良い「くせ」をつける
前回(本稿第5回)、遠藤功氏の著作による「現場力復権」*3)からオペレーションの土台として欠かせない組織の「しつけ」に触れた。しかし、遠藤氏は「しつけだけでは差別化された現場力にならない」とし、「しつけ」という土台の上に、その企業ならではの独自の「よいくせ」(良い行動習慣)を身に付ける必要があるとしている。
本稿第3回に、「蓄積された現場力が、競争力の源泉となるのである」と書いた。蓄積された現場力は、他社が真似することが非常に困難であるからである。一般に競合他社の製品そのものは徹底した調査によって、ある程度の技術力があれば同じ物を作れる。価格やデザインなどはそのまま真似される。経営戦略だってそうだという。
しかし、製品やサービスを生み出す現場、営業マン、開発に携わる人々など、従業員ひとり一人の癖までは絶対に真似できないのである。モジュラー型(部品の接合部を標準化)生産においては従業員の「癖」が製品品質に反映され難いため、現場力より経営戦略が優先した。一方インテグラル(擦り合わせ)型製品においては、未だ現場力の差が明確に表れるから、わが国のものづくりに活路があると言われる。
企業組織に限らず、人生の成功者は、きっと良い生活習慣(良いくせ)を会得しているのだと思う。生活習慣病という言葉もあるけれど、その悪い癖が病を呼ぶことは周知のことだ。そう考えてゆくと、組織としての「良いくせ」を身に付けることが現場力となってゆくことも理解できる。
「くせ」は、囲碁や将棋の頂点であるプロ棋士の世界にあっても優劣の要因かもしれないなどと素人ながらの勝手読み。読みの力などは、プロ同士ほとんど差がないように思うし、新手や新戦法などの情報もITの普及でさらに早く入手できる。だから勝っている棋士を真似れば勝敗数に差は付かないように思うのだけれど、将棋の羽生さんや囲碁の井山さんなど、そのプロの世界で突出した成績を残し続けている。きっとそれは、彼らが修業の過程で身に付けた指し方・打ち方における微妙な「くせ」の差ではなかろうかと思ったのである。名人の癖まではプロ棋士にも真似ができないのである。
このデジタル社会にあっても、「運」とか「くせ」とか「第六感」など、論理的に説明し難いものがこの世界を支配する部分が確実にある。そして、「運がいい」、「良いくせ」、「第六感が的中する」などは、実はそこに至るまでの生活ぶりや行動との因果関係が必ずあるのではないかと思ったりする。
*3) 2009年2月、東洋経済新報社刊
前回(本稿第5回)、遠藤功氏の著作による「現場力復権」*3)からオペレーションの土台として欠かせない組織の「しつけ」に触れた。しかし、遠藤氏は「しつけだけでは差別化された現場力にならない」とし、「しつけ」という土台の上に、その企業ならではの独自の「よいくせ」(良い行動習慣)を身に付ける必要があるとしている。
本稿第3回に、「蓄積された現場力が、競争力の源泉となるのである」と書いた。蓄積された現場力は、他社が真似することが非常に困難であるからである。一般に競合他社の製品そのものは徹底した調査によって、ある程度の技術力があれば同じ物を作れる。価格やデザインなどはそのまま真似される。経営戦略だってそうだという。
しかし、製品やサービスを生み出す現場、営業マン、開発に携わる人々など、従業員ひとり一人の癖までは絶対に真似できないのである。モジュラー型(部品の接合部を標準化)生産においては従業員の「癖」が製品品質に反映され難いため、現場力より経営戦略が優先した。一方インテグラル(擦り合わせ)型製品においては、未だ現場力の差が明確に表れるから、わが国のものづくりに活路があると言われる。
企業組織に限らず、人生の成功者は、きっと良い生活習慣(良いくせ)を会得しているのだと思う。生活習慣病という言葉もあるけれど、その悪い癖が病を呼ぶことは周知のことだ。そう考えてゆくと、組織としての「良いくせ」を身に付けることが現場力となってゆくことも理解できる。
「くせ」は、囲碁や将棋の頂点であるプロ棋士の世界にあっても優劣の要因かもしれないなどと素人ながらの勝手読み。読みの力などは、プロ同士ほとんど差がないように思うし、新手や新戦法などの情報もITの普及でさらに早く入手できる。だから勝っている棋士を真似れば勝敗数に差は付かないように思うのだけれど、将棋の羽生さんや囲碁の井山さんなど、そのプロの世界で突出した成績を残し続けている。きっとそれは、彼らが修業の過程で身に付けた指し方・打ち方における微妙な「くせ」の差ではなかろうかと思ったのである。名人の癖まではプロ棋士にも真似ができないのである。
このデジタル社会にあっても、「運」とか「くせ」とか「第六感」など、論理的に説明し難いものがこの世界を支配する部分が確実にある。そして、「運がいい」、「良いくせ」、「第六感が的中する」などは、実はそこに至るまでの生活ぶりや行動との因果関係が必ずあるのではないかと思ったりする。
*3) 2009年2月、東洋経済新報社刊