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リーダー第8回

2010年04月22日 | Weblog
アウトサイダー指導者論(下)

 『新しい時代がはじまりつつある。近代と異なり、レールのない列車を走らせねばならない世界が。ここでは真の創造力、真のアイディアを持つ人間がリーダーになるべき世界である。その人は近代減点主義、バランス主義、ことなかれ主義、序列主義の社会では規格に合わず、中枢部には入りこめないアウトサイダーたちの中にいるはずである』。

 第二次世界大戦のまさに砲弾が飛び交う最前線、毎日が死と隣り合わせにあった緊迫した状況の中でのリーダー。戦争の末期の戦線を後退させてゆく過程、つまり逃走にともなう不安と恐怖が霧のようにたちこめる戦いの時期のリーダー。そして、捕虜生活にも慣れてかなりの自由をうまく使うようになった後期の収容所の生活の中に生まれたリーダー。それぞれ、全く異なる人物がリーダーとなった。

 激烈きわまる戦闘の中では勇士がリーダーとなり、退却時には、強力なリーダーシップに欠け、戦場の勇士にはなれないが、何事も非常にきちんと着実に行うまじめ人間がリーダーになった。捕虜となった収容所ではどうか。弁が立ち、押しが利いてはったりがきく、さぼることもうまくかっぱらいもやる。状況の変化を洞察し、それを先取りできる能力を持った男がリーダーとなった。

 『要するに、・・・時代と民族とによってリーダーとして要求される資質が違うということである。その配慮なしにただ過去の誰かを理想像としてその生き方を真似て見るのは無理な話だ。ただ全般的にいえることは、リーダーとなるべき人間はこの3タイプをふくめ、みんな平凡な正常社会の秩序の中で、そのどこかに位置しておれさえすれば、それに甘んじて生きがいを感じてゆけるという資質では駄目だということだ』。

 リーダーとしての、大きな可能性を秘めたアウトサイダーを会田先生はどう捉えたか。『日本の歴史上、戦国時代は古い価値体系と秩序が崩壊した創造性に富んだ乱世であり、未来社会に似ていると考える。その時代に安住すら許されなかった移動労働者や遊芸人の中から旅役者、庭師、城の石垣などをつくる土木業者、忍者まで生まれた。彼らは定住も許されぬ文字通りのアウトサイダーであったけれど、当時の破天荒に新しい技術者集団であった。・・・

 日本の文化は思想といわず芸術と云わず、すべて古くは中国や朝鮮、新しくは欧米からの直輸入品であり模倣である。・・・しかし、例えば城、日本庭園、着物などはまったく独特の日本製だが、これことごとく彼らの創造によるものなのだ。・・・私は彼らを未来社会の担い手たるべき大器の人々だったと思う。そして、その闊達な創造性を育んだものは、傭われず臣下にならず土着せず、したがって何ものにもとらわれぬアウトサイダーとしての立場でなかったかと想像するのである』。

 それではこれからの社会でリーダーとなるべきアウトサイダーとは。『非常に味わい人物なのだが、どこかワンポイントずれていて、近代社会のリズムと調子が合わない。現代のふつうの組織にはどうも簡単にコトンとは納まらないという感じを与える人間。しかし自分の長所を見極め、それを鍛える努力を怠らず、自分の個性が社会に適応するかしないかなど、こせこせした一喜一憂をやらず、大きな志をもって悠々と生きている人。また客観的に自分を突き放せる人間でもある。ただアウトサイダーといって、努力もせず、耐えることを知らず、不平不満を社会の所為にしているようなドロップ・アウトした人間は論外である』。



本稿は、会田雄次著「日本人材論」昭和51年11月初版、(株)講談社刊を全面的に参考にし、特に(『 』)部分は、直接に引用し、編集して構成しています。
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