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今の世の中を見てみれば その15

2020年10月13日 | ブログ
仁義なき争い

 10月4日、自民党の二階俊博幹事長(81歳)は、山口県宇部市で開かれた志帥会(二階派)会長代行の河村建夫元官房長官(77歳)の総決起大会に出席。あと1年以内に行われる次期衆院選の山口3区について「党が公認するのは1人」と述べた。

 この選挙区には岸田派の林芳正元文科大臣(59歳)が、参議院からの鞍替えを希望しているという。小選挙区制になる前、この選挙区は山口1区で、安倍氏と林氏の父親である林義郎元大蔵大臣と河村氏の競合する地盤であったそうだ。

 小選挙区制となる前年、林芳正氏は参議院議員に当選し、安倍氏と河村氏が小選挙区を分け合い、林義郎氏は比例にまわったため、芳正氏に父親から禅譲される衆院の選挙区はなくなっていた。

 林芳正氏は、記憶に新しい安倍氏が総裁に逆転で復帰した2012年の総裁選に立候補しており、総裁候補のひとりであるが、衆議院議員でない総理は解散権の問題もあり、自民党の総裁候補として難がある。林氏の衆院への鞍替えは当時からの悲願である。

 芳正氏の父親である義郎氏も総裁選に出たことがあった。海部氏が総裁となった総裁選で石原慎太郎氏と三者で争ったが、経世会竹下派の推す海部氏が当選した(1989年)。海部内閣発足時自民党幹事長となった小沢一郎氏の「神輿は軽くてパーが良い」の根拠のありそうな妄言は、安倍長期政権の後半幹事長となり力を付けた二階氏に引き継がれる。

 海部氏は自民党総裁に派閥の長が着く慣習を破った、前任の宇野宗佑総理に次ぐ2人目の総理であった。宮沢喜一氏、安倍晋太郎氏など、竹下さんと総理を争った(安竹宮)当時の有力総裁候補は、リクルート事件の関与で外されたゆえの宇野氏の登場であったが69日という短命に終わる。海部氏も派閥の長ではないため「軽い」と誹られても仕方なかった。

 話を戻して、当の河村氏はじめ、二階派はその地盤を死守すべく、二階幹事長はじめ同士20名で山口県に乗り込み、二階氏は、「品の悪いことですが『売られた喧嘩』という言葉があるでしょう。我々はかけがえのない同士です。河村先生に何かがあるんじゃないかということであれば、我々も意を決して、政治行動のすべてをなげうって我々はその挑戦に受けて立ちます」と猛ったという。

 大政党の幹事長が、党内選挙区調整の労を取る前から、刃向かう奴は許さないはおかしいと思うが、所詮その程度の人々なのである。公明党と中共に太いパイプを持ち、潤沢な党の資金を活用しての強権政治である。そんな政党や政権を支持するという国民も同罪である。

 さらに、自民党二階派(47人)は7日、東京都内のホテルで政治資金パーティーを開いた。派閥会長の二階俊博幹事長は菅政権発足後も幹事長続投を勝ち取り、主流派としての存在感を確立。所属議員の多くも主要ポストに就いた。「私ども志帥会(二階派)はワンチームだ。自民党の中心的なグループとして皆さんの思いを国政の上に果たしていきたい。と呼びかけたとある。すべて、キングメーカー維持のため、1年後の総裁選への布石でもある。

 それにしても、国民の多くがコロナ禍に苦しむ中、与党幹部が、自身と自派閥の仲間のための政治資金パーティーをやっている時ではなかろうと思うが。



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