名護市の民意は日本の民意か
名護市長選は基地移設反対の稲嶺市長が再選を果たし、市の権限を使って辺野古基地の移設を阻止すると表明した。だが、小野寺防衛相は「地方の選挙なのですみやかに辺野古の問題に直結するとは考えていない」と述べ、「自治体と協議する内容があるが、法令に基づいてしっかり対応すれば認めることに進んでいくのではないか」との発言が報じられた。
又、菅義偉官房長官は「市長の権限は限定されている。埋め立てについてできる限り丁寧に説明しながら理解を求めるなかで淡々と進めていきたい」と述べ、これに対して稲嶺市長は「選挙結果を無視する形で事業を発注するのは無神経だ」と強く反発、名護市市議の一人も「力ずくで進めようとしても市民の反感を買うだけだ」と政府の姿勢を厳しく批判したと報じられた。
稲嶺市長が再選すればこうなるだろうという予想通りの展開だ。市長は民意が示された直後の政府の反応は許されないと決めつけた。だが、私は1.3億国民の安全保障に関わる基地移転をたった1万余の反対票で決めつける姿勢に違和感があった。名護市の民意が国の安全保障の方針と違う結果を受け、地域の利益代表として国の安全保障方針を理解した上でどう折り合いをつけていくか悩ましい、みたいな姿勢をジェスチャーでもいいから見せて欲しかった。
名護市の民意は沖縄の民意か
実は、名護市の民意(利益)は沖縄の民意でもない。普天間基地のある宜野湾市長は1日でも早い基地移転を望んでおり、今回の選挙結果に失望したとの発言が報じられている、ニュースとしては小さい扱いだが。つまり沖縄の中でも相反する利益がある。これは一部の利益と全体の利益が異なる場合の一例だが、他にもうんざりするほど沢山例がある。言い換えると「総論賛成、各論反対」だ。一般論としては賛成だが、自らに影響する決定となると反対する古典的な問題だ。
安倍内閣が第三の矢の成長戦略が既得権益の抵抗にあって中々進まない。既得権益層は例えば農業のように国民の数%未満だったり、場合によっては1%にも満たない人たちの利益を代表する。名護市の場合一部の人達の不利益なので既得権益ではないが、全体の利益とぶつかる構図は同じだ。原発事故で放射能汚染された地域の除染が中間貯蔵地や最終貯蔵地が決まらず、それがネックで除染が中々進まないのも同じ構図だと思う。沖縄基地と同じで気持ちはよく分かるが、結果的にそれで自宅に戻れない人達を作り出している。
東京都の民意は国の民意か
細川元首相が都知事選候補者として政策を公式に発表し、やっと原発ゼロ以外の政策が明らかになったようだ。私には同じ構図を感じる。結局原発ゼロ以外に注目すべき争点は無いと私は思う。既に指摘されている様に原発ゼロが東京都知事選の争点とすることに私も違和感がある。エネルギー政策は基本として国の方針であり、安全保障と同様に一自治体が決めることではない。自治体と言っても東京は国の10%の人口、経済的には大半を占める特別な存在だとしてもだ。
既に原発推進を公に意思表示している福井県や鹿児島県などの自治体もある。彼らの考えは無視してよいのか。自治体はその住民の意思として問題提起できるが、国の方針は国政選挙で決めるべきだ。それが唯一国の政策を決定できる手段である。私は最悪ケースとして稲嶺市長が法的に与えられた権利を行使して基地移設を邪魔しても良い、だが同時に政府が法的な権限を行使するのも可と考える。最悪ケースだがそれが法治国家での意思決定というものだ、絶対多数の民意を反映した民主主義的意思決定だと思う(何だか橋下市長みたいだが)。■