かぶれの世界(新)

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昔の名前で出てます都知事選

2014-01-17 18:12:02 | 国際・政治

都知事選候補者の顔ぶれがほぼ決まった。実質舛添元厚生大臣と細川元首相の対決になりそうで、後出しじゃんけんはなさそうだ。私から見ると両候補者ともかつて中央政界で権力闘争に敗れて一敗地にまみれた、いわば敗軍の将だ。世捨て人みたいな生活をしていた二人が、猪瀬知事の突然の辞任で湧いて出たチャンスに飛びついた。私の第一印象は、世界有数の大都市でオリンピックで顔になるかもしれない知事に他にもっとましな人材はいないものか、だ。

自民党は事前に世論調査をやって最も当選の可能性があるという理由で、かつて除名した舛添氏の支援を決定した。彼の介護の経験や社会保障への取り組みには好ましいものを感じていた。だが、彼がテレビ出たがり屋、目立ちがり屋のように感じて個人的に好きではない。自民党を飛び出した時誰もついてこなかったのは、何か個人としての魅力に欠けていたのではと疑う。

だが、今でも人気の小泉元首相の支持で細川元首相が有力候補として浮上して事態は一変した。細川氏がどういう政治家だったかは随分前のことで記憶が薄れていた。最初に小泉元首相の原発ゼロの呼びかけに呼応したと聞いた時は、原発ゼロだけが都知事選の争点かと訝った。ど素人のタレント候補でも取り繕うというのに。小泉氏も含め他の政策はロクに考えていなかった節がある。正式な出馬表明で発表すべき政策が決まらず、公式会見を二度も延期した疑いが濃厚だ。

最も引っかかるのは細川氏が政治献金違反の疑いを曖昧にしたまま首相の座を放り出したことだ。その彼が金がらみで辞任した前知事の跡を継ぐのは納得できない。都民を馬鹿にするなという声が出てくるのは避けられない。当初、小沢氏の名前が出て来たのも選挙的には良くなかった。更に彼を支持するのが民主党と報じられて、「原発ゼロ」が「最悪でも県外」と重なって聞こえた。

細川氏の場合、首相時代の取り巻きが周りに集まったというのも決してプラスにならないと思う。というのは細川首相時代に良い印象が残ってないからだ。舛添氏には党を出た時のいきさつは感心できなくても、国民にとって悪いことをしたわけではないのが救いのように感じる。

変わり映えしない有力候補の二人を見ると、昔人気だった歌手が場末のキャバレーで「昔の名前で」歌うシーンが浮かんできた。だが、どちらか選ばなければならない。安倍首相が二度目の挑戦で上手くやっている現実を考えると、昔の失敗だけで四の五の言うことはないかも知れない。都知事になったらどっちが上手くやってくれるか、間もなく発表されるはずの細川氏の政策とスタッフを見てから考えよう。■

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要介護者と予備軍の複雑な方程式

2014-01-15 19:25:37 | 健康・病気

昨日午後、母が入居している介護付き施設の介護責任者から連絡が入った。とても感じのいい人だが、彼女の連絡は良いニュースでない時が多い。彼女の声を聞いて身構えた、今度は何かと。前回は尿に血が混じっているので入院するという連絡だった。

幸い今回は深刻ではなかった。母が隣の席に座った方のカステラをとって食べた、カロリー制限をしているので場合によっては血糖値が上昇するかもしれないというもの。彼女は注意不足を謝ったのだが、私は迷惑をかけて申し訳ないと何度も謝った。

だが、問題のシーンを想像して謝りながら思わず笑ってしまった。異食(異物を食べる病気)があるので母の周りにはゴミ一つ置かないよう普段から気を付けてもらっていた。だが、食事は皆で食べるのでいつかこういうことが起こるかもしれないと思っていた。

昨日午前中に市が主催する予防介護プログラムに参加したばかりだった。物忘れがどのくらい進んでいるかテストし、頭の働きを活性化するドリルを毎週やっている。私はスポーツ関係の記憶が他の人よりいいという結果が出た。好きな事なら記憶保持力も普通より良いようだ。

考えてみれば今は離れて暮らしているが、認知症になった母の問題を、認知症予備軍の私が心配するという、今ではありふれた構図だ。母と同じ年齢で私も認知症が進むとすれば、私に残された時間は十年余りだ。

分かっていた訳ではないが、幸運にも10年余り前に私は早期退職し母が初期の認知症になった頃から身近にいて対応できた。私の場合はどうすべきか、10年後どういう姿になっているか、昨年頃から考え始めた。

仮に15年経って現実的に私の子供達は早期退職をする時期ではない。まだ50過ぎだ。私自身が田舎にある実家と田畑山林やお墓を扱いかねている状況をどう引き継ぐのか、要介護者と予備軍に子供達の三世代連携の複雑な方程式を解かねばならない。■

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半導体の癒えない痛み

2014-01-12 16:54:10 | 社会・経済

 今朝の日本経済新聞の連載記事「半導体興亡史(2)NECの誤算」に注目した。80年代半ばに半導体世界トップに立ったNECが何故凋落したか1面を費やして調査解説されていた。大筋は「86年の日米半導体協定以降経営が安定した」が、一方で「技術開発が停滞し市場変化についていけず古い体制を引きずった、NECに覇者の驕りがあった」というものだと読んだ。

 私は半導体を利用するコンピューター関連産業に密接に関わり、当時親しくさせて頂いた方々の現在の厳しい状況を見聞きして、延々と続きいまだ癒えてない痛みが感じられ記事を読んで他人事とは思えなかった。もうずいぶん前になるが、2005年末に「産業のコメ」の凋落と題して日本の半導体ビジネスが何故苦戦しているか私なりの分析記事を投稿した。(http://blog.goo.ne.jp/ikedaathome/d/20051218 )

 その記事で私は「80年代バブル時代の物づくり軽視とそれに伴う技術流出、世界戦略の欠如」を原因として指摘した。それから8年経ち日本の半導体ビジネスは更に悪化し、凋落どころか最悪の場合消滅する危機を迎えている。その私から見ると日経の記事はいささか表面的で、底流にある問題まで追求できてないと感じる。

 根底にあるのは「半導体とビジネスモデル」だ。私が記事を投稿した2005年以降、それ以前と同じパターンで日本の家電製品と半導体事業が強烈なパンチを食らい、リーマンショックを経て瀕死の状態に追い込まれた。その典型は米国発(GoogleやQualcom)の基本技術(OSや必須特許)を使って、残りの世界が最終製品(スマホやタブレット)競争するモデルだ。生き残るには必須技術の開発か、必須技術を買い最終製品を安く作るしかない。日本はそのどちらにも失敗した。

 日本に基本技術をビジネスモデル込みで提供したことはない。私の理解では最初のモデルはWintelモデルによるパソコン(MicrosoftのOSとIntelのCPUを使った)だった。これにより、ハイテック技術の塊のパソコンは世界中のメーカーが出来合いの部品を箱に詰めて安く作るビジネスに転換し、パソコンを世界中に普及させた。そしてMSとIntelは巨大企業になった。

 このルールが来る前に現場力に頼ったモノづくりで安く作り日本企業が世界に上り詰めた時、メディアは褒め称えその気になった当事者もいたと思う。日経の記事が言う「驕り」があったとすれば、ルールが短期間で変わると予想しなかった。私の印象では予想していたが対応出来なかったと感じる。分かっていれば、モノづくり技術の流出の制限してもう少し変化を緩やかにして時間稼ぎが出来たと思う。

 基本技術のディジタル化による標準化とモジュール化は、難しいところは米国から買ってきて安く作る競争に変質させた。日本の物づくり技術・ノウハウが流出し後発国の韓国や台湾でも同程度の品質を安く作れるようになり、やがて中国や東南アジアに展開していった。当時、世界有数の高給取りの労働者を抱える日本のモノづくりではさすがに勝負できなかった。

 日本のモノづくりは既に競争力に陰りが出ていたが、リーマンショック後の円高で徹底的に叩かれた。円安に戻った今復活できる力を残しているか厳しい状況にある。それが今日の日本の半導体ビジネスであり、家電業界の置かれた位置である。というのもこの間に後発国だった韓国・台湾とそれに続く国が急速に力を付けたからだ。日本の半導体の受けた傷はもう癒えないかもしれないと思う。このパターンが他産業に波及しないよう戦略が今程重要な時はない。■

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先出しじゃんけん

2014-01-10 19:13:48 | 国際・政治

 息子の嫁が1か月後の出産を控えて医者に診てもらう間、孫の見守りを兼ねて留守番を頼まれ大崎に行ってきた。夕方帰宅してパソコンを開くと、米国系マスコミからニュース速報が何本も入っていた。すわ大事件かと思ったら、ニューヨーク市に繋がる橋が大渋滞発生になった件でニュージャージー知事が謝罪会見をする、会見で大渋滞は側近が勝手にやったことと言い訳をしたと伝えられた。知事選に非協力的だった民主党市長への報復だった疑いがあるという。何という低次元!

 何故こんなローカルニュースで全米が大騒ぎするかと言えば、クリスティ知事は2016年大統領選で茶会の指示を受けて共和党の有力候補になるとみられているからだ。3年先の大統領選の戦いがもう始まっているのだ。これから3年間多くの候補者が過去に何を言い今何をしているか根掘り葉掘り調べられ、大統領としてふさわしいかどうか国民の前で裸にされる。正に「先出しじゃんけん」だ。多分、これでクリスティ大統領の芽は無くなったと思う、3年も前に。

 一方、わが都知事選は直前になっても有力候補者の出馬が決まっていない。今迄の都知事選はギリギリになって突如出馬表明した候補者が当選する繰り返しだった。いわゆる「後出しじゃんけん」有利説だ。問題は後出しじゃんけん候補者が当選してしまうところにある。候補者が過去に重要な政治決定を賛成・反対したか、或いは何をし何を言ったか、あらゆる政治活動を洗い出し、それを材料にマスコミは立場を明らかにし、最終的に有権者が投票する。これがあるべき姿だと思う。

 マスコミは「後出しじゃんけん」と言って揶揄するのみでは恥知らずで全く責任を果たしてない。馬鹿な選挙民はそれに対して文句も言わず後出しした候補者が当選する。何とも情けない低民度の選挙民、というのがニュージャージーの責任逃れの馬鹿知事の言訳を聞き、翻って都知事選の在り方について思ったことだ。誰か問題提起しないのか、と最近文句ばっかり言っている私です。■

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新年早々下半身大好きTV

2014-01-08 17:58:03 | ニュース

 この数日朝っぱらからタレントの下半身を暴露するニュースが流れて気分が悪くなった。チャンネルを切り替えても同じニュースが流れてくる。同じ連中が正義感ぶって消費税や都知事選、北朝鮮や中国関連の動向を伝え、大震災の被災者や原発事故のその後を伝えるがいかにも嘘っぽい。マスコミのニュース報道は一体何をベースにして伝えているのだろうか。

 猪瀬前知事の突然の辞職を受けて次期都知事を選ぶ選挙の公示と選挙の日取りが決まった。辞任まで連日報じられた前知事バッシング報道がぴたりと止まった。報道の目的は不祥事の疑いのある高官を辞めさせることで、事実を追求し伝えることではなかった。一旦不祥事が発覚するとそれまでの功績はすべて無視され、針の筵に座り悪口雑言を甘んじて受ける高官の姿を見るのは寂しい。

 以前から指摘したくて機会を失っていたことがある。ついでと言っては何だがこの機会に指摘したい。昨年集中豪雨に見舞われ30余人の犠牲者が出た伊豆大島の町長が不在だったとテレビニュースは一斉に非難した。被災者の名を借りて町長を吊し上げるような内容で、明らかに度を越していた。私はこのニュースを見た時、3年前の大震災で25千人の犠牲者を前に自治体の首長が表だって厳しい非難を受けなかったことを思い出した。

 大震災発生時、被災地が広範にわたり自治体の対応によって犠牲者数は有意差があった。だが、多くの犠牲者が出たことを理由に被災地の自治体の首長は伊豆大島の町長のように吊し上げにあうことがなかった。何故か?それはセンセーショナルな原発事故のニュース価値が高いとマスコミが判断したからだ。国民の目もそちらに集中した。原発事故報道の方がはるかに重要で、自治体の対応によって救われたかもしれない数百数千の犠牲者など構っておれなかった。落ち着いた今となっても穿り返す価値もないようだ。

 彼らの価値判断は何か、例によって私の誤解を恐れぬ判断によれば、それは報じる内容が「スキャンダラスかどうか」だ。それによってスキャンダル大好きな馬鹿な主婦(失礼!)が食いついて視聴率が高くなるかどうかが重要なのだ。猪瀬知事が辞任すればもうスキャンダルとしてのニュース価値はない。次のスキャンダルがタレントの下半身だったわけだ。何という下品な連中だ。

 だが、失望することはない、下品なのは日本だけではない。ケネディ大使が赴任した時、ウォーターゲート・スキャンダルで辞任したニクソン大統領のことを思い出した。ニクソンはオリンピック誘致等比較にならないほどの実績を上げたが、スキャンダルは彼が苦心して成し遂げた実績の総てを吹き飛ばした。今でもアメリカ人はニクソンが大嫌い、一方在任期間が短く実績という点では物足りないケネディは敬愛されている。最後にカトリーナの襲われたニューオーリンズではメディアはもう少しましな報道をし、その後の適切な対応がなされたと私は思う。■

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