ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

そば打ち奉仕

2013年11月16日 | 手打ち蕎麦打ち
          
完治する事は無い現状維持だが、最近の体調は安定しているので、義母も三年ほどお世話になった鳥川にある特別養護老人ホーム「あずまの郷」家族会依頼によるそば打ち奉仕が行われたので参加して来た。
先週研修旅行の時、8時10分集合と耳にした記憶はあったが、念のため昨夜事務局Wさんに確認したら8時半との事だったので、10分前に到着したら既に準備はほぼ完了するところだった。
自分と同時に2人も入室したが、Wさんの体調に配慮した気配りには感謝しながらも、正直他のメンバーに対しては、遅れてしまった気まずさも感じてしまった。
もうまともな作業が出来ない事は既に認知されているので、補助兼雑用係りと決めて参加したが、この様な施設では当然食堂で実施され厨房も利用出来ると思っていたら、会場は多目的ホールで“茹で”等水周りの作業はコンロやシンク、寸胴など調理器具一式持込の学習発表会同様室外での作業だった。
この会も何時の間にか青葉教室の中途退学者や初心者と推察される人達が入会するようになり、個人情報保護法に配慮してか、これまで自己紹介された事も無く名前も不明のままだ。そんな人達4人も参加しての総勢17人で山形産と北海道産の粉17Kgを打ち振舞った。
そんな人達もTさん等の指導を受けながらそばを打ち、自分は雑用に徹しながら雰囲気を楽しんでいたが、そろそろ湯沸しも始めないと間に合わないので、今日は誰の当番かなと“茹で”の水場へ行ってみると、まだ荷下ろし状態のままで誰もいなかった。
こんな時の担務は上から指示されるのでは無く、各自実力を自覚して自ら決めているので、自分はこれまでの間全て、誰もが敬遠したい料理界では皿洗いに相当する水場を務めて来た。そんな事もあり、鉄製の中華鍋は振れなくなったが、週三回程料理は継続していたので、この程度の作業は可能と、放置出来ないので準備を始めると間もなく、最も規律ある職場に勤めていた2~3回一緒に水場を務めたSさんが現れて、幸いにも最後の撤収まで一緒に完遂する事が出来た。
13時も過ぎた頃ようやく自分達の振舞い(昼食)になり、何時交代してくれるかのかなと思いながら進めていたら、最後の“茹で”直前にWさんが現れてようやく解放され一歩遅れたSさん共々、既に食べ終えて歓談中の仲間を横目にしながら、底を尽いて僅かに残っていた汁と薬味でやっと振舞いにありつけた。
振舞い食の後再び戻って道具類の清掃を終え、家族会の軽トラックに瀬の上工房までの運搬を託して玄関を出た時は、大部分の仲間達は去ってしまった後だった。
まあーこんな事がそば打ち10年の実力を自覚した自分の任務と心得、Wさん他数名の方々には心配をかけてしまい申し訳なかったが、最後まで務められて現体調も把握出来たし、これで良かったのかなと思う。でも正直疲れてしまい、18時からは恒例のNFDXG(無線)の月例会もあったが、欠席してしまった。