台湾
台湾が中共の軍門に下れば、台湾の人々にとっては、香港に暮らしていた人々と同様となる。それは台湾の人々の最大多数の幸せにはけっしてならないだろうことは西側諸国の人々には想像に難くない。それでもフランスのマクロン大統領やEUの指導者の北京詣が報じられている。米国を中心とする西側諸国の経済的結束を毀損しても、自国の経済の為には背に腹は代えられない。底の浅い指導者達である。
欧州はEV車等に必須の、レアースの98%を中国に依存していることもあり、中共との経済的繋がりは維持したいのである。一方中共は、EU各国の首脳は大いにウエルカムである。米国と他の西側諸国の連携を分断することは、台湾を手中にするために好都合である。
半導体の中共向け輸出禁止などの足並みを乱そうとする所業は、日本のビジネスマンの拉致でも伺える。英国やカナダ、オーストラリア、日本などは米国との繋がりが強いが、仏独伊などは自国の国益を犠牲にしてまで、何もかも米国追従はしたくない。恐らく台湾問題など仏独伊は、自分たちにとって地政学的に影響が小さいと考えているのであろう。
もっとも台湾を中共が平和裡に支配した場合、直ちに台湾の一般の人々の生活が大きく変わることはなかろう。戦争など始めて人が死に、傷つき、築き上げた工場やインフラ、文化的遺産を破壊されることに比べれば、物質面の損失は確かに少ない。ただそれでは、台湾の人々の人間としての尊厳が失われるということではないのか。
文藝春秋という雑誌に「中野京子の名画が語る西洋史」という連載グラビアがある。5月号のテーマは「弱者切り捨て」であり、その名画はテオドール・ジェリコー(1791~1824)の手になる「メデュース号の筏」491cm×716cmの大作である。
絵のことは良く分からないが、「弱者切り捨て」という課題が心に引っかかった。「メデュース号の筏」は現実に起きた大スキャンダルを題材にしている。以下、記事の内容を要約する。
『ナポレオンが退場した後、フランスは王政復古を遂げ、亡命先から帰国したルイ十八世が革命前の状態に戻すべく亡命貴族を呼び戻し要職に付けていた。そんな中、西アフリカの植民地に兵士や食料を輸送する艦隊の旗艦であったメデュース号が、元伯爵の指揮官の無能さから出発の2週間後には、他の艦に遠く引き離され、あげく座礁して悲劇は起こる。指揮官はじめ身分の高い乗組員が救命ボートを独占し、残りの者は急ごしらえの筏に乗せて牽引したが、強風のため綱を切って打ち捨てたのである。そして149人の人々は僅かな水とビスケットと共に幅9m、長さ20mの筏で炎天下漂流する。13日後に救助船が現れた時、生存者は15人、内、5人は間もなく死亡、マストには日干しの人肉がぶら下がっていたという。』
ウクライナや台湾を見捨てることは、まさに「弱者切り捨て」であり、弱者の人権を軽視する19世紀の欧州貴族の醜態と同様であり、現代の専制・独裁国家のやり方にも通じるものだ。では、どうすればメデュース号の悲劇は阻止できたのか。過去に起こったことは今更修復できはしないが、民主主義の世の中に世襲が大手を振るような選挙をやってはならず、専制、独裁国家の横暴を看過してはならないのだ。