特になーんにもせずに過ごした土曜日。
明日も何もしない予定w。
さて色々(珍しく長文です^^;)。
1)明菜のCDを何枚か聴いて感じたこと。
昔から、なぜか聖子より明菜の方が好きだった。
明菜が感じさせる陰りの方が、天真爛漫な女の子を演じる聖子より魅力的に感じられたから、だと思う。
シングル曲のデータを見てみると、初期(1-6作目)の作詞が
来生えつ子(スローモーション)-売野雅美(少女A)-来生(セカンド・ラブ)-売野(1/2の神話)-来生(トワイライト)-売野(禁区)
と、来生/売野が交互に起用されていた。
来生が作り出す清楚で純情な少女らしさと、売野の不良性を前面に出すツッパリ系女の子とのイメージの間で、
デビュー間もない明菜自身が翻弄されていたのではないかいう印象(^^;)。
これは一にも二にも「(当時すでにトップアイドルだった)聖子にどう対抗するか?」というテーマの下に取られた路線のはずで、
明菜は聖子と同じ時代を生きたことで、公私ともに嫌でも影響を避けられなかった訳だ(T_T)。
※ちなみに聖子の場合は第6作から起用された松本隆の作詞イメージがビックリするほどハマってしまい、それがトップの座を維持する大きな力になったのは確かだが、一方では歳を重ねてからの枷になってしまったような気もする...。
どちらかと言えば売野/ツッパリ系作品が好きではなかった私は、康珍化の『北ウイング』-来生の『サザン・ウインド』辺りで心惹かれるようになったのを覚えている。
特に『サザン』は玉置浩二(安全地帯)が手掛けた作曲も新鮮で、今回編曲も瀬尾一三(中島みゆきのプロデュースで有名)だったと知り、ようやく納得した。
再び売野作品(十戒)に戻った後、次作『飾りじゃないのよ涙は』は何と、井上陽水の作詞作曲!
「私は泣いたことがない」と歌う明菜は、もはやアイドルではなかった。それまでとははっきりと違った路線がここから確立されたように思っている。
デビューから数年で少女から女性へ/アイドル歌手からシンガー、そしてアーティストへを変貌していく様をリアルタイムで見続けるのは、ファンにとっても刺激的だったに違いない。
”TATOO”はまだ23歳だったんだよなあ(驚)。
最近は公に登場することはほとんどなくなったが、歌の魅力は今でも十二分に通用する。
『オールタイム・ベスト -オリジナル-』で今回初めてちゃんと聴いた‟The Heat-musica fiesta”は、2002年の作品だが、
ヒップホップを導入しつつ、明菜の厚みを増した中低音が抜群。
アルバムはカバー(『歌姫』シリーズ)やベスト盤など6枚ほどあるが、クラシック系の音源を聴くのに目途が付いたら、また何枚か、特にオリジナルアルバムを聴いてみようかな。
2)昨日と今日でまとめて聴いたモーツァルト@ブリュッヘン。
WAM:Sym.No.39・40・41(ブリュッヘン&18C管)
ブリュッヘン率いる18Cオーケストラのクリアなサウンドでいわゆる「後期三大交響曲」をまとめて聴くと、
それぞれの作品の個性がより際立つ。
どっしりとスケール大きく響く39番。
g-mollの響きが心地よい疾走感とともに胸を打つ40番。
そして、モーツァルトの交響曲を締めくくるのにふさわしい規模と構築感/内容を兼ね備えた41番。
40番は大好きだったが、41番の能天気(苦笑)に感じられる明るさは正直苦手だった。
しかし、昨年ヤマカズ@仙台フィルの実演に接し、41番の終楽章が驚くほど立体的に響き渡るのを聴いてから、
俄然41番も好きになったのだった(^^)。
40&41番のカップリングでは、定番ワルター&コロンビア響が好きだが、
39-41番のセットでは、セル&クリーブランド管がフェイバリット。
今回のブリュッヘン盤もお気に入りに加わりそう。