今朝の日本経済新聞の連載記事「半導体興亡史(2)NECの誤算」に注目した。80年代半ばに半導体世界トップに立ったNECが何故凋落したか1面を費やして調査解説されていた。大筋は「86年の日米半導体協定以降経営が安定した」が、一方で「技術開発が停滞し市場変化についていけず古い体制を引きずった、NECに覇者の驕りがあった」というものだと読んだ。
私は半導体を利用するコンピューター関連産業に密接に関わり、当時親しくさせて頂いた方々の現在の厳しい状況を見聞きして、延々と続きいまだ癒えてない痛みが感じられ記事を読んで他人事とは思えなかった。もうずいぶん前になるが、2005年末に「産業のコメ」の凋落と題して日本の半導体ビジネスが何故苦戦しているか私なりの分析記事を投稿した。(http://blog.goo.ne.jp/ikedaathome/d/20051218 )
その記事で私は「80年代バブル時代の物づくり軽視とそれに伴う技術流出、世界戦略の欠如」を原因として指摘した。それから8年経ち日本の半導体ビジネスは更に悪化し、凋落どころか最悪の場合消滅する危機を迎えている。その私から見ると日経の記事はいささか表面的で、底流にある問題まで追求できてないと感じる。
根底にあるのは「半導体とビジネスモデル」だ。私が記事を投稿した2005年以降、それ以前と同じパターンで日本の家電製品と半導体事業が強烈なパンチを食らい、リーマンショックを経て瀕死の状態に追い込まれた。その典型は米国発(GoogleやQualcom)の基本技術(OSや必須特許)を使って、残りの世界が最終製品(スマホやタブレット)競争するモデルだ。生き残るには必須技術の開発か、必須技術を買い最終製品を安く作るしかない。日本はそのどちらにも失敗した。
日本に基本技術をビジネスモデル込みで提供したことはない。私の理解では最初のモデルはWintelモデルによるパソコン(MicrosoftのOSとIntelのCPUを使った)だった。これにより、ハイテック技術の塊のパソコンは世界中のメーカーが出来合いの部品を箱に詰めて安く作るビジネスに転換し、パソコンを世界中に普及させた。そしてMSとIntelは巨大企業になった。
このルールが来る前に現場力に頼ったモノづくりで安く作り日本企業が世界に上り詰めた時、メディアは褒め称えその気になった当事者もいたと思う。日経の記事が言う「驕り」があったとすれば、ルールが短期間で変わると予想しなかった。私の印象では予想していたが対応出来なかったと感じる。分かっていれば、モノづくり技術の流出の制限してもう少し変化を緩やかにして時間稼ぎが出来たと思う。
基本技術のディジタル化による標準化とモジュール化は、難しいところは米国から買ってきて安く作る競争に変質させた。日本の物づくり技術・ノウハウが流出し後発国の韓国や台湾でも同程度の品質を安く作れるようになり、やがて中国や東南アジアに展開していった。当時、世界有数の高給取りの労働者を抱える日本のモノづくりではさすがに勝負できなかった。
日本のモノづくりは既に競争力に陰りが出ていたが、リーマンショック後の円高で徹底的に叩かれた。円安に戻った今復活できる力を残しているか厳しい状況にある。それが今日の日本の半導体ビジネスであり、家電業界の置かれた位置である。というのもこの間に後発国だった韓国・台湾とそれに続く国が急速に力を付けたからだ。日本の半導体の受けた傷はもう癒えないかもしれないと思う。このパターンが他産業に波及しないよう戦略が今程重要な時はない。■