前の記事の続き。
私は「陸上競技」が好きです。同じくらい「生徒」も好きです。生徒が「成長する」ための手段として様々な取り組みをします。苦労するかもしれませんがあえて行う指導も数多くある。最終的には大人になったときに役に立つであろう「力」を身に着けてもらいたいからです。「どんな力が必要なのか」と問われると正直正解はないと思います。全てができることが求められる世の中です。私はその中で「外せないもの」を選んでいるつもりです。
「部活動はボランティア」という考え方。これも賛否両論だと思います。保護者の立場から見た「部活動」、生徒の立場から見た「部活動」、顧問の立場から見た「部活動」、顧問の家族から見た「部活動」。それぞれの立場から見て「部活動」の位置づけがあります。何が正しくて何が間違っているのか?ここは正直分かりません。ある人にとっては「正しい」ことであってもある人にとっては「正しくない」のです。そこを判断する方法は?分かりません。
人は働かなければ生きていけません。今の私には家族もいます。「聖職者」と言われる(そういう視点で見る人はもういないと思いますが)「教師」という仕事、「無償の奉公」というのは不可能です。金銭的な面にこだわるつもりはありません。だから「部活動はボランティア」という考え方が存在する。「趣味」という位置づけに近いのかもしれません。だからこそ身銭を切ってでも競技とかかわることができる。家族もかなり我慢をしてくれていると思います。
「ボランティア」というのは最低限「自分の生活の保障」がないとできないのです。これも持論。自分が衣食住に困り、何日も食事を取らない。それなのに困っている人のために働き続ける。「聖人」といわれる人ならできるのかもしれませんが、本当にそのような形で「人を助ける」ということに意味があるのか?長続きしないのではないかと思います。本当の意味で「何かしよう」と思えばまずは「生活が保てるかどうか」というベースがあって何かアクションが起こせる。繰り返しになりますが「お金が欲しい」といっているわけではありません。私からすれば今の生活ができれば特別困ってはいません。家族は出費が増えるので不満を感じているかもしれませんが・・・。
「生徒」を育てる方法論は様々だと思います。私は「陸上競技」というツールを用いる。同時に授業などを用いて生徒の力を伸ばす「工夫」をする。どちらも手抜きはできないと思っています。全ては誰のためか?ひょっとしたら自己満足なのかもしれないと思うことは多々あります。それでも大切な部分を常に頭に入れているつもりです。人格者とは程遠い位置に存在していますが「大切なもの」だけは見逃したくない。卒業生が多く訪ねてきてくれるのは私の「誇り」です。嫌われても構わないと思いながら関わってきています。耳に痛い言葉を言われるのは誰もが嫌。それでも誰かが言わねば何も変わらないのですから。最終的に「生徒にプラスになる」と信じて関わっています。
「部活動が全て」という価値観は持っていません。同時に「部活は悪だ」という価値観も持っていません。部活動推進派と思われるかもしれませんが、「指導ができない」「強制的に部活の顧問にさせられて辛い」と思う人が実際にいるのです。そこに目を向けることも必要だと思います。全員が部活が大好きで指導しているわけではない。我々は「好き」でやっている部分があるので我慢もできますが、そうでない人もいる。毎日毎日「嫌だ」と思って生活していたらそれこそ「鬱」になる危険性もあると思います。生徒は部活動が嫌だと思えば「退部する」という手段がありますが、その顧問には「辞める」という権限はない。好きだから頑張れる、目標があるから頑張れるというのとは全く違います。「生徒の成長を促すための教育活動」です。まー基本的には「関わり方」だと思いますが。
文章にするというのはものすごく大変なことです。今回の私が書いている記事だけ見れば「批判の対象」となる可能性もあります。致し方ないことかもしれません。これまでこのblogを読み続けてくださっている方、私の人と柄をご存知の方には分かってもらえる部分もあるでしょう。私の生徒との関わり方、人との関わり方が「気に入らない」という方も大勢おられると思います。価値観は多様です。「指導を受けたい」という人もいる。そうでない人もいる。ジョギングクラブが良いという人もいる。競技を求める人もいる。競技をやりたいが今のうちの求めるレベルではやりたくないという人もいる。それを全て充足する「指導」というのは不可能です。欧米のように「クラブチーム」だけで競技をやるというのも一つの選択だと思います。難しい部分です。
想うことはあります。この手の記事は面白くないのでどうかと思うのですが。
先ほど紹介したblog、ほぼ炎上しています。有名人が取り上げるとすぐに多くのアクセスがあります。そして各々が「想うこと」を述べる。「コメント」が書き込めるので何百という人が書き込みます。しかし、その人のblogは「議論の場」ではないはず。別の場所を設けて主義主張を語り合うほうが良いのではないかと思います。当人は困惑しているでしょうね・・・。このあたりのことも触れたいとは思うのですが・・・。ちょっと・・・ね。
私は「陸上競技」が好きです。同じくらい「生徒」も好きです。生徒が「成長する」ための手段として様々な取り組みをします。苦労するかもしれませんがあえて行う指導も数多くある。最終的には大人になったときに役に立つであろう「力」を身に着けてもらいたいからです。「どんな力が必要なのか」と問われると正直正解はないと思います。全てができることが求められる世の中です。私はその中で「外せないもの」を選んでいるつもりです。
「部活動はボランティア」という考え方。これも賛否両論だと思います。保護者の立場から見た「部活動」、生徒の立場から見た「部活動」、顧問の立場から見た「部活動」、顧問の家族から見た「部活動」。それぞれの立場から見て「部活動」の位置づけがあります。何が正しくて何が間違っているのか?ここは正直分かりません。ある人にとっては「正しい」ことであってもある人にとっては「正しくない」のです。そこを判断する方法は?分かりません。
人は働かなければ生きていけません。今の私には家族もいます。「聖職者」と言われる(そういう視点で見る人はもういないと思いますが)「教師」という仕事、「無償の奉公」というのは不可能です。金銭的な面にこだわるつもりはありません。だから「部活動はボランティア」という考え方が存在する。「趣味」という位置づけに近いのかもしれません。だからこそ身銭を切ってでも競技とかかわることができる。家族もかなり我慢をしてくれていると思います。
「ボランティア」というのは最低限「自分の生活の保障」がないとできないのです。これも持論。自分が衣食住に困り、何日も食事を取らない。それなのに困っている人のために働き続ける。「聖人」といわれる人ならできるのかもしれませんが、本当にそのような形で「人を助ける」ということに意味があるのか?長続きしないのではないかと思います。本当の意味で「何かしよう」と思えばまずは「生活が保てるかどうか」というベースがあって何かアクションが起こせる。繰り返しになりますが「お金が欲しい」といっているわけではありません。私からすれば今の生活ができれば特別困ってはいません。家族は出費が増えるので不満を感じているかもしれませんが・・・。
「生徒」を育てる方法論は様々だと思います。私は「陸上競技」というツールを用いる。同時に授業などを用いて生徒の力を伸ばす「工夫」をする。どちらも手抜きはできないと思っています。全ては誰のためか?ひょっとしたら自己満足なのかもしれないと思うことは多々あります。それでも大切な部分を常に頭に入れているつもりです。人格者とは程遠い位置に存在していますが「大切なもの」だけは見逃したくない。卒業生が多く訪ねてきてくれるのは私の「誇り」です。嫌われても構わないと思いながら関わってきています。耳に痛い言葉を言われるのは誰もが嫌。それでも誰かが言わねば何も変わらないのですから。最終的に「生徒にプラスになる」と信じて関わっています。
「部活動が全て」という価値観は持っていません。同時に「部活は悪だ」という価値観も持っていません。部活動推進派と思われるかもしれませんが、「指導ができない」「強制的に部活の顧問にさせられて辛い」と思う人が実際にいるのです。そこに目を向けることも必要だと思います。全員が部活が大好きで指導しているわけではない。我々は「好き」でやっている部分があるので我慢もできますが、そうでない人もいる。毎日毎日「嫌だ」と思って生活していたらそれこそ「鬱」になる危険性もあると思います。生徒は部活動が嫌だと思えば「退部する」という手段がありますが、その顧問には「辞める」という権限はない。好きだから頑張れる、目標があるから頑張れるというのとは全く違います。「生徒の成長を促すための教育活動」です。まー基本的には「関わり方」だと思いますが。
文章にするというのはものすごく大変なことです。今回の私が書いている記事だけ見れば「批判の対象」となる可能性もあります。致し方ないことかもしれません。これまでこのblogを読み続けてくださっている方、私の人と柄をご存知の方には分かってもらえる部分もあるでしょう。私の生徒との関わり方、人との関わり方が「気に入らない」という方も大勢おられると思います。価値観は多様です。「指導を受けたい」という人もいる。そうでない人もいる。ジョギングクラブが良いという人もいる。競技を求める人もいる。競技をやりたいが今のうちの求めるレベルではやりたくないという人もいる。それを全て充足する「指導」というのは不可能です。欧米のように「クラブチーム」だけで競技をやるというのも一つの選択だと思います。難しい部分です。
想うことはあります。この手の記事は面白くないのでどうかと思うのですが。
先ほど紹介したblog、ほぼ炎上しています。有名人が取り上げるとすぐに多くのアクセスがあります。そして各々が「想うこと」を述べる。「コメント」が書き込めるので何百という人が書き込みます。しかし、その人のblogは「議論の場」ではないはず。別の場所を設けて主義主張を語り合うほうが良いのではないかと思います。当人は困惑しているでしょうね・・・。このあたりのことも触れたいとは思うのですが・・・。ちょっと・・・ね。