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かぶれの世界(新)

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おせっかいSNS

2013-04-13 18:14:06 | デジタル・インターネット

  公職選挙法改正案が衆院で可決され、今月中に参院でも成立の見込みとなった。次の参院選ではインターネット選挙が可能になった。次からSNS選挙になるだろうと報道各社は伝えている。それが一体どんなものなのか想像がつかないが、個人的には悪い予感がする。

  45年前メル友の紹介でFacebookに加入したのが、私のSNS体験の始まりだった。どんなきっかけで知り合ったか忘れたが、彼女はニューヨーク州シラキュースに住む同年配のベテラン看護婦で鉄板の民主党支持者だった。大統領選がきっかけだったかもしれない。メールのやり取りの代わりと言われ何も考えず了解した。結果として、当時最先端のSNSのメンバーになった。

  最初は面白がってメール交換したが、そのうち私達のやり取りを彼女を取り巻く家族・友人なども見ていることが分かった。個人的なやり取りが彼女のネットワークに公開されたからだ。勿論、私も彼女の子供や知り合いのメールや写真が目に入ってきた。彼女の離婚の理由とか、彼女の子供が私に興味を持ち、彼女が新しい男友達と知り合い、やがて二人で住むようになる様子が実況放送を見るように分かった。このオープンな関係に私には違和感が生まれた。

  他にフィリピン政府職員しか私のサークルにはいなかったが私は両者を紹介する積りは無かった。暫くして日本でも普及して「おせっかい機能」で同窓生が友人になったが、投稿された写真にコメントする程度で受け身のSNSメンバーだった。ある時、SNSとは関係のない私のブログ記事で誰かの考えを引用したことを、Facebookが断りもなくサークルの皆に伝えていることに気が付いた。それを見て私は監視されているようでとても嫌な気分になった。

  更に暫くして今度は会社勤め時代の同僚の紹介でLinkedInのメンバーになった。懇意にしてもらっていた同僚の紹介を断る理由はない。それ以降、あなたはこの人を知っているはずだから友人になりなさい、友人の誰かが他の誰かと繋がっています、みたいなメールが毎日のように来ることになった。初めは古い友人たちの登場を懐かしいと思ったが、毎日同じようなメールを受けると引退した私には必要ない情報で煩わしいと感じ始めた。迷惑メールではないが「余計なお世話、おせっかいな機能」だと思うようになった。

  だが、SNSの余計なお世話機能は今ではビジネスで活用され効果を上げているらしい。大統領選とか中東の春など政治の世界では重要な役割を果たしたという。日本でも自民党が政権を取り戻し安倍首相がFacebookを使って情報発信するようになったが、新聞・テレビの報道に比べ発信内容は限られている。わざわざ読むほどのものでもない。参院選では誰かの政治主張を「いいね」というと世間に伝わり、或いは「いいね」を強要されるとか、いい加減な返事するとばれるとか、知らない人からやたらメールが来るとか、何だか悪い予感がする。■

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田舎暮らし雑感13春(終)

2013-04-11 00:01:26 | 日記・エッセイ・コラム

  昨日の午後羽田に降り立つと春の陽射しが意外に暖かかった。電車の前の席に座った女子高生のセーラー服と、ミニスカートの下からすらりと伸びたハイソックスの足が眩しかった。彼女達のお喋りを聞くと東京に戻ったと感じた。

  帰京の前日は泥縄式にバタバタしてとても忙しかった。先ずは朝一番で母を見舞った。格別変わりなかったが、しばらく東京に戻ってくるからと言って出ていこうとすると「まだおれ」と何度か引き留められた。脳梗塞で入院・転院を繰り返して以来、私は嫌な役回りでいつも「はよう帰れ」と言われ、こんな言葉を聞くのは久しぶりだった。

  事務所の担当に話すと、最近母の反応が丸くなったと同じような印象を聞いた。もしかして最後が近づいているのかなと独り言のように漏らすと、そんなこと言っちゃダメとたしなめられた。その後、普段色々と世話になっている友人と昼食をして帰京の挨拶をして実家に向かった。

  途中農協に立ち寄り母の預金口座の残高を確認し、実家にいったん戻り荷造りして宅急便を依頼した。最近はカードで荷札を自動作成できるようになり随分簡単になった。そのあと急ぎ戻って作業着に着替え表通りに面する畑の野焼きをやった。いつもなら天気予報を確認して雨が降る前に野焼きをするのだが、今回は時間がなかった。風が弱いので強行した。

  その2日前に近所のオバサンから連絡を受け、太郎神社のオコモリをやった。例年お花見の名目で仕出し弁当を食べ酒を飲んでいたのだが、それが元々オコモリという習慣だったと初めて知った。太郎神社というと変だが、先祖を遠く辿ると開祖の名前が太郎兵衛元親というからだ。

 今年は財布を握っている長老が入院中で、各人が弁当を調達しお酒は抜き。参加者は何と私を入れて5人だった。私以外は70歳後半から90歳までの老女4人、若手といっても50代の男性2人は年寄とは話が合わないと言って不参加だったという。凄いことになった。

 東京に戻って田舎の山奥との違いは何処に行っても子供達をたくさん見かけることだ。私が後家さん4人とお花見といえば羨ましがられるかも知れないが、彼女たちが70代から90歳だと言えば失笑されるだろう。とはいうものの楽しいひと時だった。■

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私的・黒田ショック

2013-04-06 18:32:50 | ニュース

 日銀の金融政策決定会議で導入を決めた新たな金融政策は、市場が事前に予測していた金融緩和政策を遥かに上回るものだった。政策の誘導目標を金利からマネー供給量に切り替え、マネタリーベースを2年間で倍増させる(270兆円)という誰もが予想しなかった大胆なものだった。

 市場はサプライズに対して過剰に反応した。一昨日、昨日の株価と債券市場は2か続けて乱高下を続け、未だにサプライズをきちんと咀嚼できて無いように感じる。この週末は頭を冷やす絶好の休みになるだろう。私は株をとっくに止めたので、この1ヶ月の投資残高は大きな動きをしていない。それが、チョット悔しいけど冷静でいれる訳かもしれない。

 という事で騒ぎから取り残された冷静な私が、今回の日銀サプライズ(もしくは黒田ショック)の印象を紹介する。最も印象深いのは黒田新日銀総裁のリーダーとしての強い意思だ。私がそう感じた彼のコメントを幾つか紹介する。従来の日銀の緩和策は「戦力の逐次投入」と厳しく非難し、「現時点で必要な措置は全て講じた」と言い切った。前任者への強い批判は異例だが、それだけ全ての責任を受け止め退路を断った覚悟の発言だといえる。

 私は「戦力の逐次投入」という言葉に強く反応する傾向がある。若い頃に第二次世界大戦に関る本を多読した結果だと思う。以後の戦局を左右する鍵となる戦いで、日本軍トップが兵力の損失を恐れ小出しに戦力を投入し勝利の機会を失い、結果的に多くの戦死者を出し敗戦に導いた(最終的に勝てる戦争ではなかったが)。戦争開始の真珠湾攻撃からこの臆病で官僚的なな意思決定の連続が、不必要に戦局を悪化させ兵を無駄死にさせたという思いがあるからだ。

 その点、黒田氏の意思決定は極めて明確で一点の曇りもないように感じる。「一点の曇りもない」とは意思決定の個人もしくは組織責任が曖昧な官僚的発想に基づくものではないということだ。日本では「戦力の逐次投入」的意思決定をするリーダーが圧倒的に多く、黒田氏のようなタイプのリーダーは日本では稀有だ。そこに新鮮さを感じた。

 私は会社勤めした時身につけた習慣で、交渉相手の立場になり何故そう主張するのか、私がそう言う時はどんな事情があるだろうか、等など考える。未だにニュースに出てくる人物についてついついそういう目で見る。そんな目で見た時、黒田氏のインタビューでの発言にはリーダーとしての強い信念と覚悟が感じられた。政策内容と結果はともあれ、彼のスタイルは滅多に見ない。

 私自身を振り返ると私は優秀な中間管理職ではあっても、優秀なリーダーではなかったと改めて思った。民間会社の一部門の運営を預かった程度でそもそも比べ物になら無いが、その程度でも確かな信念は無かったし、疑いながら少しずつ手をつけて失敗をしないように注意深くやった。殆ど意思決定しないと同じだった。今でも後悔の気持ちがある。

 だからといって私は日銀の新金融政策が良いとは言ってない。不安が残る。とりあえず市場は好感したが誰もが高く評価しているとも思わない。市場は身勝手だ。黒田ショックは強烈だったが、いつか麻痺してもっと強いサプライズを要求するようになる。黒田氏はやるべき事は全てやったというが、市場は薬が切れる前に次の強い薬を早くも期待している。

 そんなことありえないというが、私は十分可能性があると思う。世界は日銀サプライズを注意深く眺め、自国に有利な金融政策を打ってくる。金融緩和競争になる可能性は十分ある。一方的な円安が許されると思わないほうが良い。以前から指摘されているように、安倍政権の成長戦略の重要な仕掛けの規制緩和と財政改革が信任を失えば、日銀サプライズは逆効果となって失敗を拡大し地球の裏側のギリシャになるかもしれない。だが、黒田氏にはそこまでの覚悟も感じる。■

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安楽とダルビッシュ

2013-04-04 11:45:34 | スポーツ

 ダルビッシュが昨日敵地のヒューストン・アストロズ戦で9回2死までパーフェクト・ピッチングをやり、あわや完全試合達成という快投を演じた。試合終盤から現地放送がどう言っているのか興味があって、英語放送に切り替えた。彼らがどう伝えるか興味があった。NHKがそうだとは言わないが、スポーツ紙みたいなノリの中継は聞きたくなかった。

 8回の終頃だったと思うが、コメンテーターが日本だったら絶対言わないことを言った。監督や投手コーチはダルビッシュに大記録を達成させたいが、だが同時に彼には今シーズン、更に何年も先ずっとこのような素晴らしいピッチングをして貰いたいと思っている。

 その為にシーズン最初のゲームを何処まで投げさせるのがベストか悩んでいるはずだと。結局ダルビッシュは9回ツーアウトまで投げ、ヒットを打たれると監督は直ぐに交代させた。ダルビッシュも投げ切りたいと意思表示することもなく、監督の意図を理解し笑顔で交代に応じた。かつての松坂大輔ならイヤイヤと駄々をこねる姿が見られたかもと勝手に想像した。

 その直後に選抜高校野球大会の決勝が始まり、済美高校の安楽投手は連投の疲れで途中から浦和院高校に乱打され772球で今大会を終えた。安楽は連投でみじめなくらい球威が落ちて通打されたが、誰からも責める声は聞かれなかった。彼がベストを尽くしているのは誰も疑わなかったし、不利な状況でも一生懸命頑張る姿が日本人の心を打ったのは間違いない。

 だが、済美高校が勝ち進むにつれこうなる時が来ると思いながら中継を見て来た。成長過程の16歳の高校生に無理な連投をさせるのが正しいのか、極端に言えば肩を酷使して才能ある高校生の未来を潰してしまう恐れはないかと思った。監督のコメントにもそのような躊躇が若干感じ取れた。せめて準決勝と決勝戦の間に降雨で1日か2日の休みを入れてやりたいと思った。

 高野連は高校生の肩を守る為大会日程の見直しをすべきだと思う。高校野球は長い歴史があるからその気になれば連投で肩を痛めた選手のデータは集められると思う。いじめや体罰が問題になり暫くすると全国からデータが集まった。高校野球の連投の影響も調べられるはずだ。高校野球を飯の種にしているTBSや朝日はともかく、他のマスコミが口をつぐんでいるのは不思議だ。

 同じ選抜高校野球で大阪桐蔭高校のランナーが、相手捕手に体当たりした危険なプレーを厳重注意したそうだ。私は高野連の判断は合理的で正しいと思う。それだけに限らず高校生野球選手の健康を科的な目で追跡して、あるべきルールの見直しすることを強く勧める。

 最近藤波や大谷のような190cmを越える長身の選手が活躍し始めたのは、高校野球のコーチが成長時期で壊れやすい若い選手に無理をさせないよう練習方法を改善した結果と聞いたことがある。運動科的な取り組みの成果だという。精神論や監督や本人の判断だけに任せよというのは無責任な暴論だと私は思う。■

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田舎暮らし雑感13春(5)

2013-04-03 18:37:23 | 日記・エッセイ・コラム

 帰京の日程を決めてから重い腰が上がった。先送りしていたことを一気にやる気になった。先ずはお彼岸になってもやらなかったお墓掃除を日曜日にやった。毎日お墓を見てやらなきゃと思いながら何もしなかった。明治以前の先祖は実家に続く山の斜面のお墓に葬られている。数年前買ったブロワーでも堆積した落ち葉が飛ばず、スコップで削ってやっと吹き飛ばした。

 次に明治以降の先祖が眠るお寺に向かった。途中山門の近くでオバサンが箒を担いだ私を見て、朝お寺に沢山の人がいたが何故かと聞いてきた。誰にも馴れ馴れしい私の雰囲気を感じて聞いたのだろう。お彼岸にお墓参りできなかった人達が来たのではと応えた。私もその一人だ。実際、我が家の墓だけ雑草が生えて、先祖は肩身の狭い思いをさせたと気が留めた。

 もう一つが、家の周りの庭と表通りの緩斜面にある畑の雑草だ。暖かくなって日に日に雑草が伸びてきた。散歩の途中に畑を見ながら何とかしなきゃと思っていた。お墓参りした翌日の午後除草剤を撒いた。例のクサトローゼというふざけた名前の除草剤を400倍の希釈率で2回に分けて8リットル噴霧した。

 これが実は失敗だった。その翌日、つまり昨日は朝から生憎の雨で除草剤は洗い流されたはずだ。今までは除草剤を撒く時はいつも天気予報を確認していたのだが、昨日は思いつきで突然やったのでうっかりしていた。

 「多少は効き目がありますよ」と、サンルームの再見積もりをもって昨日午後に来てくれたホームセンターの営業の人が慰めてくれた。すっかり忘れていた。前回より7割も高い再提案なので時間の無駄と直ぐに断わった。彼もメーカーのやる気がないとそれ以上勧めなかった。替わりに、サッシの代わりに地元の建具屋に頼むことで合意し、帰京予定の6月に再挑戦することにした。

 実はその後の話が長かった。彼も私も話好き、話のタネは尽きなかった。中でも最近の愛媛中南部の住宅事情が面白かったので紹介する。最近の住宅事情は驚くばかりの大変化が起こっている。一昔前に流行った二世代住宅は上手く行かず彼が手がけた半数以上は別居してしまったという。特に玄関を共通にしたところは全滅だという。

 今は親が「金を出しても、口は出すな」で、仮に同じ敷地でも別棟にすることを勧めるそうだ。基本的に価値観や好みの違いが決定的なのだそうだ。床の間や違い棚など先ずお目にかかれない、仏壇や神棚があっても隅に押しやられ、押入の替わりにクローゼットが作られるという。そりゃ親とは意見が合わないだろうと納得した。

 それだけではない。例の建築偽装事件と耐震構造実験の映像が公開されて以来、住宅を作るプロセスが激変したという。以前は家のコーナーに大きな窓ガラスを付けるのが流行だったそうだが今は全くない。個人客は建てたい住宅のスケッチを自分で作り、それを建築士に持ち込んで設計してもらい、その図面を元にインターネットで見積をとって建築会社を指名するという。それが結構しっかりしているというから、凄い。

 工法はカナダなど海外から入ってくる安価な材料を使ったもので、従来工法の職人を抱えた建築会社・工務店は切り替えが出来ず苦境に陥っているという。従来工法の住宅より居住性に優れ耐震性や省エネルギーでも進んでいるというが、ノッペラボウの壁の上に屋根が乗っかった形は和風住宅に比べ風情がないと私は思う。少子化を反映して平屋が多いのも特徴だという。東京の事情はどうだろうか、いつか聞いてみたいものだ。■

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