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この国の風景4

2009年11月10日 | Weblog
キューバ危機

 1962年10月の出来事だから、この事実を直接ニュース等で聴いて覚えている方は、すでに50歳代以上の年配となる。私は中学3年生だったから、詳細は兎も角よく覚えている。キューバ革命後、米国に敵対されたカストロは当時のソ連に近づく。そして米国からの攻撃に備えて、核弾頭の装備できるソ連製ミサイルをキューバに配備する。この事実を知った当時の米国大統領J.F.ケネディーはキューバ近海の海上を封鎖し、ソ連のキューバへの輸送船を臨検する旨通告した。ソ連の首相はフルシチョフ。この時、彼の譲歩がなければ世界は第三次世界大戦という未曽有の核戦争に突入したであろうとされる大事件であった。

 1年後、ケネディーは暗殺されたが、フルシチョフもその後失脚した。フルシチョフが亡くなった時、ソ連の新聞にはある年金生活者が死亡した程度の扱いだったことが、日本でも報じられていた記憶がある。

 なぜ、いま頃「キューバ危機」を持ち出したか。現在の沖縄の米軍基地問題に揺れる日本の風景を地球の裏側の出来事から、また歴史の彼方から眺めてみようとしている。なぜなら現在の中国を当時の米国の立場と捉え、現在の米国を当時のソ連に置き換えてみると、現在の中国には沖縄は当時の米国にとってのキューバ島にも見えているのではないかと思うからである。

 勿論ここまでに至る事情は全く異なるものであるけれど、当時の米国がキューバのミサイル基地をして、喉元に匕首を突きつけられたように感じたと近い軍事的戦略上の意味が、中国にとっての沖縄にはあろう。沖縄の人々を煽ってでも、国家感の薄い民主党政権さえも動員して、中国には沖縄の米軍基地を縮小させたい。あわよくば近い将来全面撤退させたいのはやまやまであろう。私には現在の沖縄を巡る風景がそのように映って仕方がない。

 中国の経済的軍事的膨張が、米ソの冷戦時代にも増して日米にとって沖縄の軍事的価値を高めている。沖縄県民の民意を無視していいわけはないが、鳩山政権の曖昧さが住民の基地への反発を増大させた。軍事基地などどこでも嫌われるのは当たり前だけれど、その地理的条件において沖縄に代わりうる所は地球上にないのも現実である。

 民主国家にあって、現地住民は本交渉においては絶対的優位にあるけれど、「基地など要らぬ」という住民の発言は当然だけれど、所詮大局的見地からの発言などではない。基地を撤収させたのちの県民の経済的自立の方策でさえ考えてはいないのではないか。そこに折り合いをつけるのが政治力である。

 党内でさえ掌握できず権限を持てない総理が、この国の運命を左右している風景はこれから来る木枯らしの季節にも見える。
コメント
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