あいちトリエンナーレの問題
「トリエンナーレ」とはイタリア語で「3年に一度」という意味という。3年に一度開催される国際美術展覧会なので、このように命名されたようだ。
ここに従軍慰安婦像が持ち込まれたので、物議を咬ました。どうも世間には芸術という鎧を付ければ何でもまかり通ると思っている人たちが居るようだ。出てくるのは「表現の自由」。そのような連中は「自由」の意味さえ分かっていない。
元々この国の左翼系の人々は、非常に狭量で、自分たちの自由はものすごく主張するが、他人の自由は認めない。思想的に共産党国家を見ればよく分かる。聞いた話で恐縮ではあるが、百田尚樹さんや櫻井よしこさんの講演は左翼系の人々の横やりで開催場所が確保できず開催できないことがあったらしい。一方、左翼系の人達の講演会はボイコットされることはまずないそうだ。
現在は安倍一強で、マスコミも権力に追随するようになっているので、少々事情は異なっているかも知れない。
それにしても、8月11日のYAHOOニュースの有本香氏によれば、今回の「あいちトリエンナーレ」の実行委員会の委員に怪しいのが多いという。反天皇活動家や反日番組で問題になったNHKの元プロデューサーがいると言うのだ。展示を見て、まるで「反日左翼のプロパガンダ展」だったと感想を述べた人もいたようだ。
行っても見てもいないので、報道を聞いての感想にすぎないけれど、いずれにしても韓国で製作された「従軍慰安婦の少女像」が芸術だとする趣旨が見えない。「火をつける」と脅して捕まった方が居られたが、そちらの方の気持ちはよく分かる。
この事件で面白いと言えば不謹慎だが、この企画の開催に異議を唱えたのが、元民主党の河村名古屋市長で、これに憲法21条「検閲の禁止」を盾に反発したのが、元自民党の大村愛知県知事であったこと。憲法を持ち出すところは立憲民主党に鞍替えしたものか。
否、単に上に倣で、大村知事は安倍首相のリベラルの意見に沿うことが長期政権への道と学習しているようでおかしかった。
政治家には信念こそ必須のもので、その信念が国民の信を得られなければ「信なくば立たず」で引退すればいい。その都度リベラル派、保守派はどう考えるか、どちらが票につながるかなどを判断基準にするなど、成功してもひと時の栄華でしかない。
多くの人が自由に出入りできる場所に税金で展示する催しものに、何でも出して良しとするのは「自由」の拡大解釈で、それに異を唱えるのは政治家の責任であり、憲法の「検閲の禁止」に当たらないのではないか。
日本人に生まれ、日本に育てられ守られている人間が、韓国や中国のわが国への「プロパガンダ」を持ち込もうとする仕業は、単に世間の常道を踏み外しているとしか見えはしない。