サムライが追求した「品性」とは何か
『武士の訓育にあたって第一に必要とされたのは、その品性を高めることであった。そして明らかにそれとわかる思慮、知性、雄弁などは第二義的なものとされた。
・・・それらは教養ある人にとっては不可欠であるが、サムライの訓育にあたって本質をなすもの、というよりむしろ外見であった。知能が優秀であることはもちろん重んじられた。だが知性を意味するときに用いられる「知」という漢字は、第一に叡知(深遠な道理をさとりうるすぐれた才知:広辞苑)を意味し、知識は従属的な地位を与えられるにすぎなかった。
武士道の枠組みを支えているかなえの三つの脚は「智、仁、勇」といわれ、それぞれ、知恵、慈悲、勇気を意味している。・・・
また儒学や文学は武士の知的訓練の主要な部分を形成している。しかしそれらを学ぶときでさえ、サムライが求めたものは客観的真実ではなかった。つまりそれらは戦闘場面や政争を説明するためでではなく、文学の場合は勉学の合間を埋めるものとして、儒学はその品性を確立するための実践的な補助手段として追及されたのである。
以上述べたことから、武士道の訓育においては、その教科とされるものは主として剣術、「柔術」もしくは「やわら」、乗馬、槍術、戦略戦術、書、道徳、文学、そして歴史によって構成されていることは、驚くにあたらないだろう。・・・
多くの藩で藩財政は小身の武士か僧侶に任されていた。もちろん思慮のある武士は誰でも軍資金の意義を認めていた。しかし金銭の価値を徳にまで引き上げることは考えもしなかった。武士道が節倹を説いたのは事実である。だがそれは理財のためではなく節制の訓練のためであった。
奢侈は人格に影響を及ぼす最大の脅威と考えられた。もっとも厳格かつ質素な生活が武士階級に要求された。多くの藩では倹約令が実行された。・・・
このように金銭や金銭に対して執着することが無視されてきた結果、武士道そのものは金銭に由来する無数の悪徳から免れてきた。
このことがわが国の公務に携わる人びとが長い間堕落を免れていた事実を説明するに足る十分な理由である。だが惜しいかな。現代においては、なんと急速に金権政治がはびこってきたことか。
頭脳の訓練は今日では主として数学の勉強によって助けられている。だが当時は文学の解釈や道義的な議論をたたかわすことによってなされた。・・・若人を教育する主たる目的は品性を高めることであった。・・・単に博学であるだけで人の尊敬をかちうることはできなかった。・・・
教える者が、知性ではなく品性を、頭脳ではなくその心性を働きかける素材として用いるとき、教師の職務はある程度まで聖職的な色彩をおびる。
「私を生んだのは父母である。私を人たらしめるのは教師である」この考えがいきわたるとともに、教師が受けた尊敬はきわめて高かった。・・・』
本稿は、奈良本辰也氏訳、新渡戸稲造「武士道」(1997年初版、株式会社三笠書房)からの引用により編集したものです。