2023年8月16日(水)

14時42分、東彼杵町は龍頭泉の入口に至った。

急坂を下ると

千綿川が見えてくる。

そして14時46分、龍頭泉に到着、落差およそ15mという。

説明看板。東彼杵町のHPによると、弘化2年(1845年)、当地を訪れた豊後日田の儒学者 広瀬淡窓がこの渓谷の美しさに驚き、千綿渓四十八潭と称し世に広め、かつこの渓谷全体を一匹の龍に見立て、上流にある一番大きな八間滝と呼ばれていたこの滝を「龍頭泉」と名付けたとの事。

接近

下流の方向、沢山の家族連れで賑わっていた。

滝を堪能後、戻る。坂を登っていると、白人男性二人と黄色人の女性ひとり、合わせて3人とすれ違った。
ここは東彼、クルマのナンバーも佐世保ナンバー、長崎の経済圏を外れて佐世保経済圏という土地柄を踏まえると、男性は行楽で来た米海軍関係者、女性は恰好からしてガイドの人だったかもしれぬ。

上りは結構急で汗だくとなった。

そして14時56分、駐車場へと戻ったのであった。

14時42分、東彼杵町は龍頭泉の入口に至った。

急坂を下ると

千綿川が見えてくる。

そして14時46分、龍頭泉に到着、落差およそ15mという。

説明看板。東彼杵町のHPによると、弘化2年(1845年)、当地を訪れた豊後日田の儒学者 広瀬淡窓がこの渓谷の美しさに驚き、千綿渓四十八潭と称し世に広め、かつこの渓谷全体を一匹の龍に見立て、上流にある一番大きな八間滝と呼ばれていたこの滝を「龍頭泉」と名付けたとの事。

接近

下流の方向、沢山の家族連れで賑わっていた。

滝を堪能後、戻る。坂を登っていると、白人男性二人と黄色人の女性ひとり、合わせて3人とすれ違った。
ここは東彼、クルマのナンバーも佐世保ナンバー、長崎の経済圏を外れて佐世保経済圏という土地柄を踏まえると、男性は行楽で来た米海軍関係者、女性は恰好からしてガイドの人だったかもしれぬ。

上りは結構急で汗だくとなった。

そして14時56分、駐車場へと戻ったのであった。