木曜日、練習終了後急いで帰宅。卒業生と食事に行く約束をしていたのでかなり慌てて帰りました。ここ最近少なくなってきましたが陸上部の卒業生とは一緒に食事に行くことがあります。二十歳を越えた子も多くなってきているので若干(?)お酒を飲むこともあります。高校時代とは異なる関わり方ができるというのも嬉しいですね。わざわざ送り迎えをしてくれます。感謝。
今回は1月に約束していたのですが私が東京に行くことになり、戻ってきてかなりバタバタだったので無理を言って一ヶ月伸ばしてもらいました。普通の事務ではなく看護師をしているので日程を決めておかないといけません。翌日が休みの日に設定するようにお願いしていました。私の日程に合わせるといつになるか分かりません(笑)。店の予約までしてくれていました。計画的です。他の卒業生は約束をしていても合流してから店を決めるのでロスが多い(笑)。
この子とは色々と話をします。これは高校生の時からだと思います。うちの陸上競技部が県内で認められるようになったのはこの子達がいた時からです。全くの無名校だった本校、数年間で戦えるようになったのは選手が良かったというのが大きな理由だと思いますね。「良かった」というのは才能溢れる選手が集まって来たという意味ではありません。「素直に話を聞ける」と「努力できる」という意味です。こちらの求めることを純粋にやって行くことができる。これでチームは強くなりました。
この日も話をしましたが、初めて県外の合宿に参加させてもらったののもこの子達の時です。中国地区の強豪校の合宿に参加して明らかな違いに衝撃を受けました。選手も同様。この合宿から帰ってすぐに髪の毛をバッサリ切っていました。勝負するために「覚悟」が必要。私から言われてではなく自分達でそれを感じ取っての行動でした。強くなるための素養はあったと思います。
この頃は県で活躍した選手が入学してくるということはありませんでした。個人の成績はほとんどなし。それでも全員が中国大会に行くのが当たり前。個人で中国に行けない選手はいないという学年もありました。同級生が6人いて県新人で5人が3位以内に入る。その時のキャプテンが自分だけが個人で中国に行けなかったと涙を流していたことがあります。翌年は専門外の800mで中国へ。県総体で長距離選手0名でトラック優勝、総合優勝も果たしました。この前後の学年がチームの基礎を作ってくれたと思います。
今でもその頃の話を良くします。この子達にとって当時の競技生活は大きな財産になっているのでしょう。
それ以外には「命」の話もしました。これはあまりにも真剣な話だったのでここでは割愛。結構真面目な話でした。気がついたら4時間話をしていました。二人でしたから誰も止めてくれません。閉店時間となったので終了という感じでした。相変わらずですね。ひたすら話をしたという記憶しかありません。
なかなか時間が作れませんがこういう時間も私の中に大切だなと思います。真剣に何かを話すというのはよほど気の合う相手としかできません。これからどれだけの機会があるのか分かりませんが誘われたら行くようにしたいですね。なかなか私から行こうという感じにはならないので、卒業生の皆さん誘ってください(笑)。
気分転換できました。感謝。
今回は1月に約束していたのですが私が東京に行くことになり、戻ってきてかなりバタバタだったので無理を言って一ヶ月伸ばしてもらいました。普通の事務ではなく看護師をしているので日程を決めておかないといけません。翌日が休みの日に設定するようにお願いしていました。私の日程に合わせるといつになるか分かりません(笑)。店の予約までしてくれていました。計画的です。他の卒業生は約束をしていても合流してから店を決めるのでロスが多い(笑)。
この子とは色々と話をします。これは高校生の時からだと思います。うちの陸上競技部が県内で認められるようになったのはこの子達がいた時からです。全くの無名校だった本校、数年間で戦えるようになったのは選手が良かったというのが大きな理由だと思いますね。「良かった」というのは才能溢れる選手が集まって来たという意味ではありません。「素直に話を聞ける」と「努力できる」という意味です。こちらの求めることを純粋にやって行くことができる。これでチームは強くなりました。
この日も話をしましたが、初めて県外の合宿に参加させてもらったののもこの子達の時です。中国地区の強豪校の合宿に参加して明らかな違いに衝撃を受けました。選手も同様。この合宿から帰ってすぐに髪の毛をバッサリ切っていました。勝負するために「覚悟」が必要。私から言われてではなく自分達でそれを感じ取っての行動でした。強くなるための素養はあったと思います。
この頃は県で活躍した選手が入学してくるということはありませんでした。個人の成績はほとんどなし。それでも全員が中国大会に行くのが当たり前。個人で中国に行けない選手はいないという学年もありました。同級生が6人いて県新人で5人が3位以内に入る。その時のキャプテンが自分だけが個人で中国に行けなかったと涙を流していたことがあります。翌年は専門外の800mで中国へ。県総体で長距離選手0名でトラック優勝、総合優勝も果たしました。この前後の学年がチームの基礎を作ってくれたと思います。
今でもその頃の話を良くします。この子達にとって当時の競技生活は大きな財産になっているのでしょう。
それ以外には「命」の話もしました。これはあまりにも真剣な話だったのでここでは割愛。結構真面目な話でした。気がついたら4時間話をしていました。二人でしたから誰も止めてくれません。閉店時間となったので終了という感じでした。相変わらずですね。ひたすら話をしたという記憶しかありません。
なかなか時間が作れませんがこういう時間も私の中に大切だなと思います。真剣に何かを話すというのはよほど気の合う相手としかできません。これからどれだけの機会があるのか分かりませんが誘われたら行くようにしたいですね。なかなか私から行こうという感じにはならないので、卒業生の皆さん誘ってください(笑)。
気分転換できました。感謝。