日本裁判官ネットワークブログ
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 最近担当したある少年事件で感心したことがあります。少年は18歳で,つきあっている彼女から元カレがつきまとって困るとの相談を受け,その元カレを呼びだして注意したが,返事がはっきりしないことに激怒し,殴る蹴るの暴行を加え,約20日間の治療を要する打撲傷を負わせた,ということで家裁に来ました。これまでにも窃盗や恐喝で審判不開始となった非行歴があり,粗暴傾向が続いているので審判を開始して短期保護観察処分にする予定でした。
 審判の日に少年に聞きますと,現在は彼女と同棲し,タイル工として真面目に働いている様子でした。言葉使いも非常に落ち着いていて,これからは暴力は控えますと言います。なぜそんなことがはっきり言えるのか聞きますと,おもしろい説明をしました。
 被害者には腹が立っていたので,被害弁償を一切しなかったところ,約350万円を請求する民事裁判を起こされ。親に相談したところ自分のやったことは自分で責任を取れと見放されので,仕方なく1人で民事の法廷に出頭し,どうやってその額を払おうかと考えていたところ,裁判官から治療費を含め70万円で和解しなさいとの勧告があった。それなら分割で払えるし,相手に怪我をさせたことは悪かったと思っていたので納得した。今まで警察などの公的続きは一切信用していなかったが,きちんと手続をとればそれなりの対応があると思えるようになり,これからまたつきまとい行為のようなことがあれば警察から教えてもらったDV法の手続をとりたい,と言うのです。
 私は,民事の裁判手続きによって彼がすっかり一人前の社会人として成長したことに驚き,またその言い分に頷いて不処分としました。
私はこれまで民事裁判と刑事裁判の本質的共通性を強調してきました。それは,裁判の機能が当事者と社会の納得を目指すところにあり,その点では民刑に差がない点というものです。英米法では常識的な考え方ですが,旧ドイツ法の影響の強い日本では,刑事は公法の分野で,検察官は公益の代表者で,事実認定は民事より厳密で,和解など当事者の処分権はなく,人権の擁護とともに秩序維持に貢献する,民事は所詮私人間の財産的争いに過ぎない,という考え方が圧倒的です。
そのため,被害者の参加とか,当事者主義を強調した公判前整理手続きを経て争点に絞った集中証拠調べをする,といった民事的運用の導入には学会を中心に強いアレルギーがあるのが現状です。
でも,裁判を受ける国民はそのように峻別して考えているのでしょうか。私は連動して考えている側面が強いと思います。刑事和解という言葉があります。例えば,重罪ではない場合は,誠意ある謝罪や被害弁償があれば,被害者ももう刑事処分は必要ないと考えることもあるでしょう。峻別論だったドイツではこのような場合,刑事公判手続きをうち切る制度があるようです。日本でもこのような場合,起訴猶予となっていることが多いという意味では,すでに実務の一部に取り入れられているのです。
私は,この少年は少年審判手続ではなく民事裁判で更生した,その結果社会の一粒の非行要因が減り,社会の秩序維持に民事手続が貢献したと考えるのですが,いかがでしょうか。「花」

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