ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

三度宇治市へ自主避難

2013年04月04日 | 原発事故
  
                    
8日始業式、9日は竌斗の入学式だそうで、春休みの僅か11日間の帰宅も終えて始発の新幹線で三度宇治市の避難先へ戻った。
愛実は希望通り毎日友達と思う存分に遊んで満足して戻ったが、中学校へは第一小学校を友達と一緒に卒業して入学したいそうだ。とすると二学期終了後には戻らなければ・・・・下3人は福島よりも自然豊かで遊ぶ所もいっぱいある、友達もたくさん出来た宇治市の方が良いらしい。
娘は現状の福島市内の汚染度や原発の度重なるトラブル、特に先日の電源事故に恐怖心と不信感を更に抱き、避難先の滞在期間もつい先頃4年間に延期された事からも、まだ帰福する決心は出来ないそうだ。
爺達は愛美の希望もあるし、旦那の逆単身赴任?生活も限界と予測したり、避難しないで頑張っている人達が大部分なので「もう帰っては?」と投げかけても「孫達将来の責任は取れるの?」には返す言葉も無くなってしまった。
原発は罪作りで、何とも憎い!