kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

「結果」を追い求める

2014-02-11 | 陸上競技
長い話をしました。この時点で分からなくなっている者もいるかもしれません。

最初から「負ける」と考えてレースをする。練習をする。このことの無意味さ。県総体で1位になれる人間は1人、中国大会で1位になる人間は1人、インターハイで1位になる人間は1人。それ以外は必ず「負け」を経験します。だから「負けるのが当然」という考え方になる。しかし、それで本当に良いのか?最初から「負け」を考えて走っていたらレースに出る前から負けているのです。同じ地区に5人強い選手がいる。それなら6番目を狙う。当然の考え方かもしれませんがそれでは絶対に6位にはなれないと思います。「負け」を意識した勝負となるのですから。

今回の大阪室内、間違いなく「負け」が最初からありました。それを経験することも大切だと思って細かい部分は指摘しませんでした。この指導が良いのか悪いのか分かりません。しかし、実際に経験しないと分からないのです。自分とは「別次元」で競技をしている選手がいる。そこの「差」を痛感する。それがスタート。そして「勝つ」ことを目標に練習をしなければいけないと思います。「勝利至上主義」を批判する考え方もあります。「勝つためには何をしてもいい」という考え方には私も反対です。しかし、最初から「負け」を意識した競技をするのは面白くないのです。

午前中に話した話をもう一度しました。今、遠征に行く、合宿に行く、スパイクを買う、携帯を使う、食事をするという自分では「当たり前」だと感じている事に対して真剣に考える必要があります。保護者は子供が「陸上競技をしたい」と言えばある程度の援助をしてくれます。うちの学校で競技をやると言ったときに反対があったかもしれませんが最終的に本人が強く望むのであれば「頑張れ」という意味で許可してくれているはずです。選手はそのことを忘れてはいないか?保護者からやってもらって当たり前という感覚を捨てなければいけない。「義務」と「権利」です。自分がやりたいことをやる。そのためには何かしらの「義務」が生じるのです。ここでいう選手の「義務」とはなんでしょうか?

それは「一生懸命に取り組む」事だと思います。自分が「やりたい」と言って始めたことです。保護者はそれを応援してくれています。指導者に注意を受けて辛そうにしている姿、怪我をして思い通りに練習ができない姿も日ごろから一番近くで見ています。それでも本人が「目標」を持って「強くなりたい」と思ってくれていると信じるから無償の愛を注いでくれるのです。「お金がかかるからバイトして競技をしなさい」とは現時点では言われないはずです。多分。

そうであればどのような形かで保護者に「恩返し」をする。それが「義務」だと思います。ではどうするか?一生懸命に練習をするのです。それで一生懸命に目標に向かって進むのです。「結果」にこだわり勝負をするのです。「強くなれたらいいな」というような形では「恩返し」にはなりません。全力で取り組んでその姿を保護者に見せる。「勝つための努力」をしている姿を保護者に見てもらうのです。「勝つ」ことを考えたら2位になったら悔しい。レースが終わった瞬間に「悔しい」という想いがあふれてきて涙するかもしれません。それくらい一生懸命に物事に取り組めば保護者もどのような気持ちで子どもが競技に取り組んでいたのかが分かります。「結果」を追求する。負けるかもしれません。しかし、最初から「負けるための努力」をする姿を保護者が望むでしょうか?

人生の中で何か一つに没頭して「一生懸命になる」というのは大切なことです。その中から人は多くのことを学びます。それは一生の宝となり自分自身の人生を大きく変えていきます。こんなことを高校生に話しても伝わらないと思います。それでも関わる者が「負けてもいいよ」と押してるのは違う気がする。最終的に何を持って「勝ち」とするのか。自分自身の殻を打ち破りこれまでの自分から大きく変わることが「勝ち」かもしれません。正解はこの子たちが大きくなったときにきっと分かると思います。

私は「憎まれ役」で充分です。選手に好かれるために媚びるつもりはありません。保護者から与えられた「才能」を持った子供たち。自分たちでは絶対に頑張りきれません。それをどうやって「一生懸命」にするのか?指導者が選手から好かれるようになるはずがないと思っています。生徒も同様ですが。基本的には嫌なことを言わなければいけない。自分の耳に痛いことを言われるのは人は好みません。当然です。それでも私は指導をしていかなければいけないと思っています。


持っている「能力」は本当に高い。これを引き出せるかどうかなのです。世の中には「能力」があってもそれを引き出せないまま終わってしまう人が大半です。何故なら「能力」を引き出すためには「4つの柱」が必要になるからです。それには大きな「痛み」を伴います。簡単に手に入れることができないのです。ここをどれだけ理解できるか?

選手は「また指導された」というレベルで終わっているかもしれません。私が本当に何を伝えようとしているのかを理解できずに反発する選手も出てくるでしょう。そうなると「能力」を引き出すのが難しくなります。「素直に受け入れる」という感覚がなくなりますから。頃合いが難しい部分ですが。私は本気で選手を伸ばしたいと思っています。それは預かっている保護者への「義務」だと思います。「適当でいいや」と思うような指導はできません。多くの金銭的な負担をしていただいている部分もあります。「うちで競技をやらせたい」と思って進学させてくださった方もいると思います。その「想い」に答えるためにはやはり「結果」で恩返しするしかないと思います。

この子たちが「本気」になればどこまでも戦えると思っています。「中国地区で勝つ」というのが私が抱いている目標です。もちろん、簡単なことではありません。「6番以内に入ればいいや」という指導はしたくありません。高すぎる目標でしょうか?この子たちの「能力」からすれば不可能ではないと思っています。どれだけ分かってもらえるかだと思います。

結局、1時間近くミーティングを行うことになりました。途中休憩をはさみましたが。

長くなりました。書きたいことを書いていると収拾がつかなくなります。分かりにく文章で申し訳ありません。
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何を求めるのか?~潜在能力を引き出す「4つの柱」~

2014-02-11 | 陸上競技
もう一つ、文章を読ませました。ここのタイトルは「潜在能力を引き出す「4つの柱」」です。

第1の柱-「優秀な教師またはコーチ」に指導を仰ぐ

第2の柱-「最善の努力」を惜しまない
 「自分で努力する気のない人を助けようとしても無駄だ。はしごを自分で上ろうとしない人を無理に押し上げることはできない」
  一生懸命に努力しない人が、どんどん腕を上げ、才能を開花させることなどはあり得ない


第3の柱-「明確な目標」を持つ
 練習をする時には「明確な目標」を持つことだ。特に表面的な成功ではなく、真の成功、つまり「卓越性」を追求し、その実現に全力で取り組まなければならない。卓越性を目指し、ひたむきに練習をすることで、何とも言えない充実感で心が満たされるであろう。

第4の柱-「得意分野」にエネルギーを傾ける
同じチームに所属する二人の選手が、同じコーチから指導を受け、同じ目標に同じぐらいの集中力と努力で取り組んでも、出てくる結果は全く違ている。実際には、同じ練習をしたからと言って同じ結果が出るわけではない。どうすれば「未来のリーダーを育てられるか」という問いに「リーダーの素質がある人を見つけることだ」と答えた。「一番素質のある人を見つけて訓練するほうが簡単だ」と。
一番得意なことが分かったら、すぐに練習を始めよう。そうしないと、上達しないどころか、もって生まれた力もどんどん失われていく。

潜在能力は、貯金と全く反対の動きをする

銀行にお金を預けたら利息が付いて増えていく。しかし、潜在能力は何もせずにほったらかしにしておくと徐々に失われていく。

自分の能力を最大限の発揮するには、得意とする分野で高い目標をかかげること。
他人から与えられた目標が自分自身で設定した目標より高いなら、まだ自分の能力を最大限に発揮していないということだ。


「戦う自分」を作る13の成功戦略 P114~117 著者:ジョン・C・マクスウェル 監修者 渡辺美樹 発行所:株式会社三笠書房

「第1の柱」については話す気にはなりませんでした。正直、これまで私は何度も基本的なことを指導してきました。私の指導を受けたくないと思えば別の場所で練習をすればいいのです。「自分の力を引き出してくれる指導者はこの人ではない」と思うならそれでもいいと思います。「強くなりたい」と思うけど「この指導者の言うことは聞きたくない」と思うのであればそれも選択肢の一つ。私が優秀だとかいう意味ではなく「嫌なら他でやればいい」と思います。

「第2の柱」、これも「やるのは誰?」という話です。私にやらされているようであれば結局は強くなりません。それでいいのなら別に構わない。しかし、「思い出づくり」のための部活動をする気はありません。この子たちが持っている能力を最大限に引き出すための指導をしたいと思っています。本来持っている力が出せないまま終わってしまうのは本当に惜しい。持っている「力」を磨くためにはやはり「最善の努力」が必要となるのです。誰かがやってくれるだろう、指導者に言われたことだけをやればいいやと思うのが「最善の努力」ではない。この部分は練習開始前に配った資料をひたすら読み込んでいないという部分に現れます。これまで多くの基本的な資料を配っています。それをどう利用しているか?部室に散乱しているのを見たことがあります。この「現実」をどう受け止めるのか?

「第3の柱」、これは言うまでもありません。何のためにやっているのかを考えなければいけない。

「第4の柱」。ここは少し分かりにくいかなと思います。結局は「能力の差」があるのです。同じことをやっても結局は「能力」があるかないかで差が付きます。厳しい現実がここにあるのです。しかし、うちの選手は「能力」としてはかなり高いものを持っています。「潜在能力」は高い。しかし、それを全力で磨くことができるかどうかで大きな差になります。「陸上競技」で発揮できる能力があるのならそれを引き出すための努力をすればいい。また、「ピッチ」が武器、「中間」が武器ならそこの区間を磨けばいい。苦手な分野、不得意な分野で力を発揮しようと思ってもそれはできない。そういう視点で物事を見なければいけない。

難しい話です。かなり話をしました。「指導者」についての文章、ちょっと誤解を受けるかなと思う部分もあります。うちの学校を選択してきたのに「嫌なら他でやれ」というのは「傲慢」と言われるでしょうか?「覚悟」を持ってうちで「陸上競技」をやると決めたはずです。「県総体で入賞」というレベルの意識ではないはず。中途半端な覚悟では持っている力を引き出せない。それは自覚してもらわないと困ります。

また書きます。

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何を求めるか~自分の「能力」に自信を持つ~

2014-02-11 | 陸上競技
で、ミーティングの内容。最初に書籍のコピーを渡しました。今のチームについて考えることができる内容でした。ここをどのように理解するか?大きな部分だと思っています。大阪室内の結果と重ねながら考えさせる必要があると思っています。

自分の「能力」に自信を持つ

負けたと思った時点で、負けが決まる
挑戦できないと思った時点で、挑戦は終わる
勝ちたいけれど勝てないと思った時点で、勝負がつく
人生という戦いに勝ち抜くのは
強く、速い者とは限らない
最後に勝ち残るのは
勝という自信を持った者だ


「戦う自分」を作る13の成功戦略 P32 著者:ジョン・C・マクスウェル 監修者 渡辺美樹 発行所:株式会社三笠書房

この話を読ませてから大阪室内に出場した選手に話をさせました。それぞれが話をしました。で、私が聞きたかったのはそのレースが終わった瞬間に感じたことです。それぞれ「まだまだだな」「上には上がいる」「まだ力不足で戦えない」と感じた。実はここに問題があると思っています。選手にさらに質問しました。県総体の100mでどのようなことを考えていたかです。「絶対に勝たないといけない」と思って走ったとのこと。また、県新人で4位となり中国新人に進めなかった時どのように感じたか?「悔しかった」という返答。当然ですね。

たったこれだけの話ですか今回の大阪室内の結果が現れているのではないかと感じました。レースが終わった瞬間に「まだまだだな」と感じた。決勝に進めなかったこと、同じ地区の選手に負けてしまったことに対して「仕方ないな」と思っているのです。レースをする前から「勝てなくてもいいや」と思ってレースに臨んでいる。「そんなことはない」と言われるかもしれませんが、私はそう感じています。それが結局はレースに出るのです。

選手を一方的に責めるわけではありません。全国大会で規模が起きくなれば自分よりも速い選手がいる。持ちタイムは事前に示されている。そうなると「自分は何番目だから決勝には進めないな」という気持ちになります。上述の引用文、見てもらえると分かると思います。「勝てないな」「決勝は無理だな」と思っている時点ですでに勝負はついているのです。県内の大会であれば負けたら「悔しい」と思える。それだけ「絶対に勝つんだ」という気持ちで臨んでいるのです。しかし、自分よりも強い選手と戦う時には「勝てるわけがない」という意識が生まれます。持っている力を最大限に引き出せば十分戦えるのではないかと思いますが、引き出す前に「負ける」と思っている。ここに「結果」が出せない理由があるのではないかと感じています。

通常の県の大会のアップは今回と同じでしょうか?何が何でも記録を出してやるという感じを受けませんでした。少し体を動かすと座る。これの繰り返し。あえて何も言いませんでした。通常の大会の時の集中力と比べると段違いに低い。同じ場所で今大会1・2位になった選手がアップをしていましたが周りに関係なく「わが道を行く」というアップでした。そこに大きな差がある。「勝つため」に来ている選手と「参加するため」に来ている選手の差です。これは仕方ない部分もあると思いますが、「勝つ」という気持ちでレースに臨まなければ結局は勝てないのです。

ここについて考える必要があります。長くなるので記事を変えます。
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考えさせられる2

2014-02-11 | 陸上競技
午後は予定通りミーティングから始める予定でした。が、臨時の会議が入ったためすぐに開始できません。そのため事前にこちらから資料を準備していました。「取り組む姿勢」についての内容です。少し内容が高校生には難しいかもしれないという部分がありました。私が練習に行くまでに「2人でペアとなり読んでいき、内容を理解できるまで話し合いをしておくこと」と指示を出しました。

私が行った時にはそれらしき雰囲気はありませんでした。もう読み終わって集中が切れていたのか「それなりに読む」だけで終わっているのか分かりませんが到底「読み進めている」という印象は受けませんでした。選手には選手の言い分があるのかもしれませんが私は「内容を理解するまで話し合っておけ」という指示を出しています。その指示に見合うだけの姿勢ではなかったということです。一人は自分の髪をいじっていました。この状況で「さあ指導しましょう」という気持ちになるのでしょうか?

繰り返しになりますが「与えられて当然」という感覚があると思います。様々な資料を印刷して渡します。それは「選手にとって必ずプラスになるから」です。その資料の中から「取り組む姿勢」について学ばせたい。この日にミーティングをしようと思っていた内容を準備しているのです。「一通り読んだから大丈夫」という感覚があるのでは?かなり頭にきました。「必死に成長する」という姿勢が見受けられないのです。通常の学校と比べるとかなり一生懸命やっていると思います。しかし、比べるところがどこなのかです。「それなりにやる」学校と比べて一生懸命取り組んでいるというので良いのか?

下を見ればキリがありません。自分たちは頑張っているという感覚から抜け出せないからです。「県総体に行きたい」「中国大会に行きたい」を目標としているチームも複数あります。その取り組みは大切なことだと思います。我々も最初は「県総体に行きたい」という取り組みから始まっています。しかし、今の時点でそこと比べることに意味はありません。「全国で戦いたい」と思っているのであれば「県総体に行きたい」と思うチームと比べても仕方ないのです。誤解なきよう書いておきますが「県総体を目指す」というチームを否定しているわけではありません。「できていないチーム」は世の中にはたくさんあります。選手の力も違えば目指すところも違う。当然です。「力」と「目標」が違えば「求められる姿勢」も異なるのは当然です。今のうちはどうなのでしょうか?最後の最後の一押しができません。「ある程度」のチーム状況で満足するのか?この状況で自分たちが何を求められているのかを分かるようにならなければ大きな目標には絶対に届きません。

何が何でも強くなってやろうと思う人間は「努力を惜しまない」のです。貪欲に自分自身が強くなるためなら何でもやるという気持ちになります。与えられた「情報」があるのであればそれを理解して自分のものにしようとする。自分に足りないことは徹底的にやる。自分の良さを伸ばすために時間を最大限に使う。「手を抜く」のとは違います。やるべきことはきちんとやって「更に努力する」のです。「言われたことをやる」のは最低限の話。自分のためにプラスアルファをやるのが「努力を惜しまない」の意味です。どれだけの選手が「言われたことだけをやる」という水準から抜け出しているのでしょうか?

朝練で1年生にはかなり話をしました。午後のミーティングの話もしました。「何のためにミーティングをするのか?」という話です。1年生にもう一度確認をしました。朝練のミーティングの最後の話は何かを問いました。が、答えれません。「義務」と「権利」の話をしたというのは頭にあるようです。が、答えられません。朝練が終わるときに「何を話されたのか忘れてしまう可能性があるのできちんとメモを取るように」「空いている時間に少しでもまとめておくように」と指示を出していました。学校生活で他のことがあったのかもしれません。しかし、話を思い出せないのであればどれだけ話をしても意味はなくなります。心に響く話ができない私の「力不足」なのでしょうか。

以前、技術的な指導を受けても記憶に残らない可能性があるので「技術ノート」を作って書いておくように話しました。これと同様です。言われたこと、大切なことを忘れてしまうのであれば自分自身で記録しておけばいいのです。最終的にそれを日誌にまとめていく作業をすれば効率の良い日誌になります。学力と競技力が比例するようになってきています。これは「言われたことを考える」という部分において「差」が付くのではないかと思います。「言われたことだけをやる」「言われたからやる」という「考え方」から「自分のためにやる」という考え方に変われるかどうかなのだと思っています。こういう姿勢が身に付けば間違いなく一気にレベルアップします。そこまで届きません。つながらないのです。

この日のミーティングの内容のメインは「差」です。前の記事にも書きましたが「1」の努力か、「10」の努力か、「100」の努力かです。ここが分かるようにならなければ競技での大きな飛躍はないと思っています。それを行うためのミーティング。その前の段階でかなりの時間を要しました。本当にこれで「強くなりたい」と言えるのでしょうか?物足りなさが大きく残ります・・・。
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考えさせられる

2014-02-11 | 陸上競技
大阪室内の話は流れがあるのでまた後ほど書くことにします。今回の経験を下級生に話をさせることで「自分たちがどのような状態だったか」を確認させたいと思っていたので。私から言われるよりも自分の言葉で話した後に指摘するほうが効果があるだろうと思いました。

月曜日の朝、1年生だけを集めて話をしました。内容は様々な部分です。まずは不在時の練習について。自分たちで練習を考えるように指示をしていました。木曜日に時間を与えましたがその時間内ではまとめることができない。その日に翌日の朝練の時間に考えてもよいと伝えました。その後、金曜日の練習終了後まで一切の連絡なし。「何をやるか知らせるように」と話していたのですが「行った内容」だけを伝えてきました。「報告をする」という当たり前のことはできました。が、それ以前に「本当にその練習でいいのか」という部分が確認できていません。全く意味のない練習をしていたらどうするのか?ここの部分まで気が回らない。「やること」に一生懸命になって「正しい練習なのかどうか」まで視野が広がらないのです。高校生だから仕方ないという部分はあると思います。しかし、本当にそれでいいのか?「自分たちの好きな練習をやる」だけでは何も生まれないのです。

また、報告をしてきた者、一人は誰か分かりませんでした。入学して約1年過ぎますがいまだに私に連絡先を伝えていない。だから「誰かわからないアドレスからメールが来る」という事態になるのです。「件名に名前を入れていた」と言っていましたが、長文のメールが送られてきて誰かわからない状態であれば通常であれば読みません。これまでも練習内容の変更や集合時間の変更は一斉送信で全員に送っていました。が、この者だけは送っていません。そのことも指摘して「不便ではなかったか?」と問うと「別に」という返答。自分自身は不便ではないのかもしれませんが、一人だけ連絡が回っていないのです。ということは、誰か他の者がわざわざ連絡を回さなければいけなくなる。自分は良いかもしれませんが周囲に迷惑をかけている可能性があるのです。ここに目を向けることができない。「礼儀」の部分だと思います。

「義務」と「権利」の話をしました。今、すべての面において「やってもらって当たり前」という感覚はないか?練習メニューを与えてもらう。これは「権利」かもしれない。しかし、それに対する「義務」をきちんと果たしているのか?自分のやりたいことだけをやるというのは「自己中心的な活動」でしかない。少しイメージしにくいかもしれませんが「保険証」の話をしました。少し分かり易いように意訳しながらですが。通常病院に行ったら「保険証」を提示します。これにより医療費負担が3割くらいになります。通常であれば1万円払う必要があっても「保険証」を提示すれば3000円で済むのです。高校生はこのことに何も感じないでしょう。結局お金を払うのは自分ではなく保護者なのですから。3割負担ということさえも知らないかもしれません。

3割負担。残りの7割はどうしているのか?実際は病院に行っていない人が「国民保健」「社会保険」等の形で保険料を納めているのです。自分自身が病気になっていなくても納めている。これが万が一自分が病気になった時に「3割負担」ですむための要因です。自分以外の人のために(最終的には自分にも返ってくることですが)毎月お金を納めている。そのお金で他の人が病院に行くときに「3割負担」となる。保険料を納めることをしなかったら「保険証」は存在しませんから病院に行ったときに100%自己負担となります。これは大きな額です。日ごろから「義務」をきちんと果たしているから「保険証」という負担軽減のための「権利」を得るのです。

これはすべての活動において言えること。自分たちが「陸上をやる」という。それは「権利」かもしれません。しかし、その裏側にどれだけ多くの人の支援があるのか?考えたことがあるのか?合宿に行く、試合に行く、スパイクを買う、サプリメントを買う。これはすべて自分が働いて稼いだお金ではなく保護者が働いて得たお金です。自分が「やりたいことをやる」ために多くの人が支援してくれているのです。そのことを忘れてないか?自分が「競技をやりたい」という「権利」だけを主張して果たすべき「義務」を果たしていないのではないか?ここについて考えたことがあるでしょうか。

遠征時に私が車を出すのは「当たり前」ではない。自分たちは寝ていたら目標地点にたどり着けるが、私はひたすら運転しているのです。メニューを与えられるのも遠征や合宿に行くのも「当たり前」のことではない。それまでに多くの準備をしている。実際は練習でも同じことが言えるのではないかと思います。「与えられたメニュー」をやっておけば「目的地」に着くと勘違いをしていないか?自分自身が「一生懸命練習をする」という「義務」を果たさないでおいて「なんとかなるだろう」という考えで取り組めば100%上手くいきません。やるべきことをやるのです。このことは午後に2年生も含めてもう一度話をしました。ここはまた別に書きます。

最後に「どれだけやるのか」の話も。中学時代の「努力」や「取り組み」と比べるとかなり頑張れるようになっていると思います。中学時代の頑張りを「1」としたら高校での頑張りは「10」かもしれません。過去の自分と比べると10倍頑張っている。大きな成長と考えられます。が、それは「自分自身の視野」で見たときの考え。実際はもっともっと「努力」をしている人がいるのです。全国に視野を広げると「100」頑張っている人がいる可能性もある。「1」だった努力が「10」になれば10倍の努力。しかし、「100」頑張っている人から比べると10分の1の努力でしかないのです。自分たちが一番が頑張っている。そう思いがちです。実際に世界は広い。

大阪室内に出場した選手がそれをどれだけ感じることができるのか?その話を直接聞くことで下級生の取り組みの意識が変わるのではないかと考えていました。そのために午後はミーティングから始めようと思っていました。

長くなりました。すみません。
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