」を見つけ「美容師」を目指して勉強することに。「美容師」の仕事も大変です。実際卒業生で「美容師」になりたいという子は多くいます。しかし、この子は「東京で美容師になる」と言って実際に上京しました。それも芸能人が来るような大きな美容院で働き始めました。こういう行動力はすごいですね。

これもfacebookで報告があったのですがついに「カット」というか自分自身でスタイリストデビューを果たしたようです。27歳ですから長い間の下積みがあったことになります。それでも「美容師になる」という「夢」に向かって進む。通常では成し遂げることができない「カリスマ美容師」と言われる大きな「夢」に向かって進む。実際のそのスタートラインに立つことができたのです。大きなことです。信じられませんが「やるんだ」と思って進んでいけば「夢」に近づける。または「実現」できるのです。

高校は3年間しかありません。その中で「夢」をつかむことができるか。正直難しい部分だと思います。それでも「夢」を持ってそこに向かって最大限の努力をしなければ達成できる可能性はない。高校時代につかめなかった「夢」でも将来的にそこで頑張った経験は間違いなく生きてくる。「夢」に向かって進めるエネルギーになるのです。

卒業生の頑張りを見て「私もやらなければいけない」という気持ちになりました。負けれらませんから。いい刺激をもらいました。感謝。
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しっかりと走る

2014-02-16 | 陸上競技
土曜日、天気がどうなるか分かりませんでしたがまー何とかなるだろうという感じで軽く考えていました。グランドがどのようになるかは難しいところですが問題ないだろうと甘く考えていました。結局問題なく練習できました。比較的暖かかったですね。

練習開始前にはグランドに行きました。が、開始時間直前になってもまだ準備が全くできていません。というか手付かず。練習開始時間であって集合時間ではありません。何度も言いますが「練習さえやれば良い」とは思っていません。そういう部分がきちんと出来るようにならなければ意味はない。無理な時間に集合させているわけではありません。通常の朝練よりは50分近く遅い時間から開始にしているのです。8時30分開始で25分に来るというのは通常では絶対に考えられません。私の考え方がおかしいのかもしれませんが。最低でも15分前にはグランドに来て準備等をする必要があると思います。何度も言いますが「自分達の練習」です。私から与えられる練習になるというのでは絶対に戦えません。まーこの日は指摘するレベルで終わらせました。このblogを見ている方々がどのように感じるのかは分かりませんが、なかなかこういう部分が繋がらないもどかしさを感じながらやっているのです。

練習はいつも通り。ドリル、ハードル、腿上げという流れで。フレキも行いましたが本数の調整を行いました。他の練習を入れていきたいのでここの本数を少なくして行くことに。スキップとシザースも組み合わせているのですがスキップの本数を減らして走る練習を増やしたいなと。ドリル系をやるのにかなりの時間を要しています。それも必要だとは思っているのですが練習の三分の一はアップとドリルに使っています。さすがに長すぎるのではないかと。負荷はそれなりにかかっていますが走る練習を増やしていきたいと考えています。

並走の本数も調整して25mと50mの組み合わせを実施。並走も課題がありますが木曜日は流れていました。これでは意味がありません。もう一つの練習は並走2という感じでしょうか。練習の中に上手く組み入れていきたいと考えています。ここでも話をしました。何のためにやっているのか?この練習の目的が明確になると練習の質も上がります。加速する者、スピードを維持する者。ここの感覚が分かってくると中間も加速もどちらも意識できる練習になるのではないかと。前日までとは少し形を変えました。バトンの「出」の練習も兼ねることにしました。バトンを渡す渡さないではなく、感覚的に走ってくる相手とのタイミングを図りたいと思います。

そのままバトンパスも。ここではとにかくリレーのための練習をしておきたいと思います。きちんと受け渡しが出来る。渡す方ももらう方も課題を持って走ってもらいたい。ここを繰り返し話しています。バトンの受け渡しの後、各ペアが幾度となく確認をしていました。こういう姿勢が出てくると中身も大きく変わってくるはずです。これが練習以外の部分に繋がってくれると本当に良いのですが。

最後は1時間以上かけて走り込みをしました。数人脚の痛みを訴えていました。何度か確認をしましたが「走る」ということなので走らせました。以前は「足が痛いのに走らされた」と言う者もいました。本当に初期の頃ですが。嫌ならやらなければいい。典型的なやらされる練習だったのだと思います。今は「強くなるためにやる」という感覚が強いですから当時とは違うと思います。とはいえ、ここで無理をしてシーズンを棒に振るというのだけは絶対に避けなければいけません。頃合いを見ながらやっていきたいと思います。

かなりの量を走ったので負荷は高いですし、脚にダメージが残っていると思います。そこをどう対処するかですね。痛いと言ってもそこに対して何もしないというのでは絶対に改善されません。こちらが話をしていることを理解しなければいけません。なかなか目が合わない者もいます。伝わっているのかどうか大きな疑問がありますが…。

良くはなってきていますが、こちらのストレスもかなりのものです。一人で対応できるレベルなのか。心が折れないことを祈るばかりです。結構しんどい部分があります。本当に前進できているのかどうかの疑問が私の中に大きく残っています。どうなのでしょうか。何か一つが出来るようになっただけで成長は成長です。が、他の事と繋がらなかったり、頑張りきれない部分があるとこれは意味がなくなる。うーん、精神的にしんどい。ちよっと旅にでも出たいところです。辞めたいとまではいきませんが、しんどい。そこから抜け出したいですね。

後ろ向きにならないようにやって行きます。
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基本練習

2014-02-16 | 陸上競技
金曜日、この日の天気予報は雪。前日はそのつもりで高い負荷をかけていました。天気が良くても悪くても基本の確認ができればいいなというくらいの軽い気持ちでいました。連続で負荷をかけると身体が持たないのではないかという気がしているので。甘いのかもしれませんが。

結局寒いかなという気はしましたが屋外で練習するのに全く問題ないレベル。走るのも可能な天候でしたが、ここで無理する必要は全くないので軽くやって終了と考えていました。この日も大学生が練習に参加するということだったのでそれも加味して練習をすることに。足に負担をかけないように本当にドリルだけ。走る必要はないと判断しました。

練習開始時はまたも会議だったのでダイナマックスとステップ練習をアップとして行うように指示。30分程度でアップが終わるだろうと考えていたのですが、私が練習に行った時にはまだ半分しか消化できていませんでした。多すぎた(笑)。本当はこれ以外に多くのメニューを計画していたのですがとてもそこまで到達できる可能性はありませんでした。ハードルを使った股関節周辺の補強をするつもりがそこまでできません。諦めてすぐにドリルを行うことにしました。

上述のように大学生が練習に参加していたので特別に動きの確認をするためにトレーニングルームでミーティングを実施しました。何を目的として練習をするかの理解です。1月からかなり話をしながらやっています。技術ノートもつけさせるようにしました。それでもまだ何のためにやっているのか分かっていない部分もあります。高校生なのでそこまでの理解が無くてもできるのかもしれませんが、単にやるだけの練習では何も生み出さないのではないかと思います。これは最近特にですね。

ドリルで段階を追ってやっていきます。最終的な目標とそこに到達するため何をするのか。出来るだけシンプルに考えてやっていきたい。師匠の受け売りですが、難しい技術論は必要ないと思っています。単純な動きを継続して身につけていく。自分達が何を目指して動きをしているのか。それが次にどのようにつながって行くのか。そこをイメージできるといいなと思って時間をかけました。とはいえ、質問をされるとなかなか答えられません。私の質問の仕方が意地悪だったのもあるとも思いますが(笑)。足運び、膝と腰の移動、接地ポジション。これ以外にはあまり考えないようにしています。加速段階の話になるとまた別ですが中間であればここだけかなと。もちろんまだまだあるのですが引き出しの中にはあっても全てを選手に伝えると混乱しますからね。教えたがりは良くないと自覚しているので。

そのまま時間をかけてその場の足運び。少しずつ前に進みながら階段へ。階段が終わってから次の段階へ。かなりしつこくやりました。練習に来ていた学生も後半は少しずつ出来るようになってきました。わざわざ高校に練習するために来ようと思う選手ですからそれなりに意識はあるのだと思います。うちの選手も見習ってもらいたいと思います。前日から少しずつ変わってきています。空き時間に自分の動きの確認をするようになりました。言われたら返事をして終わりではなく、その動きを何とかして身につけようという感覚が芽生えてきたのかもしれないなと感じています。こうなると一気に段階が進むのですが。

壁を使った練習までは廊下でやってその後は屋外へ。ハードルを使って股関節と脚の連動をさせてから腿上げへ。残念ながら私はここで退散しなければいけなくなりました。可能なら最後まで居たかったのですが。お付き合いもあるので。

負荷的には高くないとは思いますが休養というまではいかなかったかもしれません。冬期もあと少しです。しっかりとやっておきたいと思います。とにかく怪我のないようにしていきたいと思っています。
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