凡を極めて、非凡に至る
企業では、次世代の自社を担う若者をいかに育てるか。リーダーをいかに育てるかの処方箋を求めている。そうかと思えば、海外からでも出来あがったリーダーを招聘して、業績の向上を図ろうと考える企業もある。
世界の企業の中でも米国のGE社は特にトップリーダー養成にかけて有名である。私は、ジャック・ウェルチ氏から現在のインメルト氏への交代時を挟んでの約9年間、GEの末端ではあるが関係会社に居た関係で、少しはそのカルチャーに触れた気がしている。彼らは日本人のような農耕民族ではなく、明らかに狩猟民族であり、よりよい猟場を求めて世界に挑戦する。厳しい競い合いの中で自分を高めてゆくためか、私が勤務した合弁会社のトップや、時に来訪する本社部門のトップリーダーは、対峙して間違いなく素晴らしいという印象を与える人々であった。
私は勿論、GEのリーダー養成の対象などでは全くなかったから、その実態に触れることもなかったけれど、そのプログラムの中には厳しい仕事での責任を通じて、人間性の陶冶が必須であることを仕組んでいたことが推察できる。
日本企業では、4月の新入社員の時期、彼らに垂れる社長からの訓示が新聞の話題になる。また時に、著名な経営者に若者たちへのメッセージ広告が新聞に載ったりする。言葉はまさにその人の器量を現すことが多い。実績を残した経営者は間違いなく名言を発する。
そんな中、花王の前会長であられた後藤卓也氏の「企業力の源泉は基礎学力」と題する講話の中の、『学校で学ぶ「基礎学力」は、実社会で役立つものばかりです。詰め込み教育や受験勉強を批判する人もいますが、私は「基礎学力」の徹底訓練になるという観点からも、決して無意味ではないと考えます』には共感した。
その後藤氏の言葉が、2008年9月日経ビジネス「マネジメント」リーダー創造の誌面にもあった。『好きな言葉に「凡を極めて、非凡に至る」というのがありますが、それが理想です。・・・私はよく、あなたはイチローですか、と問いかけてきました。イチローのような天賦の才能があり、かつ才能に甘んじないで必死に努力し、世界で活躍したいのだったら辞めていただいて結構です。だけど私も含め、失礼だけど皆普通の人ですね。普通の人にできることは日々の努力しかない。「目の前の峠を登る」こと、日々の仕事に一生懸命取り組しかない。・・・実際は、天才ほど努力するものです。どこにあるのか分からない自分探しや夢に踊らされず、自分の夢や望みを目の前の仕事に生かす努力をしてほしい。・・・
リーダー研修はやりますが、研修したら全員が育つと期待するのは甘い。判断に必要な情報の密度は、経験を積むごとに高くなります。日々の仕事で経験する失敗や成功の積み重ねは非常に大きいわけです。
そして最終的にリーダーに必要な資質は、何といっても健全な精神でしょう。・・・それから考える力です。自分の頭で考えて理解し、相手を納得させる力がなければいけない。経営を語る時、最近の激しい競争社会の中でと常に枕詞がつきます。でもリーダーの資質は時代で変わるものではないでしょう。』
「リーダーの資質は時代で変わるものではない」。とは、先の会田雄次先生のアウトサイダー指導者論に反するようにも読めるけれど、根っこを辿れば共通するものであろう。強力なリーダーを輩出させるシステムも一理あるけれど、皆で考えようとする姿勢を育むリーダーは日本的であり、これだけグローバル化した時代こそ必要なリーダー像に思える。
企業では、次世代の自社を担う若者をいかに育てるか。リーダーをいかに育てるかの処方箋を求めている。そうかと思えば、海外からでも出来あがったリーダーを招聘して、業績の向上を図ろうと考える企業もある。
世界の企業の中でも米国のGE社は特にトップリーダー養成にかけて有名である。私は、ジャック・ウェルチ氏から現在のインメルト氏への交代時を挟んでの約9年間、GEの末端ではあるが関係会社に居た関係で、少しはそのカルチャーに触れた気がしている。彼らは日本人のような農耕民族ではなく、明らかに狩猟民族であり、よりよい猟場を求めて世界に挑戦する。厳しい競い合いの中で自分を高めてゆくためか、私が勤務した合弁会社のトップや、時に来訪する本社部門のトップリーダーは、対峙して間違いなく素晴らしいという印象を与える人々であった。
私は勿論、GEのリーダー養成の対象などでは全くなかったから、その実態に触れることもなかったけれど、そのプログラムの中には厳しい仕事での責任を通じて、人間性の陶冶が必須であることを仕組んでいたことが推察できる。
日本企業では、4月の新入社員の時期、彼らに垂れる社長からの訓示が新聞の話題になる。また時に、著名な経営者に若者たちへのメッセージ広告が新聞に載ったりする。言葉はまさにその人の器量を現すことが多い。実績を残した経営者は間違いなく名言を発する。
そんな中、花王の前会長であられた後藤卓也氏の「企業力の源泉は基礎学力」と題する講話の中の、『学校で学ぶ「基礎学力」は、実社会で役立つものばかりです。詰め込み教育や受験勉強を批判する人もいますが、私は「基礎学力」の徹底訓練になるという観点からも、決して無意味ではないと考えます』には共感した。
その後藤氏の言葉が、2008年9月日経ビジネス「マネジメント」リーダー創造の誌面にもあった。『好きな言葉に「凡を極めて、非凡に至る」というのがありますが、それが理想です。・・・私はよく、あなたはイチローですか、と問いかけてきました。イチローのような天賦の才能があり、かつ才能に甘んじないで必死に努力し、世界で活躍したいのだったら辞めていただいて結構です。だけど私も含め、失礼だけど皆普通の人ですね。普通の人にできることは日々の努力しかない。「目の前の峠を登る」こと、日々の仕事に一生懸命取り組しかない。・・・実際は、天才ほど努力するものです。どこにあるのか分からない自分探しや夢に踊らされず、自分の夢や望みを目の前の仕事に生かす努力をしてほしい。・・・
リーダー研修はやりますが、研修したら全員が育つと期待するのは甘い。判断に必要な情報の密度は、経験を積むごとに高くなります。日々の仕事で経験する失敗や成功の積み重ねは非常に大きいわけです。
そして最終的にリーダーに必要な資質は、何といっても健全な精神でしょう。・・・それから考える力です。自分の頭で考えて理解し、相手を納得させる力がなければいけない。経営を語る時、最近の激しい競争社会の中でと常に枕詞がつきます。でもリーダーの資質は時代で変わるものではないでしょう。』
「リーダーの資質は時代で変わるものではない」。とは、先の会田雄次先生のアウトサイダー指導者論に反するようにも読めるけれど、根っこを辿れば共通するものであろう。強力なリーダーを輩出させるシステムも一理あるけれど、皆で考えようとする姿勢を育むリーダーは日本的であり、これだけグローバル化した時代こそ必要なリーダー像に思える。