kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

想うこと2

2014-02-21 | 陸上競技
前の記事の続き。

私は「陸上競技」が好きです。同じくらい「生徒」も好きです。生徒が「成長する」ための手段として様々な取り組みをします。苦労するかもしれませんがあえて行う指導も数多くある。最終的には大人になったときに役に立つであろう「力」を身に着けてもらいたいからです。「どんな力が必要なのか」と問われると正直正解はないと思います。全てができることが求められる世の中です。私はその中で「外せないもの」を選んでいるつもりです。

「部活動はボランティア」という考え方。これも賛否両論だと思います。保護者の立場から見た「部活動」、生徒の立場から見た「部活動」、顧問の立場から見た「部活動」、顧問の家族から見た「部活動」。それぞれの立場から見て「部活動」の位置づけがあります。何が正しくて何が間違っているのか?ここは正直分かりません。ある人にとっては「正しい」ことであってもある人にとっては「正しくない」のです。そこを判断する方法は?分かりません。

人は働かなければ生きていけません。今の私には家族もいます。「聖職者」と言われる(そういう視点で見る人はもういないと思いますが)「教師」という仕事、「無償の奉公」というのは不可能です。金銭的な面にこだわるつもりはありません。だから「部活動はボランティア」という考え方が存在する。「趣味」という位置づけに近いのかもしれません。だからこそ身銭を切ってでも競技とかかわることができる。家族もかなり我慢をしてくれていると思います。

「ボランティア」というのは最低限「自分の生活の保障」がないとできないのです。これも持論。自分が衣食住に困り、何日も食事を取らない。それなのに困っている人のために働き続ける。「聖人」といわれる人ならできるのかもしれませんが、本当にそのような形で「人を助ける」ということに意味があるのか?長続きしないのではないかと思います。本当の意味で「何かしよう」と思えばまずは「生活が保てるかどうか」というベースがあって何かアクションが起こせる。繰り返しになりますが「お金が欲しい」といっているわけではありません。私からすれば今の生活ができれば特別困ってはいません。家族は出費が増えるので不満を感じているかもしれませんが・・・。

「生徒」を育てる方法論は様々だと思います。私は「陸上競技」というツールを用いる。同時に授業などを用いて生徒の力を伸ばす「工夫」をする。どちらも手抜きはできないと思っています。全ては誰のためか?ひょっとしたら自己満足なのかもしれないと思うことは多々あります。それでも大切な部分を常に頭に入れているつもりです。人格者とは程遠い位置に存在していますが「大切なもの」だけは見逃したくない。卒業生が多く訪ねてきてくれるのは私の「誇り」です。嫌われても構わないと思いながら関わってきています。耳に痛い言葉を言われるのは誰もが嫌。それでも誰かが言わねば何も変わらないのですから。最終的に「生徒にプラスになる」と信じて関わっています。

「部活動が全て」という価値観は持っていません。同時に「部活は悪だ」という価値観も持っていません。部活動推進派と思われるかもしれませんが、「指導ができない」「強制的に部活の顧問にさせられて辛い」と思う人が実際にいるのです。そこに目を向けることも必要だと思います。全員が部活が大好きで指導しているわけではない。我々は「好き」でやっている部分があるので我慢もできますが、そうでない人もいる。毎日毎日「嫌だ」と思って生活していたらそれこそ「鬱」になる危険性もあると思います。生徒は部活動が嫌だと思えば「退部する」という手段がありますが、その顧問には「辞める」という権限はない。好きだから頑張れる、目標があるから頑張れるというのとは全く違います。「生徒の成長を促すための教育活動」です。まー基本的には「関わり方」だと思いますが。

文章にするというのはものすごく大変なことです。今回の私が書いている記事だけ見れば「批判の対象」となる可能性もあります。致し方ないことかもしれません。これまでこのblogを読み続けてくださっている方、私の人と柄をご存知の方には分かってもらえる部分もあるでしょう。私の生徒との関わり方、人との関わり方が「気に入らない」という方も大勢おられると思います。価値観は多様です。「指導を受けたい」という人もいる。そうでない人もいる。ジョギングクラブが良いという人もいる。競技を求める人もいる。競技をやりたいが今のうちの求めるレベルではやりたくないという人もいる。それを全て充足する「指導」というのは不可能です。欧米のように「クラブチーム」だけで競技をやるというのも一つの選択だと思います。難しい部分です。

想うことはあります。この手の記事は面白くないのでどうかと思うのですが。

先ほど紹介したblog、ほぼ炎上しています。有名人が取り上げるとすぐに多くのアクセスがあります。そして各々が「想うこと」を述べる。「コメント」が書き込めるので何百という人が書き込みます。しかし、その人のblogは「議論の場」ではないはず。別の場所を設けて主義主張を語り合うほうが良いのではないかと思います。当人は困惑しているでしょうね・・・。このあたりのことも触れたいとは思うのですが・・・。ちょっと・・・ね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

想うこと1

2014-02-21 | 陸上競技
練習とは全く関係ない(?)かもしれませんが、いくつか思うことがあります。別にここに書く必要があるかどうかは分かりませんが、書き記しておきたいと思います。


facebookで元現役選手がコメントしていました。なんとなく目についたのでアクセスしてみると中学校の部活動についての話でした。

「公立中学校 部活動の顧問制度は絶対に違法だ!!」 http://bukatsu1234.blog.jp/

「匿名」で書かれてはいますが「公立高校での部活動の顧問の悩み」を書いておられます。本当にやりたいことではなくても「ボランティア」として求められる「職務」がある。10人部員がいればその関係者は5倍くらいはいるでしょう(もっと?)。その全員が「納得」する形の部活動などはこの世に存在しません。45人が納得しても5人が「不満だ」と言えばその「不満」はまるで全員の発言のように取り上げられる。部分的なものだけを見てあたかも「全員がそう思っている」というとらえられ方をする。遺憾です。

「学校における部活動」の話は何度か取り上げました。立場的に踏み込んだ発言はできていません。このblogの存在自体をある程度知られていますから「匿名」の発言ではなくなっています。「税金で飯を食っているんだから」と言われる立場です。このことはまた別に「オリンピック」と重ねて書きたいと思っています。ここに書いている内容はあくまで「私見」であって「公務員全体の発言ではない」ということだけはご理解いただきたい。

今回閲覧させていただいたblogは「何故教員が部活動の顧問をしなければいけないのか?」という立場から見ておられます。勤務時間外労働を「ボランティア」という名目の「強制」で行わせている。休日は存在しない。授業研究などもできない。教員の本来の仕事は何か?そこを問っています。本来やりたい「生徒と向き合う」という部分ができなくなってきているのを苦痛に感じ中学校の教員を止めて「部活動」が存在しない小学校教員になると決意されたとのこと。なかなか簡単なことではありません。が、それほど精神的・肉体的な負担が大きく「本来やりたいこと」とは異なるのだと思います。

私はある意味、「やりたくてやっているボランティア」だと思います。自分が陸上競技が好き。陸上競技というツールを使って選手の成長を促す。私の「得意分野」を用いて選手に人間的な成長につながるきっかけを与えることができる。「自分自身が認められるため」という感覚は一切ありません。それならやらない方がましです。選手にはなかなか伝わらないですが(笑)。「頑張る」という意味が分かるようになるためには時間がかかります。道を踏み外せば激怒しますし、効率が悪いことをやっていれば注意します。「机に座って勉強する」ことだけが人を成長させるものではない。そう思って指導に当たっています。

が、「好き」でやっている人ばかりではない。本来は運動が苦手で家で本を読んで過ごすのが趣味という教員がいてもいいと思います。それでも今の現状では「強制的なボランティア」として部活動の顧問に就くことがほとんどです。運動経験がほとんどない人でも「若い」「他にやる人がいない」という理由で運動部の正顧問に就くことは多くあります。その人たちにも「部活に出るのが当たり前」という感覚で求められる。「他の部の顧問はきちんと土日も練習を見てくれるのにうちの顧問は見てくれない」という不満が発生する。当然あり得る光景だと思います。

生徒には「部活動をやる権利」があるのかもしれません。しかし、教員には「強制的なボランティア」という「義務」しか発生していません。私は「やりたいからやる」という感覚があります。が、すべての教員が「部活の指導がしたい」と思っているわけではない。休日くらいは自分のプライベートの時間として使いたいという「人権」が存在するのです。ここに「批判」を受ける理由は存在しないと思っています。教員になったから「24時間を犠牲にするのが当然」と思われるのは間違っていると思います。

私は「好き」でやっています。その代り「一生懸命にやる」というのがその見返りです。「ジョギングクラブ」のような「陸上競技」は今のところできません。今うちの学校に「身体を動かしたい」という生徒がいたとしてその生徒が「陸上競技部」に所属することは可能か?無理です。そういう意味では生徒のやりたいことができていないのかもしれません。「もっと楽しくやりたい」「勝ちたいけどそこまでではない」という生徒はうちの部活動では活動は無理だと思います。これは「顧問の考え方」です。これに関して保護者からも批判されるでしょう。「そこまでやらなくてもいい」という求め方。私が陸上競技部の顧問をしていなければ厳しい指導はないかもしれません。そう考えるとこの視点では「楽しくやりたい生徒の要望を満たしていない」のです。

同時に「部活は勤務時間内のみ」とする。それ以外の活動は認めない。こういう顧問がいる。これはこれで良いと思っています。運動部であっても「練習を長くやらなければいけない」という理由はないのです。もちろん、「一生懸命にやりたいのの顧問がいない」という「不満」は生じるでしょう。強い選手がいるのに顧問がいない。だから練習が不十分。保護者からすれば「不満」なので批判をする。「何故もっと練習をしないのか?」と。逆に適度に運動したいという生徒にとってはこれほど適した部活動はありません。ガツガツやるわけでなく適度に「楽しい」という感覚でやれる。

私は「好き」でやる。だから求める。別の人は「義務」としてやる。だから求めない。立場は真逆かもしれませんが、「同じこと」ではないか?結局どちらの立場で物事を進めても「50人の納得は得られない」のです。私は「陸上競技部」の活動を通じて生徒の成長を促すという「手法」を用いる。しかし、他の人は別の「手法」で生徒と関わるほうがもっとその人の個性を伸ばせる可能性がある。それが「授業」という人も間違いなくいます。私も授業はきちんとやっていますが・・・。

同じ教員であってもその「考え方」は千差万別です。基本は「子供たちのために」という大義名分のもとに活動しています。「子供たちが部活をがんばりたい」と言っているのだから大義名分のもとに「強制的ボランティア」を求められる。私は「好き」だからできる。しかし、そうでない人もいる。そのことに関しては全く触れられないのです。強制的ない「時間外労働」であってもそれは「自主的活動」とみなされる。給与面では大きな損失です。「お金」云々はなかなか触れにくい部分です。が、各自生活があります。部活動のための全ての生活を犠牲にしてやるのが「当然だ」と言われるのは心外です。

私は「好き」でやる。だから苦痛ではない。もちろん、選手が「一生懸命にやる」という約束事を果たしてくれるという前提があっての話ですが。しかし、「好きではない」人もいる。私自身もその視点は持ち続けなければいけないのです。

それぞれの立場がある。それをどれだけの人が理解しているのか?自分中心の視点で物事をみる。だからすべてのことにおいて「批判」が出る。こういうblogに書くと言葉足らずの部分が多くなるので本当に難しいのですが。競技の指導とは異なる部分ですが。高校生にこの手の話をしても100%理解できないと思います。経験がないのですから。実際に今の我々の立場で物事を見る。人それぞれの立場。難しいですね。

めんどくさい話を書いています。また書きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする