練習とは全く関係ない(?)かもしれませんが、いくつか思うことがあります。別にここに書く必要があるかどうかは分かりませんが、書き記しておきたいと思います。
facebookで元現役選手がコメントしていました。なんとなく目についたのでアクセスしてみると中学校の部活動についての話でした。
「公立中学校 部活動の顧問制度は絶対に違法だ!!」 http://bukatsu1234.blog.jp/
「匿名」で書かれてはいますが「公立高校での部活動の顧問の悩み」を書いておられます。本当にやりたいことではなくても「ボランティア」として求められる「職務」がある。10人部員がいればその関係者は5倍くらいはいるでしょう(もっと?)。その全員が「納得」する形の部活動などはこの世に存在しません。45人が納得しても5人が「不満だ」と言えばその「不満」はまるで全員の発言のように取り上げられる。部分的なものだけを見てあたかも「全員がそう思っている」というとらえられ方をする。遺憾です。
「学校における部活動」の話は何度か取り上げました。立場的に踏み込んだ発言はできていません。このblogの存在自体をある程度知られていますから「匿名」の発言ではなくなっています。「税金で飯を食っているんだから」と言われる立場です。このことはまた別に「オリンピック」と重ねて書きたいと思っています。ここに書いている内容はあくまで「私見」であって「公務員全体の発言ではない」ということだけはご理解いただきたい。
今回閲覧させていただいたblogは「何故教員が部活動の顧問をしなければいけないのか?」という立場から見ておられます。勤務時間外労働を「ボランティア」という名目の「強制」で行わせている。休日は存在しない。授業研究などもできない。教員の本来の仕事は何か?そこを問っています。本来やりたい「生徒と向き合う」という部分ができなくなってきているのを苦痛に感じ中学校の教員を止めて「部活動」が存在しない小学校教員になると決意されたとのこと。なかなか簡単なことではありません。が、それほど精神的・肉体的な負担が大きく「本来やりたいこと」とは異なるのだと思います。
私はある意味、「やりたくてやっているボランティア」だと思います。自分が陸上競技が好き。陸上競技というツールを使って選手の成長を促す。私の「得意分野」を用いて選手に人間的な成長につながるきっかけを与えることができる。「自分自身が認められるため」という感覚は一切ありません。それならやらない方がましです。選手にはなかなか伝わらないですが(笑)。「頑張る」という意味が分かるようになるためには時間がかかります。道を踏み外せば激怒しますし、効率が悪いことをやっていれば注意します。「机に座って勉強する」ことだけが人を成長させるものではない。そう思って指導に当たっています。
が、「好き」でやっている人ばかりではない。本来は運動が苦手で家で本を読んで過ごすのが趣味という教員がいてもいいと思います。それでも今の現状では「強制的なボランティア」として部活動の顧問に就くことがほとんどです。運動経験がほとんどない人でも「若い」「他にやる人がいない」という理由で運動部の正顧問に就くことは多くあります。その人たちにも「部活に出るのが当たり前」という感覚で求められる。「他の部の顧問はきちんと土日も練習を見てくれるのにうちの顧問は見てくれない」という不満が発生する。当然あり得る光景だと思います。
生徒には「部活動をやる権利」があるのかもしれません。しかし、教員には「強制的なボランティア」という「義務」しか発生していません。私は「やりたいからやる」という感覚があります。が、すべての教員が「部活の指導がしたい」と思っているわけではない。休日くらいは自分のプライベートの時間として使いたいという「人権」が存在するのです。ここに「批判」を受ける理由は存在しないと思っています。教員になったから「24時間を犠牲にするのが当然」と思われるのは間違っていると思います。
私は「好き」でやっています。その代り「一生懸命にやる」というのがその見返りです。「ジョギングクラブ」のような「陸上競技」は今のところできません。今うちの学校に「身体を動かしたい」という生徒がいたとしてその生徒が「陸上競技部」に所属することは可能か?無理です。そういう意味では生徒のやりたいことができていないのかもしれません。「もっと楽しくやりたい」「勝ちたいけどそこまでではない」という生徒はうちの部活動では活動は無理だと思います。これは「顧問の考え方」です。これに関して保護者からも批判されるでしょう。「そこまでやらなくてもいい」という求め方。私が陸上競技部の顧問をしていなければ厳しい指導はないかもしれません。そう考えるとこの視点では「楽しくやりたい生徒の要望を満たしていない」のです。
同時に「部活は勤務時間内のみ」とする。それ以外の活動は認めない。こういう顧問がいる。これはこれで良いと思っています。運動部であっても「練習を長くやらなければいけない」という理由はないのです。もちろん、「一生懸命にやりたいのの顧問がいない」という「不満」は生じるでしょう。強い選手がいるのに顧問がいない。だから練習が不十分。保護者からすれば「不満」なので批判をする。「何故もっと練習をしないのか?」と。逆に適度に運動したいという生徒にとってはこれほど適した部活動はありません。ガツガツやるわけでなく適度に「楽しい」という感覚でやれる。
私は「好き」でやる。だから求める。別の人は「義務」としてやる。だから求めない。立場は真逆かもしれませんが、「同じこと」ではないか?結局どちらの立場で物事を進めても「50人の納得は得られない」のです。私は「陸上競技部」の活動を通じて生徒の成長を促すという「手法」を用いる。しかし、他の人は別の「手法」で生徒と関わるほうがもっとその人の個性を伸ばせる可能性がある。それが「授業」という人も間違いなくいます。私も授業はきちんとやっていますが・・・。
同じ教員であってもその「考え方」は千差万別です。基本は「子供たちのために」という大義名分のもとに活動しています。「子供たちが部活をがんばりたい」と言っているのだから大義名分のもとに「強制的ボランティア」を求められる。私は「好き」だからできる。しかし、そうでない人もいる。そのことに関しては全く触れられないのです。強制的ない「時間外労働」であってもそれは「自主的活動」とみなされる。給与面では大きな損失です。「お金」云々はなかなか触れにくい部分です。が、各自生活があります。部活動のための全ての生活を犠牲にしてやるのが「当然だ」と言われるのは心外です。
私は「好き」でやる。だから苦痛ではない。もちろん、選手が「一生懸命にやる」という約束事を果たしてくれるという前提があっての話ですが。しかし、「好きではない」人もいる。私自身もその視点は持ち続けなければいけないのです。
それぞれの立場がある。それをどれだけの人が理解しているのか?自分中心の視点で物事をみる。だからすべてのことにおいて「批判」が出る。こういうblogに書くと言葉足らずの部分が多くなるので本当に難しいのですが。競技の指導とは異なる部分ですが。高校生にこの手の話をしても100%理解できないと思います。経験がないのですから。実際に今の我々の立場で物事を見る。人それぞれの立場。難しいですね。
めんどくさい話を書いています。また書きます。
facebookで元現役選手がコメントしていました。なんとなく目についたのでアクセスしてみると中学校の部活動についての話でした。
「公立中学校 部活動の顧問制度は絶対に違法だ!!」 http://bukatsu1234.blog.jp/
「匿名」で書かれてはいますが「公立高校での部活動の顧問の悩み」を書いておられます。本当にやりたいことではなくても「ボランティア」として求められる「職務」がある。10人部員がいればその関係者は5倍くらいはいるでしょう(もっと?)。その全員が「納得」する形の部活動などはこの世に存在しません。45人が納得しても5人が「不満だ」と言えばその「不満」はまるで全員の発言のように取り上げられる。部分的なものだけを見てあたかも「全員がそう思っている」というとらえられ方をする。遺憾です。
「学校における部活動」の話は何度か取り上げました。立場的に踏み込んだ発言はできていません。このblogの存在自体をある程度知られていますから「匿名」の発言ではなくなっています。「税金で飯を食っているんだから」と言われる立場です。このことはまた別に「オリンピック」と重ねて書きたいと思っています。ここに書いている内容はあくまで「私見」であって「公務員全体の発言ではない」ということだけはご理解いただきたい。
今回閲覧させていただいたblogは「何故教員が部活動の顧問をしなければいけないのか?」という立場から見ておられます。勤務時間外労働を「ボランティア」という名目の「強制」で行わせている。休日は存在しない。授業研究などもできない。教員の本来の仕事は何か?そこを問っています。本来やりたい「生徒と向き合う」という部分ができなくなってきているのを苦痛に感じ中学校の教員を止めて「部活動」が存在しない小学校教員になると決意されたとのこと。なかなか簡単なことではありません。が、それほど精神的・肉体的な負担が大きく「本来やりたいこと」とは異なるのだと思います。
私はある意味、「やりたくてやっているボランティア」だと思います。自分が陸上競技が好き。陸上競技というツールを使って選手の成長を促す。私の「得意分野」を用いて選手に人間的な成長につながるきっかけを与えることができる。「自分自身が認められるため」という感覚は一切ありません。それならやらない方がましです。選手にはなかなか伝わらないですが(笑)。「頑張る」という意味が分かるようになるためには時間がかかります。道を踏み外せば激怒しますし、効率が悪いことをやっていれば注意します。「机に座って勉強する」ことだけが人を成長させるものではない。そう思って指導に当たっています。
が、「好き」でやっている人ばかりではない。本来は運動が苦手で家で本を読んで過ごすのが趣味という教員がいてもいいと思います。それでも今の現状では「強制的なボランティア」として部活動の顧問に就くことがほとんどです。運動経験がほとんどない人でも「若い」「他にやる人がいない」という理由で運動部の正顧問に就くことは多くあります。その人たちにも「部活に出るのが当たり前」という感覚で求められる。「他の部の顧問はきちんと土日も練習を見てくれるのにうちの顧問は見てくれない」という不満が発生する。当然あり得る光景だと思います。
生徒には「部活動をやる権利」があるのかもしれません。しかし、教員には「強制的なボランティア」という「義務」しか発生していません。私は「やりたいからやる」という感覚があります。が、すべての教員が「部活の指導がしたい」と思っているわけではない。休日くらいは自分のプライベートの時間として使いたいという「人権」が存在するのです。ここに「批判」を受ける理由は存在しないと思っています。教員になったから「24時間を犠牲にするのが当然」と思われるのは間違っていると思います。
私は「好き」でやっています。その代り「一生懸命にやる」というのがその見返りです。「ジョギングクラブ」のような「陸上競技」は今のところできません。今うちの学校に「身体を動かしたい」という生徒がいたとしてその生徒が「陸上競技部」に所属することは可能か?無理です。そういう意味では生徒のやりたいことができていないのかもしれません。「もっと楽しくやりたい」「勝ちたいけどそこまでではない」という生徒はうちの部活動では活動は無理だと思います。これは「顧問の考え方」です。これに関して保護者からも批判されるでしょう。「そこまでやらなくてもいい」という求め方。私が陸上競技部の顧問をしていなければ厳しい指導はないかもしれません。そう考えるとこの視点では「楽しくやりたい生徒の要望を満たしていない」のです。
同時に「部活は勤務時間内のみ」とする。それ以外の活動は認めない。こういう顧問がいる。これはこれで良いと思っています。運動部であっても「練習を長くやらなければいけない」という理由はないのです。もちろん、「一生懸命にやりたいのの顧問がいない」という「不満」は生じるでしょう。強い選手がいるのに顧問がいない。だから練習が不十分。保護者からすれば「不満」なので批判をする。「何故もっと練習をしないのか?」と。逆に適度に運動したいという生徒にとってはこれほど適した部活動はありません。ガツガツやるわけでなく適度に「楽しい」という感覚でやれる。
私は「好き」でやる。だから求める。別の人は「義務」としてやる。だから求めない。立場は真逆かもしれませんが、「同じこと」ではないか?結局どちらの立場で物事を進めても「50人の納得は得られない」のです。私は「陸上競技部」の活動を通じて生徒の成長を促すという「手法」を用いる。しかし、他の人は別の「手法」で生徒と関わるほうがもっとその人の個性を伸ばせる可能性がある。それが「授業」という人も間違いなくいます。私も授業はきちんとやっていますが・・・。
同じ教員であってもその「考え方」は千差万別です。基本は「子供たちのために」という大義名分のもとに活動しています。「子供たちが部活をがんばりたい」と言っているのだから大義名分のもとに「強制的ボランティア」を求められる。私は「好き」だからできる。しかし、そうでない人もいる。そのことに関しては全く触れられないのです。強制的ない「時間外労働」であってもそれは「自主的活動」とみなされる。給与面では大きな損失です。「お金」云々はなかなか触れにくい部分です。が、各自生活があります。部活動のための全ての生活を犠牲にしてやるのが「当然だ」と言われるのは心外です。
私は「好き」でやる。だから苦痛ではない。もちろん、選手が「一生懸命にやる」という約束事を果たしてくれるという前提があっての話ですが。しかし、「好きではない」人もいる。私自身もその視点は持ち続けなければいけないのです。
それぞれの立場がある。それをどれだけの人が理解しているのか?自分中心の視点で物事をみる。だからすべてのことにおいて「批判」が出る。こういうblogに書くと言葉足らずの部分が多くなるので本当に難しいのですが。競技の指導とは異なる部分ですが。高校生にこの手の話をしても100%理解できないと思います。経験がないのですから。実際に今の我々の立場で物事を見る。人それぞれの立場。難しいですね。
めんどくさい話を書いています。また書きます。