この数日朝っぱらからタレントの下半身を暴露するニュースが流れて気分が悪くなった。チャンネルを切り替えても同じニュースが流れてくる。同じ連中が正義感ぶって消費税や都知事選、北朝鮮や中国関連の動向を伝え、大震災の被災者や原発事故のその後を伝えるがいかにも嘘っぽい。マスコミのニュース報道は一体何をベースにして伝えているのだろうか。
猪瀬前知事の突然の辞職を受けて次期都知事を選ぶ選挙の公示と選挙の日取りが決まった。辞任まで連日報じられた前知事バッシング報道がぴたりと止まった。報道の目的は不祥事の疑いのある高官を辞めさせることで、事実を追求し伝えることではなかった。一旦不祥事が発覚するとそれまでの功績はすべて無視され、針の筵に座り悪口雑言を甘んじて受ける高官の姿を見るのは寂しい。
以前から指摘したくて機会を失っていたことがある。ついでと言っては何だがこの機会に指摘したい。昨年集中豪雨に見舞われ30余人の犠牲者が出た伊豆大島の町長が不在だったとテレビニュースは一斉に非難した。被災者の名を借りて町長を吊し上げるような内容で、明らかに度を越していた。私はこのニュースを見た時、3年前の大震災で2万5千人の犠牲者を前に自治体の首長が表だって厳しい非難を受けなかったことを思い出した。
大震災発生時、被災地が広範にわたり自治体の対応によって犠牲者数は有意差があった。だが、多くの犠牲者が出たことを理由に被災地の自治体の首長は伊豆大島の町長のように吊し上げにあうことがなかった。何故か?それはセンセーショナルな原発事故のニュース価値が高いとマスコミが判断したからだ。国民の目もそちらに集中した。原発事故報道の方がはるかに重要で、自治体の対応によって救われたかもしれない数百数千の犠牲者など構っておれなかった。落ち着いた今となっても穿り返す価値もないようだ。
彼らの価値判断は何か、例によって私の誤解を恐れぬ判断によれば、それは報じる内容が「スキャンダラスかどうか」だ。それによってスキャンダル大好きな馬鹿な主婦(失礼!)が食いついて視聴率が高くなるかどうかが重要なのだ。猪瀬知事が辞任すればもうスキャンダルとしてのニュース価値はない。次のスキャンダルがタレントの下半身だったわけだ。何という下品な連中だ。
だが、失望することはない、下品なのは日本だけではない。ケネディ大使が赴任した時、ウォーターゲート・スキャンダルで辞任したニクソン大統領のことを思い出した。ニクソンはオリンピック誘致等比較にならないほどの実績を上げたが、スキャンダルは彼が苦心して成し遂げた実績の総てを吹き飛ばした。今でもアメリカ人はニクソンが大嫌い、一方在任期間が短く実績という点では物足りないケネディは敬愛されている。最後にカトリーナの襲われたニューオーリンズではメディアはもう少しましな報道をし、その後の適切な対応がなされたと私は思う。■